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「オケバトル!」 64. 金の斧、銀の斧、あるいはブリキのフルート


64.金の斧、銀の斧、あるいはブリキのフルート



 Aに移籍し、トロンボーン奏者と同室になったフルートの星原淳。実は番組側のスパイであった正体が明かされたトロンボーンが去った時点で、せっかくの引き抜き少年を一人部屋に放ったらかしてはおけまいと幹部で相談の上、有出絃人の抜けた部屋に白城教授 ——— 実際は教授などではなく、学者タイプに見えるだけ ——— が迎え入れ、監視、及び洗脳役を任されることとなる。
 しかしBに引き抜かれた有出絃人のパターンと同様に、星原淳も「あの子が欲しいがこの子はいらない」ルールによって、我が身と交換に貴重な誰かが犠牲になっているのだ。なのに自分の技量が及ばず、〈メヌエット〉でAチームが完全敗北してしまったことが、少年は気になって仕方がない。
 二名の脱落者と、今後の方針を決めていく必要もあり、Aチームでは遅めの夕食タイムを終えてからリハーサル室に有志が集い話し合う計画であった。当然、欠席裁判の可能性も高く、「面倒くさいし眠いから、もうどうなってもいいや」なんて思っている呑気な輩以外、大方が出席する心づもりでいた。

「僕、10時からの話し合いには行きませんから」
 新たなルームメイトに淳は小声で告げた。
「というより、行けませんから。せっかく引き抜いていただいたのに、とてもじゃないけど皆さんに顔向けできないので」

 だけど先輩フルート氏が吹いたとしても結果は知れたものじゃなかったと思うし、とうに脱落した三咲とかいうフルート女性なんて、まったくの論外レベルだったんだから。あのBの紺埜さんだって言ってたよね? 有出さんのアドヴァイスさえあったなら、星原くんの方が遙かに優れた名演奏になったでしょうって。
 といった励ましの言葉を白城貴明がいくら並べ立てても、落ち込み少年の慰めにならなかった。

 とりあえず食事にでも誘い出すか。
「食欲、ないです」
 ふて寝を決め込む淳くん。
「しかし何かお腹に入れとかないと、いくら若いからって、エネルギーが持ちませんよ。じゃあ、ルームサービスを頼もうか」
「そんな贅沢できません」
 蚊の鳴く声の淳くん。
「ここではルームサービスだって、いくらでも注文できるんだよ。タダなんだから」
「でもきっと、何も食べられそうにないんで」
「そうだ。冷蔵庫にプリンがあったな」
 こうした時は軽いスィーツ系からいくと、自然と食欲が出てくるもの。
「絃人くんが『デザートに』って、ビュッフェから調達してきてあったんだ」
 ひんやりしたプリンのカップとスプーンを、少年は素直に受け取りつつも、
「賞味期限が書いてない……」と、ぽそり。
 危うく大笑いしそうになるのを、貴明は必死にこらえた。この子ったら、とっても繊細で、意外と神経質なんだな。フルートを手にしている時はあんなに堂々としてるのに。
「大丈夫。今朝もらってきたばかりだし、すぐに冷やしたから」
 実のところは昨日か、もっと前だったかも知れないが。
「有出さんがプリン取りに戻って来たら?」
「そしたら、新たに調達すればいいの!」

 貴明は考えた。それともただ子どもなだけなのか。まだ高校生。長期戦覚悟で初めて親元を離れて、たったの五日で早くもホームシックに陥ったか。有能な若手の監視及び洗脳役を仰せつかったが、それ以前の問題、これは教育係と言えるレベルだな。こうなると責任も重大だ。
 ともかくだ、有無を言わせずにこちらのペースに巻き込んでしまおう。Bでは甘やかされていたかも知れないが、ここは有出式に多少なりとも強引な手段でいくべし。
「さあ、僕は腹ぺこだし、きみを部屋に一人にしておくわけにはいかないんだ。つき合ってくれたまえ」
 彼がプリンを食べ終えるや、貴明は明るく言った。
「一階のビュッフェに行こう。食欲ないなりに、軽い物も選べるからね」

 ともかく今夜は互いの自己紹介も兼ねて。それから先は、古巣のBの仲間や、若い者どうしとか、いちいち食事やお茶を僕につき合わずとも好きにしていいし、気を遣わなくていいからね。と、教授は傷心の少年をどうにかこうにか宥め、ようやく食事に連れ出すのだった。



「みんなは一人のために」
 アトスがワインのグラスを掲げ、
「そして一人はみんなのために」
 アラミスとポルトス役も応じ、アンヌ王妃こと紺埜怜美を励ますべく、ワインセラーからわざわざ調達してきたガスコーニュ産の白ワインで乾杯。
「どうもありがとう」
 まったく気乗りのない返事の、こちらも傷心のフルート奏者。
 自室に戻ってふて寝するはずのところを、おせっかいな施設スタッフ三銃士によって半ば強引に、彼らのテリトリーであり融通も利く、例の最上階のラウンジへと再び引っ張って来られたのである。

 世にも美しい神レベルの名演だっただの、それは貴女本人の実力や持って生まれた才能に他ならないだのと、彼らがどんなにおだて祭り上げようと、しかし奏者の気心なんて、演奏にもチームの勝敗にも責任を持つことのないスタッフ陣には計り知れないもの。
 ここで第四の男ダルタニアンこと有出絃人さんにでもご登場いただけたら非常にありがたいのだが、冷酷な拒絶男に、年上のフルート奏者をわざわざ慰めたりする気遣いなんか、まず期待できまい。ともかく、ここの腕利きシェフの、見た目も美しい特注コース料理でご機嫌を直していただこうと、少々頼りない励まし作戦を敢行する気のいい銃士隊であった。

 題して「ベルサイユに花咲ける白のロンド」

 まずは冷製スープ、濃厚生クリームでリッチに仕上げられたヴィシソワーズから。淡いグリーンのバジル風味のソースで白いスープの表面に洒落たラテアートのごとく描かれた踊るハートの数々に、「あら~、美しいわ」と素直に感激するフルートの王妃様。ハートを崩さぬよう外側から慎重にスプーンを入れていたが、そのうちに、ハートが蝶々になった! などと模様の変化を楽しみつつ極上の味わいを堪能。これだけで、ご機嫌も回復しつつある模様。
 オードブルはホタテのムースや旬のホワイトアスパラのバターソースがけといったシンプルな素材ながらも、深紅のベルローズを主とした可憐なエディブルフラワーや色とりどりのソースが点々とガラスの大皿に宝石のように散りばめらた華やかな演出には、うっとりため息が漏れてしまう。

 今回脱落者の出ないBチームは話し合いもなく今宵はもう休むだけなのだし、ほどよく酔って何もかも忘れておしまいなさい、とアルコール類をお気楽三銃士に勧められるも、怜美は掟破りの本日の二杯目である先のガスコーニュ白ワインを軽く口にするだけに留めておく。
 ただでさえ《アルルの女》演奏時には、リハーサルの段階でアルコール疑惑が生じていたのだ。奏者に何か不測の事態が起こった際、仲間に多大な迷惑をかけてしまうオーケストラに所属する場合、二日酔いは最なる敵。金管族の酒豪でさえバトル中はアルコールを二、三杯程度に控えているそうだし、もはやチームに奏者が一人しか残っていない楽器となれば尚更のこと。

 夜も遅めという配慮から、メインは軽めで上品な装いの白身魚が厳選される。極上オーロラソースが優しい味わいのスズキのムニエルには、カリカリクルトンやオニオンチップのトッピングに──定番のアーモンドスライスを使ったレシピは銃士隊によって「ナッツはいかんでしょ」と却下された──、地元産、緑のパンツを穿いた黄色いズッキーニくんや、カラフルスイスチャードなどの大ぶり温野菜が彩り豊かに添えられている。
 もちろん女性にとってはパンも重要ポイント。食事パンの王道をゆくパリパリ皮のバケットを始め、サクサククロワッサンに、ふんわり甘い香りの黄金ブリオッシュといった、バスケットに盛られたほかほかの自家製パンの数々は、どれも添えられたバターなど必要なしの美味しさで、アンヌ王妃も当然のごとく全種類に挑戦し、かなりご満悦の様子。
 元々太りにくい体質ゆえにダイエットなど気にしない彼女といえど、よりどりデザートワゴンの提案はさすがに遠慮し、アイスクリームの盛り合わせに留めておく。それでもバニラやベリー系アイスに色とりどりのフルーツコンポートが添えられた大皿全体に覆いに被さる、バースデーサプライズのような網がけ飴細工による立体的な演出には、思わず歓声をあげずにはいられない。
 ご馳走作戦は功を奏し、怜美様も大満足。やがては有出が何だ、長岡がどうだってのよと、くだを巻き始め、温厚なスタッフ三銃士ごときには手に負えなくなってくる。

「アンヌ王妃様」
 今は休憩中のバーテンダー、アラミスが丁寧に申し出た。
「お腹も満たされ、ほろ酔い加減もちょうどよろしい頃。そろそろ明日に備えてお休みになられてはいかがですか」
「王妃様、王妃様って」
 怜美はぶつくさ言い返す。
「そりゃあプリンセスの歳ではないにしても、どうしてあたしが王妃になるのよ」
「ですが我々を『三銃士』とおっしゃったのは貴女でしょう?」
「実に光栄な役目を仰せつかり、我ら俄然張り切って王妃様をお守りすべく、シフトも調整して尽力する覚悟なのですよ」
「みんなは一人のために」
 せっかく育まれつつある素敵な絆を壊されてなるものかと熱心に食い下がる三銃士を、彼女は少しからかってみることにする。
「あたしの知る限り、最新のBBC版『三銃士』では、王妃がアラミスと恋に落ちちゃうのよね。しかも後のルイ一四世となる王太子、事もあろうか父親がアラミスっていうトンデモ設定で」
「それは非常に光栄なことで」
 バーテンアラミスが胸に手を当て、誇らしげに頭を垂れる。
「ダメダメ、王妃の恋人はデュマの原作どおり、英国のバッキンガム公でないと」
「ええ? ではバッキンガム公役を、どこからか呼んで来ないといけないですか?」
 王妃自らがバッキンガム公爵をご指名なさるとは。バッキンガム公ねえ、誰が当てはまるかなと三人は思いを巡らし、やがて互いに、はっと顔を見合わせた。
「まさかフルートの星原淳さんとか言わないでしょうね」
「だからあたし、王妃じゃないって」
「ではコンスタンス役をご希望なさる? となると……、ああ、やはり有出ダルタニアンが恋のお相手ということですか」
「ノンノン、おあいにくさま」
 指を立てて否定する怜美は妖魔の表情で言い放つ。

「ミレデイよ。あたしのキャラは」

 レミ=ミレデイは勝ち誇った様子で席を立ち、温かい気遣いへの礼を慇懃無礼に述べ、唖然とする三銃士を尻目に威厳を持った足取りでラウンジを後にした。

「どうやら完全に立ち直ったようですね」
「貞淑な人妻が、自ら悪女役を選ぶとは」
「そうでも気持ちを切り替えないと、過酷なバトルでこの先しぶとく生き延びれないか」
「いや、元々そうしたファム・ファタル(魔性の女)的性質が潜んでいたのかも」
 バーテンアラミスがもっともらしい意見を述べる。
「彼女、ライバルにナッツを出せとか平然と言ってのけるし、悪女のミレデイ役、意外としっくり型にはまるんでないかな」
 そこでアトスがちょっと嬉しそうに言った。
「ミレデイって過去を辿ると、俺、アトスの妻ってことなんだよね」

 はいはい。お互い勝手にやりましょう。乾杯。みんなはみんなのために! と、三人は再び呑気な調子で酒を酌み交わすのだった。




「落とされたのは金の斧ですか? それとも銀?」
 泉の女神は、うろたえ慌てる少年に静かに問いかけた。
「いえ、僕が落としたのは斧じゃなくて、フルートなんです」
 疑い深げに、女神は確認してくる。
「私が尋ねているのは、金か、銀か? ということなのですけどね」
 凜と冷たくも、どこか懐かしい女神の声は……、かのフルートの怜美先輩?
「金のフルートです。怜美さん、じゃなくて女神様、早く拾ってきてくださいよう」
「だまらっしゃい! この大嘘つきめが」
 いきなりの雷。
「嘘じゃありません。正真正銘、僕のフルートは、金なんです」
「まったく......」
 ため息をつきながら、哀れみをもって女神は少年に真実を突きつけた。
「あなたのフルートには銀や銅も混じっているじゃありませんか」
「はあ? 確かに僕のは9Kで、そりゃあ多少の混じり気はあるんでしょうけど」
「嘘つきには、このブリキフルートがお似合いです!」
 女神は少年におもちゃのフルートを投げてよこした。しかもさびている?

 声にならない悲鳴が、少年の喉の奥から絞り出される。
 叫びたいのに声が出せない。僕のフルートが、フルートが、ああ沈んじゃう──


 うーんうーんとうなされる、新たなルームメイトの星原淳くん。
 苦しそうな寝言に起こされた白城貴明は、彼が金縛りにでもあっているのかと身を起こし、少年が剥いだブランケットをわざと乱暴気味にバサリとかけてやる。金縛りから解き放つには、外部からの物理的な刺激が効果的なのだ。声をかけて無理に揺り起こすより、こうした方が自然に安眠に戻れるだろうから。

「僕のフルート、フルートが……」

 可哀想に。美味しいご飯を結構しっかり食べて、単純に立ち直ったと思ったんだがな。
 引き抜かれたフルート奏者としてのプレッシャー。〈メヌエット〉での自分の演奏が至らなかったせいでチームが負けたと思い込み、それなのに我が身は脱落を免れたという生き地獄のような後ろめたさ。夢にまでうなされるなんて。

「怜美さん……。そんなあ、ひどいですう」

 あのBの先輩女性を夢にまで見るなんて。大人たちの醜い陰謀によって彼女と容赦なく引き離されて、辛いのか。やはり慕っていたか。母親のように? それとも本気で憧れていたのかな。仲間に責められるのも覚悟の上で自分をかばう発言をしてくれた彼女の配慮に、想いも益々募っているのか。

「女神様、返してくださいよお」

 愛用のフルートを性悪の女神に奪われたという筋書きか。
 いや、もしかして女神=先輩の彼女? いたいけな若者すらも翻弄する噂どおりの美魔女で、実は先輩風を吹かして陰ではチクチク彼をいじめていたとか?

「ブリキじゃ、ダメなんです」

 意味不明。夢とはいえ、かなり錯乱してるようだ。ここはひとつ導いてやるか。

「大丈夫よお。淳くん」

 貴明はこれまで出したこともない高らかな女神の裏声で、お告げのように優しく語りかけた。
「フルートはお返ししましょう。魔法のフルートだから、これから先、どんな曲でも見事に吹きこなせるようになりますよ」
 寝言に話しかけてはいけないとは聞くが、これも荒療治のひとつとしよう。

「そして栄光のオケマイスターを、実力で勝ち取るのです!」





65.「あぶれた者の活用法」に続く...




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