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「オケバトル!」 45. ピアノと駆け落ちの顛末


45.ピアノと駆け落ちの顛末



「やっと帰ってくれた」
 ベッドから降り、有出絃人は窓辺に向かった。
「空気、入れ替えようっと」

 窓は事故防止のためか僅かに隙間が開く程度であったが、真夏とはいえ、さすがに森に囲まれた避暑地の夜のこと、涼しげな風が、うっそうとした木々や森の生き物の気配とともにそっと入り込んでくる。虫の鳴き声に混じって、どこか遠いところでフクロウが鳴いている。
 絃人は想いを馳せた。
 森は……。ウィーンっ子が愛してやまない森は、実はそんなに身近ではなく、郊外に足を運ぶ必要があったが、ドイツの田舎町では森は、いつだってすぐそばに存在していてくれた。都内の生まれながらも転勤族の家庭で育ち、特別な故郷という観念を持たない自分にとっては、ドイツの森こそが我が心の故郷なのだ。

「で、本当のところは、どうなの? 劇場オケとの契約更新は、自分から降りたのでしょう?」
 貴明の問いかけに、絃人はあっさり答えた。
「自ら辞めたってより、クビにされたって言ったほうが格好いいでしょ」
「え? ま逆なのでは」
「そう言っておけば、オケにも誰にも迷惑かけないし」
「それって、自分の都合で恋人に別れを告げた男性が彼女の名誉のために、周囲には紳士的に『僕、振られちゃいましたよ。がっくり』てな感じで言いふらしてあげる感覚ですかね」
「そうかな」
 楽しく充実していたドイツのオーケストラ時代を、絃人は再び思い起こした。


「ドイツの地方都市がどこでもそうであるように、大らかな空気の、音楽的にも優れたいいオケだった。
 団員は皆、家族同様に結束が固く、余分な説明はせずとも互いの要求を瞬時にくみ取れる。かといって、よそ者をはねつける気質もなく、異国からの奏者も温かく受け入れてくれる懐の深さがあった。誰もが深く音楽を理解して、愛して、演奏を心から楽しんで。ヨーロッパでは小さな街でも音楽活動がさかんで、長年の伝統がしっかり根付いているものだから。
 音楽への向き合い方に、ゆとりがあるんだな。
 常任の指揮者も客演指揮者も、厳めしいどころか、始終ご機嫌な笑顔を絶やさない。それが結構名のあるマエストロでもソリストでも、同じ事が起こる。適当にやってるんじゃないかと疑いたくなることすらあったけど、ヨーロッパ人にとっては音楽が日常だから、構える必要がないんだと。
 ともかく技術レベルは高いながらも、どんな演目でもそれなりに無難にまとめていく傾向があって、レパートリーも、歌劇などの演出も、どんどん開拓して新たな曲やスタイルに果敢に挑戦していくというより、既存の演目を従来どおりのスタイルで呼吸のようにこなしていく。そして地元の聴衆も、毎週教会に通う習慣と似たような感覚で劇場に足を運んでくれるから、何の疑問も抱かない。それが延々と続いていく平穏な幸せ。
 オケのメンバーは日常生活の中でもつき合いが深く、オフの時も仲間どうしで各々の家庭を行き来して自由にアンサンブルを楽しみ、独り身の外国人を家族ぐるみでもてなしてくれたり。音楽がすべてだったから、仕事と日常の境界線も、殆どナシ。
 そうした生活は理想だったし、いつのまにか公認の仲の恋人まで出来ていた。
 演奏家ではなかったけれど、音楽に深い理解を示し、ホフマンの物語に登場するような、軽やかな美声の歌声も、僕のヴァイオリンに添えてくれるピアノも非常に音楽的で。まったく非の打ちどころのない、容姿もお人形さんみたいな可愛いらしいお嬢さん。
 ウィーン時代の、ピアニストだった彼女とは、激衝突ばかりで神経もくたくたになったけれど ── まあ当時は収入が安定してなかったし、互いに音楽家としての将来が見えない不安もあったとはいえ ──、ドイツでの二年間はあまりに居心地が良すぎた。ユートピア、それかヴェーヌスブルクに迷い込んで、気づいたら、完全ふぬけ? ぬるま湯に浸かってる状態じゃないの? って、そのうちに感じるようになって。
 家庭的な温かい絆は何より大切だけど、オケって適度な新陳代謝も必要でしょ。時には厳しくも。
 やがて何かが、内なる声か何かが、常にささやき始めるようになっていった。

 このままでは自分がダメになる、と。

 生まれながらの移動民族の気質で、自分は元来、ひとところには長いこと居られない性分なんだろうか?
 その頃よく読んでいた英国詩人キップリングの詩に、当時の自分の心情に妙にしっくり響いたものがあって──、

 己が行き着ける場所の「ここが限界」と確信を持てた理想の土地にたどり着き、精魂込めて開拓し、平穏に暮らしていた探検家が、やがて自分の中に良心のような声が聞こえ始める。
『隠れている何かを、探しにゆくべきだ』と。
 声は、昼も夜もささやき続けた。
『山合いの向こうに、失われた何かが、きみを待っている。さあ! 行きなさい』と。

 そんな内容。
 勇気をもらえた。ここで甘んじていてはいけないんだと。
 しかし『さあ、行け!』と、言われたとして、さあ、どこへ? ここより環境の良いところが、果たしてあるんだろうか。オケを辞めたら生活の保証はない。
 いやいや、環境の良さなんかでなく、むしろ過酷な道を選択すべきなのか。
 所属していたオケはドイツ物はむろんお手のもの、歌劇やバレエ作品のレパートリーもかなり充実してたけど、フランスの近代音楽とかロシアもの、大好きなチャイコフスキーなんかは、殆どプログラムに載ることはなくてね。
 仲間とのアンサンブルでは様々なジャンルを楽しめたし、譜面上で学ぶことだって、できたわけだけれど。

 だけど限界がある。自分の思いに応えてくれるオーケストラがいないと話にならない。

 ひとたびそう感じてしまうと、何もかもがまやかしに思えてくる。すべてが自分を堕落させ、ふぬけにさせる陰謀ではないかと。まるでパラノイアのように、恋人の屈託のない微笑みや、僕を家族の一員として受け入れてくれる彼女の家庭の愛情までもが陰謀めいて見えてくる。自分に何ができるか。ここに留まって幸せな家庭を築き、良き隣人たちと平穏な音楽生活を送って生涯を過ごすのか。
 長年の伝統を受け継ぐ地元オーケストラの体制を根本的に改革する気はなかった。彼らは彼らで充分成り立っているのだから。では何故、自分はここに居られないのか。
 チャイコフスキーやバレエ作品を極めたいなら、ロシアへ行くか? う~ん、違う気がする。ロシアのオケの響きは、自分のスタイルでは合わなかろう。ならばフランス辺りにする? あるいは英国か? ウィーンでは東欧の音楽にも結構なじんでいたから、今度はもっと西の方面にするべきか? 
 そうだ。西が呼んでいる。

 自分の進みゆく道をあれこれと、思いあぐねていたそんな時に、彼のピアノに出会ってしまったんだ……。
 グリャズノフって、ご存じないですか? ヴァチェスラフ・グリャズノフ。
 ロシアのピアニストで今はNY在住らしいけど、ドイツとの国境に近いフランスの小さな街で、毎年夏の終わりに開かれている音楽祭で、彼の演奏をたまたま聴いたんです。あまりの衝撃に音楽観も人生観も根底から覆されたようでしたね。ガツンとやられましたよ。いったい自分はこれまで何してきたんだろうって。いったい何に縛られてたんだろうって。
 何がすごいかって、まずは彼のトランスクリプション( ≒ 編曲、書き換え)のセンスの良さったら! 
 オケ作品をピアノ版に、完全にコントロールされた技術&精神力で本人が自在に奏でるものだから。本物の天才ながら、どんな超絶技巧でもゆとりで弾きこなせる確かな技術力は、相当な鍛練の賜物なんでしょうね。曲によっては、粋な遊び心満載の抱腹絶倒、絶妙アレンジなんかも聴かせてくれるけど、原曲に対する真摯な姿勢はしっかり貫かれている。精神的にも何もかも超越しているようで、ホントにもう、人間のスケールが違いすぎる。
 無限とも思えるピアノの可能性の奥深さを教えてもらえましたね。〈牧神の午後〉やボロディンの〈ノクターン〉なんかで大感激、チャイコの〈ロメジュリ幻想序曲〉に至っては、もう涙もの。もはやオケなんて、いらないんじゃないの? って程。
 そうだ、ピアノだ。自分にもピアノの世界があるじゃないか! 原点も、ピアノだったじゃないか。ヴァイオリンやオーケストラの枠ばかりにとらわれていた自分は、なんておバカさんだったんだろうって、そのままパリ行きの列車に飛び乗って西に一直線。

 それまでの生活とは完全おさらば。まさにピアノと駆け落ちした気分でしたね。

 パリへは、たまたま。ただドイツとは反対方向に向かっただけなんだけど、列車のコンパートメントで出会った、音楽祭にも参加していたフランス人の素敵なフルート奏者と意気投合。共通の知人がいることも判明して、落ち着き先が見つかるまでの間、彼のアパルトマンに居候させてもらえることに、と話が一気に進んで。彼も部屋代が割り勘になると喜んでくれて。
 結局、仕事を見つけて落ち着いてからもちゃっかり同居してました。
 ともかく、どこかにこもってピアノの腕に磨きをかけたかったので、ラッキーだったな。彼が外出している間は、いくらでもピアノを弾いていられたし。彼の伴奏や、室内楽の仲間としても、ピアノでもヴァイオリンで共に活動できたし。といっても基本はピアノの猛勉強をしなきゃならなかったので、音楽活動はささやかなもの。最初のうちは、レッスンを受ける音楽家の卵らや、旅行者相手の通訳の仕事で細々と生計を立ててました。

 当時掲げた目標は、一年以内にバレエ学校の伴奏ピアニストになること。

 バレエのレッスン時って、いざ教師の号令がかかるや、ピアニストは膨大なレパートリーの中から瞬時に的確な曲を選択して、二秒後には音楽を鳴らさないといけない。曲を指定されても同じこと。楽譜を探したりページをめくったりなんて猶予はないから、当然暗譜で弾かなきゃならない。オーケストラの曲を、ピアノ一台で。だから、周到な準備が必要だったんです。
 母が長年続けていた英国式ストレッチダンスの合宿や発表会なんかで、僕もよく伴奏ピアニストとして担ぎ出されてて、そうした環境になじんでいた経験があったから目指せたのかも知れませんね。
 そのストレッチダンス仲間のコネで、半年後には首尾良くバレエ学校に潜り込んで存分に弾かせてもらいましたよ。空き時間はレッスン室のピアノも自由に使えましたし。バレエ曲以外のオケ作品や室内楽曲とかも、オリジナルアレンジでどんどんレパートリーを広げてゆけたし。

 だけどパリも、伴奏ピアニストとしての生活も、学ぶための通過地点だということは、自分でも気づいてた。生徒たちが成長していく姿を見守るのも楽しかったし、彼らを応援し続けたい思いもあったけど、音楽家として、オケの一員として楽器を奏でることに勝る満足感など他にないってことは、オケ人なら分かってくれますよね?」



「そうだね」と、白城貴明も同意する。
「加えて、あの曲も、この曲もオケでやってみたい、とか、一人ではできないことが、オケではできる。きみにとっては、いったんオケを離れたのは、必然だったんだろうね」
「……」
「その間もずっと、ヴァイオリンもヴィオラも、しっかり続けていたのでしょ?」
「師匠には怒られ、むにゃむにゃ、破門 ──」
 ルームメイトの意識が、ドイツの森から遙かフランスのバレエ学校へと旅立ち、半ば夢の中である様子に、貴明はそれ以上は話しかけず、しばらく見守ってからそっとベッドを降りて窓辺へ歩み寄った。

「フランス女には要注意……」

 ぷっと吹き出しつつも、ヨーロッパ各地における有出絃人の恋の遍歴を想像し、「いやいや、これは笑えないかも」と、窓からの冷気も手伝って、貴明はぞくぞくっと身を震わせてしまう。
 バトルで常に責任のある役割を任され、気を張っているせいなのか、絃人くん、いつもベッドで話し込むうちにいつしか意識を失ってしまうんだな。そして寝入りばなの支離滅裂なつぶやきについて、翌朝からかい半分に尋ねても、本人まったく記憶ナシ。
 絃人の寝息が本格的になったのを確認してから枕元のライトも徐々に落としてやる。

 二人が同室になってから貴明が毎晩続けてきたこうした気遣いも、この夜が最後になろうとは、彼は予想だにしていなかった。




46.「して、ソリストはいずこに?」に続く...




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