「オケバトル!」 65. あぶれた者の活用法
65.あぶれた者の活用法
「おおっ、ついに交響曲か!」
「ようやく本格的になってきましたね!」
翌日の朝食後、両チームのリハーサル室に置かれていた楽譜がビゼーの交響曲と分かり、多くの者が意欲的に目を輝かせた。しかし、
「……俺たちは?」
神妙な面持ちなるは、この曲に出番のないパーカッションとトロンボーンの面々。
ラッキー、丸々一曲分休めるぞ! なんて喜びはしゃぐ楽天家はいなかった。バトルでは、いかなる理由があろうとも毎回必ず全員が舞台に乗らねばならないルール。
さて、どうするか。
一人は当然のごとく指揮に回っていただくとして、残る二人は弦楽器の譜めくりサポートとして弦の中に紛れて座るのが妥当な線と、Aチームでは、まずはこうした無難な案が上げられる。
トロンボーン奏者は普段から慣れ親しんでいる、ヘ音記号での記載が主なチェロあたりの譜めくり、打楽器奏者が譜めくり役になるとしたら、最も忙しいヴァイオリンなんかをお願いしたらよろしかろうか。
「しかし仮にこの課題も何らかの意地悪仕掛けだとしたら、あぶれた者にそんな単純な役割を振り当てるのって、あまりに短絡的すぎるのでは?」
という意見も出て、誰もがう~んと考え込んでしまう。
「時間が勿体ない」
もはや五十音順無視の安全路線で、前回同様コンサートマスターを任された稲垣がしびれを切らして立ち上がる。
「これも試されているのだとしたら、我々が先に曲をさらっている間、当のあぶれたお三方に知恵を絞っていただく、というのはどうでしょう? 三人のうち、どなたが指揮をされるかも含めて」
そうだそうだと一同賛成。「では、よろしくお願いします」と、あぶれた三人に問題を丸投げし、稲垣のリードでさっそくリハーサルに取りかかる。
これまでのような単独の序曲や組曲の一部ではなく、本日は四楽章構成の交響曲ということで、午前の本番は行われず、先攻Aチームの本番開始時刻は午後の2時。準備時間もしっかり用意されていた。
あぶれ者の三人は、リハーサル室外のロビーで話し合った。
「やはり指揮は陰の支配者、安条さんでしょう」
というバストロンボーン奏者のひと言に、打楽器青年も拍手で賛成する。
「いや、リズム感の信頼度でいったら、指揮は何と言ってもパーカッションのあなた以外にありえない」
有無を言わさぬ勢いで抵抗する安条弘喜。それからいたずらっぽい笑みで、こそっとつけ加える。
「それに僕はあくまで『陰』の存在でないと」
「待ってください」
大慌ての打楽器くん。
「指揮なんて無理です。できません」
「だけど〈ボレロ〉では皆と向き合う形で指揮台に立って、事実上の指揮者の役割を立派に果たされたじゃないですか」
「あんなの、ただその場に居ただけです。第一、ビゼーのシンフォニーなんて、演奏経験ないですし」
「経験ないのは、この三人みな同じでしょ。そもそも編成に入ってないんだから」
「じゃあチームのために、ウソ偽りは互いに控えるとして」
バストロンボーンが言った。
「この曲を、どの程度知ってます?」
正直な答えとしては三人共、熟知ではないものの聴き親しんではいた。パリオペラ座やニューヨークシティバレエの舞台中継、英国ロイヤルバレエの来日公演などで。実は安条弘喜はアンセルメ&スイス・ロマンドの愛聴CDを持っているのだが、あえて触れずに提案した。
「この曲って、バレエでも有名なわけじゃないですか。そうしたことを焦点に、曲そのものやバレエの演目としての背景なんかを演奏前に紹介する、なんてのはどうでしょう」
「それ、いいですね!」
指揮をしなくてすむのなら、解説だろうと譜めくりだろうと、なんだってしますよ、という勢いで賛同する他の二人。
「じゃあ一人が指揮で、一人が解説役、三人目は譜めく役ということになるのかな」
「解説を会話形式で、二人の掛け合いにしてもいいのでは? その方が、ただの譜めくりじゃなく、三人とも役割を果たしていると印象づけられる」
「宮永鈴音さんのお話と被らないよう、うちらAチームでは解説も入れたいってことを番組側に伝えておかないと。あと、その分の時間の確保も必要ですよね。余分に数分もらえるのかどうかも」
といったことを相談しつつ、
「いずれにしても結局は指揮者が必要なんですよ」
「諦めて引き受けてくれたまえ」
青年の肩を両側から叩いて励ます二人のトロンボーン奏者。
「ベアでの解説なら、我ら二人の方が息合ってるし」
「じゃあ、すぐにリハに行かなきゃ」
やむなく覚悟を決めた青年は慌てて立ち上がるも、
「ダメだ。準備ができてない」
再びソファにへなへな座り込む。
「こっそり中に入って最初のうちは聴いてるだけで、大方把握してから前に立てばいいですよ」
「それか、観賞室で名演をチェックしとくほうが手っ取り早いかも」
「えっ、リハを放っといて?」
「うちはバレエおたくが大勢いるし、この曲に関しては任せておけば大丈夫」
指揮者はまずスコアを熟読すべし、という鉄則を破ることになるが、にわか指揮なのだから致し方ないか。
「何だかカンニングのズルって気もしますけど……」
我々も、解説用の参考資料を物色しにゆくか、と言うトロンボーンの二人に青年はしぶしぶ同行し、ライブラリー併設の地下の鑑賞室で「はったり指揮」の研究に取り組むことにする。
一方のBチームでは、半分に減ってしまっている木管を補うべく、トロンボーンの二人には当然のごとく中間音で編成に入ってもらい、打楽器奏者が指揮に回るという筋書きが、話し合うまでもなく即座に決まりそうだったのだが、
「できるわけがありません」
パーカッションの女性がごねて、少々手間取ることに。
「有出さんが振るべきなのに。指揮の経験もない私なんかに、できるわけないです」
「今回は弦の人数、一人たりとも減らせないんです」
有出絃人がぴしゃりとはねつける。シンプルな交響曲で、弦楽器の活躍が非常に目立つ曲なので、自分はヴァイオリンか、バランス具合によってはヴィオラに回る心づもりだと説明しつつ、
「大丈夫。リハは僕に任せて、あなたは本番で拍子を取って下さるだけでいいから」
上手にごまかしなだめ、口答えの余地は与えない。
「つまり、なんにもしなくていいんです」
むしろ、何もしないでね。という言葉は、彼女にヤル気をなくされても困るので遠慮しておく。
昨日までのAチームでは、自分が表舞台に引っ張り出される度に、「自分でいいんですね?」と、他に仕切りたい者が、仕切れる者がいないか確認してきた絃人であったが、ここBには最初からリーダー役として強引に引き抜かれた事情もあり、もはや躊躇はせず自分の好き勝手にガンガンいこうと腹をくくっていた。人数が大幅に少ない不利な状況を乗り越えるためにも、あらゆる手段を駆使せねばならないのだ。
「でも私、恥ずかしながら、この曲全然知らないんです」
打楽器奏者という種族は通常、指揮者並みに楽曲構成の知識が豊富なもの。
何しろ彼ら用のパート譜には、出番に至るまでの小節の数が、練習番号おきなど大方の区切りごとに記載されているだけで、基本、曲を熟知していないと鳴らすタイミングを把握し辛く、話にもならない。
これは打楽器のみならず多くの管楽器にも共通する事象で、弦の連中が何度も忙しく譜めくりをしている中、管打のパート譜は、たった一枚の見開き、あるいは片ページのみの場合すらあるほどだ。
手がかりとなる他楽器のメロディーなど、小さくヒントが記されている親切な譜面もあるが、基本は殆ど白紙の五線譜に自らヒントを書き込んだり、曲の流れに耳を傾けつつ小節数をしっかり数えて出番を逃さぬよう、細心の注意を払わねばならない。メロディーが殆どなく、単純、あるいは複雑なリズムを刻む役割の打楽器は、管楽器より遙かに厄介だから、楽曲に対する指揮者の意図、指揮者の棒とオーケストラ全体との微妙な呼吸感や会場の残響などを完全に理解しての、待ちに待った出番となる。
例えば一時間級の交響曲の中で劇的な効果をもたらす、たった一度のシンバルなどは、ベテラン奏者であっても心臓に悪いという。しかしながらそうした重圧を乗り越え、貴重な一打が完璧のタイミングで決まった瞬間は、何事にも代えがたい爽快感や満足感といったものが奏者本人にも仲間にも、そして観客にももたらされゆく。
逆にミクロのレベルでタイミングを外したり、うっかり出番を逃したなんてヘマは目も当てられない。本人のみならず、オーケストラや指揮者までもがヘボとされかねない恐ろしい罠が常に大口を開けて待ち構えているのだから、油断も隙もない。
既に確固たるスタイルが確立されているオーケストラに新参のパーッカッショニストは、本人の実力云々とは関係なしに、二年くらい経た辺りで、ようやくコツがつかめてくるとも言われるほどだ。
こうした事情もあり、よほどの天才でない限り、打楽器奏者は巷で演奏されそうな、あらゆる楽曲を知り尽くしておく心得が必要となってくる。
Bチームのしっかり者のパーッカッショニストは、若いながらも高度な技術を備えていたし、クラシックからポピュラー音楽、謎の現代音楽に至るまで、オーケストラで演奏されそうな楽曲の多くを網羅していた。但し、それは打楽器パートを伴う曲に限っての話。
ロマン派の前半辺りの時代まで、交響曲における打楽器はティンパニのみに焦点が当てられ、大小の太鼓やシンバル、トライアングルといった楽器の入らない構成が多かった。とりわけ古典を意識したビゼーの交響曲もまたしかり。ひとくくりにパーカッション奏者といえども、昨今はティンパニ奏者のみ別枠となっている事情もあり、彼女にしてみれば今回のように他の打楽器が登場しない楽曲は、自分にとっての範ちゅう外として、学ぶのも後回しにされていたのだった。
「午前中いっぱいリハの時間があるんだから。ただ見学してるだけだって、嫌でも全曲が呼吸のように身についちゃいますよ」
彼女に拒絶の隙を与えず、絃人は話をまとめてしまう。
「ビゼーが学生時代の習作として作ったもので、ロマンティックな要素はあれど基本は古典の手法で書かれていて、分かりやすく親しみやすく、しかもテンポも揺れ動かない。決して難解な曲じゃないから安心して」
彼らに挑戦させる初めての交響曲として、青井杏香が選択したビゼーの第一番は、番組側にも視聴者にも、挑戦者にとっても実に都合が良い曲であった。長すぎず短すぎない四つの楽章をいかにまとめあげるか。シンプルな曲だからこそ、両チームの特色がいかに際立つかが見て取れる。
そして「出番がなくても全員が出演」という無茶な決まりを、彼らがどう解釈するかも見所となる。チームごとに知恵を絞って解決してゆく過程こそもポイントなのだ。
「有出さんがコンマス、やってくださいますか?」
パーカッション女性からのこの質問は、渋々ながらも指揮を務める決意が固まりつつあると物語っていた。
一同はすぐさま、では有出さんのコンマスで決まりですね! と話を進めてしまうが、当の本絃人は、う~ん? と首を傾げてしまう。
「でも僕、リハを仕切らせてもらえるんですよね? ちゃんと指揮しながらきっちり仕上げておきたいんで、コンマスは別な方にお願いしたほうがいいんだけどな」
そこで弦リーダー格の別所が助け船。
「では、リハ中は自分が責任持ってコンマスの席に着きますよ。彼女が振る場面になったら、有出さんとチェンジってことで」
「本番でコンマスが代わるなんて混乱を招きかねない。そのままお願いします」と絃人。
「いや、あくまで自分はリハ中の代理コンマスとして名乗りを上げただけで、本番も続けてとなると、皆の賛同が──」
賛同しますよ! と一斉の拍手で話は決まり、打楽器嬢は本番での指揮を渋々ながら引き受けざるを得ない運びとなってしまう。
66.「鬼監督 vs 拒絶男」に続く...