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「オケバトル!」 79. 進まぬ音出しとリポーターの空想解説


79.進まぬ音出しとリポーターの空想解説



 Aチームは指揮者ナシでも形になりそうな第七番。対するBチームは厄介な第六番〈田園〉をあえて選択。指揮は事実上の立候補、有出絃人。

 ライバルチームが正反対の行動を取った。これは番組側の目論みどおり。混乱リハから泥沼審査の場面に至るまでの興味深き展開を、関係者は冷ややかに期待していた。

 Aの仕切り役、安条弘喜と同様、Bチーム率いる有出絃人も短時間での仕上げを強いられる中、あれこれとこだわり講釈を語ったりせず、チームの明るめトーンを活かしつつ、無難にまとめるつもりでいた。
 これまでのような10分足らずの序曲などではなく、何しろ全四楽章もある壮大な交響曲なのだ。各楽器の聴かせどころや難所など、要の部分はこの30分で個々にさらってもらえたはずなので、まずは力配分を抑えつつ、さらりと流してゆこうとタクトを取るや......、

 冒頭の有名なフレーズで早くも、あららららっ? と、つまづいてしまう。

 オーケストラの一同を前にして指揮台に立つ者としてのタブー。間違いなく、やってはいけないこと。そのうちのひとつである「くすっ」と苦笑してしまう反則を、絃人は大まじめな表情を必死に保ってどうにか耐えた。
 しょっぱなから棒を止めたまま何も語ろうとせず、しかも歯を食いしばって怒りを堪えているかような指揮者の険しい表情。しかも微妙にワナワナヤル震えてる? 気満々だった一同は、ああ、やはり簡単にはいかなかったか、と憂鬱になりつつ、先ゆく事態を思いやる。

「ここは『よっこらしょ』といった具合に、散歩の途中でヤレヤレと切り株にドッカリ腰かけるような場面じゃなくて。軽快な足取りで田園地帯に踏み入れるや、慣れ親しんだ素晴らしい光景が目の前に広がって、一気に感情があふれ出す。思わず足を止め、辺りを眺め渡して幸せなフェルマータ。といった、ふと佇む感じでお願いします。落ち着いてドスンと腰を下ろすのではなく、あくまでも晴れやかな明るい気持ちで」
 と、笑ってしまわぬよう淡々早口で絃人は述べた。
 一同も、ここは「はあい」と軽く頷いて場を和ませるべきか、しかし指揮者の大まじめな言いように、緊張感を保つべきか迷うところであったが、そもそもこうなった原因はアルファベット順に位置に着いていたコンサートマスターの中年男性のセンスのなせる業ではあるまいか? と、矛先を彼一人に向けることにする。
 あんな言われ方したら、絶対にムカッときてるよな。ヤル気はありそう体裁を繕いつつも、指揮者の指摘を「了解。お任せを」てな感じで軽く受けられそうな様子はなく、どこか自信はなさげの中途半端な雰囲気は、もしやコンマス自体の経験が浅いのでは? まさか人生初のコンマスだったりして? 不安がチーム全体に伝染しゆく。
 コンマスと指揮者のセンスが一致しないなら、有能な方に合わせてゆくしかないのだから、ともかく様子をみてみよう。時間は限られているのだ。
 絃人を始め、皆が気を取り直し、再び試みるも、
「最初こそが肝心なので」
 と、ファーストヴァイオリンから奏でられる最初の四小節、フェルマータのところで、やはり待ったがかかってしまう。
 フェルマータに向かって気持ち遅くなるって概念は捨て去るよう言われても、効果ナシ。次にフェルマータ、もはや意識しないでと言われても、まだ駄目。ついに、
「問題のフェルマータ、皆さん譜面から削除しちゃって」
 作者の意図する楽譜を書き換えるのは主義ではなかったが強硬手段に出ることにする。
「いったんは消しといて、上手くいったら本番ではまた戻すんですか?」と、コンマス氏。
「いや、永遠に削除でいいです。あとは微妙なニュアンスの調整でオーケィなので」
 そう言っといて、本番では微妙にリットしてフェルマータをさらっと入れるんだな、とは大方の予測で、一同心の準備はしておくことにする。

 そろそろBチームのリハーサルが始まっている頃と、宮永鈴音率いる撮影チームが戻ってきた。
 選曲を終えたAでは淡々と音出しが進んでゆくだけで、取材ネタになりそうな大した動きもなかったけれど、片やBでは、おやおや? 冒頭からいっこうに進んでおらず?

「まだ重い。ヴィブラートはごく控えめに、優雅に歌うのではなく、古楽器っぽく素朴な感じに」
 との具体的な注文が入る。
「ノンヴィブで、とまでは言いませんが、ピッチを下げたいくらいの気持ちで」

「あの~、奏法に詳しくない視聴者に分かりやすいよう、今のとこ、見本を示して解説してくれると、ありがたいんですがねえ……」
 といった番組側からの注文はもちろん御法度なので、鈴音は「やはりヴィオリンは常に持ち歩くべし」と痛感する。残念、楽器さえあれば、この場でちょこっと退室して、演奏付きの説明が撮れたのに。
「ヴィブラートとは──」そう思いつつも、彼女の頭の中では早速、丁寧な解説イメージが形成されてゆく。

 歌唱法にもみられますが、弦楽器においては弦を押さえた左手の指を、こうして小刻みに揺らして、音の高さは保ちながらも微妙に震える音色の変化で音質にヴェールをかける、といった奏法です。今の出だしの、ファーストヴァイオリンによる有名なフレーズですと、こんな感じ──、ここで見本の演奏。まずは大げさなヴィブラートをかけて、たっぷり歌いましょう。次に硬めのノンヴィブ、二通りの弾き方で違いを強調。ええと、説明としては、
「そして指揮者が言った『ノンヴィブ』というのは、ご承知のおとり『ノン・ヴィブラート』の略で、ヴェールをかけないストレートの音──」
 うーん、「ご承知のとおり」は、いらないかな? 承知じゃない視聴者だっているでしょうし。といった具合に、あれこれ考えを巡らしゆく。 
 今日においては、もはや弦楽器の演奏中は常に自然なヴィブラートがかけられている状態と言っても過言ではありません。このように、まったくかけないと、ほら、何だか下手っぽいでしょう?

 おっと、このくだりはやめとこうっと。

 番組のリポーター役を担っているとはいえ、本職は一応ヴァイオリニストということになっている以上、自分に不利になりそうな手の内を明かすべきではないと鈴音は判断した。常に自信に満ちあふれた毅然とした態度を貫いていながら、実は己の技術が未熟であるなど認めたくはなかったが、内心ではいつも危なっかしい綱渡りをしていると自覚しているのだから。
 宮永鈴音がそんな風に当たり障りのなさそうな手本付き解説のイメージを膨らませ、心ここにあらずでいるうちに、リハーサルの雲行きは怪しくなっていた。どうやら何度試みても、「よっこらしょ」感が抜けない模様。

「『古楽器っぽく、ピッチは下げ気味の感じに』って低く抑えるよう要求しながら、『重くなるな、もっと軽めに』って……」
 コンサートマスターが、当の指揮者にではなく、同意を得るかのように周囲を見渡しながら低い声でゆっくりと言う。
「指示が矛盾してますよね」
 明らかな動揺や怒りを、どうにか抑えているかのよう。

 ここでリポーター鈴音の頭は再度のフル回転。

 そうそう、古楽器とかピッチについての説明も、ひと言くらい必要だわよね。
 ベートーヴェンの時代、楽器は素朴な音質で、ピッチも低めでした。
 ピッチというのは音程、つまり音の高さのことで、一秒間の振動数で高さが表されます。その単位はヘルツ。数値が大きいと音程も高く、小さいと逆。基本、チューニングで使われるAの音、つまりラの音は440ヘルツが国際基準値で、クラシック音楽会においては442~444が大方なのですが、国や地域、オーケストラによって傾向が変わったりもします。我が国では442が主流で、オーストリアやドイツ辺りは高めの444とか、アメリカは逆に低めで440を採用──

 ああ、ダメダメ。これじゃ数字合戦。細かな数字の話なんてピンとこないに決まってる。むしろ実際にヴァイオリンでピッチをわずかに変えた調弦をやって見せたらいいんだわ。

 弦楽器というものはピッチが高いほどテンション、つまり張力が強まる仕組みで、その張力によって音色や音量も左右されてきます。要するに、ピッチが上がると弦に張りが出て、大きな音が出やすくなるので、好まれる傾向なんですね。
 楽譜の上では同じ音でも、ピッチが上がるほどサウンドに華やかさが出て、逆にピッチが下がると暗く重々しい音に聞こえてくるわけです。
 ですから、今回指揮の有出さんが要求するように、ベートーヴェン時代の雰囲気を出すにはピッチが下がり気味の落ち着いたイメージを……、と言いたいところなのでしょうが、何しろ出だしがこの軽やかな足取りのフレーズですから、弾く側としては混乱してしまうのかも知れませんね。
 指揮者の要望。いっぱしの演奏家だったら簡単につかめそうな気もしますがね。だって単純に素朴な田舎の雰囲気を出せばいいんでしょう? 今回のコンマスさんには、そうしたセンス、皆無みたいですね──
 といった批判のコメントは、言いたくても避けないと、と鈴音は思考を停止させた。

 くわばらくわばら。どんな状況であれ、トラブル元凶の中傷は避けるべし。自分が心ここにあらずのうちに、Bチームの雰囲気も更に怪しくなっているではありませんか。




80.「透明な音楽の意外な効果」に続く...





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