「オケバトル!」 4. 戦うべき相手は...
4. 戦うべき相手は…
そもそもが無茶な話であった。
オーケストラバトルの挑戦者は、全国から募った熾烈なオーディションで選りすぐりのメンバーが選出され、音楽やアート関係の仕事に携わるレギュラー審査員を確保、人気アイドルやカリスマ○○といった話題性のあるゲスト審査員陣も早々決定していた。
課題曲などのバトル内容は、クラシック音楽に詳しいアドバイザーの意見に従い厳選、曲によっては今回の課題曲のようにハーブ他エキストラも迎える手はずなど、万全の準備を整えていたものの……、
肝心の指揮者は誰も話に乗ってこなかった。
大御所はもちろん、アマチュアレベルの新人でさえも、誰一人として。
プロのオーケストラに所属経験のない者も含めて、顔を合わせたばかりの寄せ集めオーケストラが、毎回、短いリハーサルのみで楽曲を仕上げ、その完成度を競い合う、といった番組の企画そのものが、真の芸術からほど遠いものではないかと。
やっつけ演奏で何曲も仕上げてゆき、リハーサルも含めた様子が映像として永遠に残ってしまうのだ。自分が指揮した記録として、やっつけ仕事が全世界に公開されるのだ。しかも審査員による辛辣な意見は、下手したら我が身にも降り注ぎかねない。加えてチーム戦での勝敗や毎回の脱落者への責任は、指揮者の技量や采配だって否が応でも関係してくるに違いないのだから。
どんなに金を積まれようと、指揮者が甘い誘いに乗って来なかった理由は、そんなところ。
そこで制作側は判断する。
ならばいっそのこと、挑戦者らに任せてしまおう。あるいは指揮者なしというもの面白かろうし、楽曲が見事に完成するか、破綻するか。統率する専門家の指揮者がいないほうが、バトルも盛り上がろうというものだ。
そして最初の段階で、指揮者がいないと知った参加者らの反応も、さぞかし見ものであろうと、関係者一同が楽しみにしていたのだった。
── バトルの本当の相手は演奏家どうしではなく、実は番組制作者だったのか? ──
といった疑いがAチームのメンバーの胸に広まっていった。
「受けて立とうじゃないか」
有出絃人がつぶやき、先の質問を繰り返した。
「指揮ができる方、あるいは挑戦してみたい方は?」
誰も返事をしないので、
「この曲に出番のない人? ……なんていませんよね」
と一応確認し、おもむろにコンサートマスターの席を見やり、
「指揮なしで、やれますか?」
と、にわかコンミスの山岸よしえに確認する。
指揮者がいる場合でも当然そうだが、不在の場合はなおかつ、オーケストラ全体の統率においても、音楽的ニュアンスにおいても、コンサートマスターに全責任が降り注ぐといっても過言ではない。
指揮者がいないのなら、私、降ります! という本音をこらえて、コンミスは「もちろん」と、しらっと答え、周囲や撮影カメラに聞こえない程度の小声でぼそっとつけ加えた。
「誰に言ってんのよ」
絃人の耳にはその捨て台詞がしっかり聞こえたし、彼女の「もちろん」がとんだはったりであろうと逆に不安を覚え、指揮者不在の大破綻を覚悟する。
「あのー、あなたはヴァイオリンですよね」
トロンボーン・トリオの一人、首席の座に座っている中年男性が、絃人に向かってテナーの穏やかな調子で語りかけた。
「ヴァイオリンなら一人くらい抜けたって、大差ないでしょ? ちょっとそこにそのまま立っててくれると、我々としてはありがたいんですけどねえ」
有出絃人は音楽家としての稼ぎは少なく、未だ親の援助を受けている身ではあったが、一応はヴァイオリニストであり、ヴィオラもヴァイオリンと同じくらい自在に弾けるので今回持参はしたが、さすがに指揮棒までは持ってきていなかった。実のところ自宅には、お気に入りを何本も持ってはいるのだが。
「余計なことは、な~んにもしなくていいですから、ただ、そこで拍子さえとっててくれればいいんです」
トロンボーン氏がのんきに続け、そうそう! ともかく立ってて下さいよ! と皆が拍手で促す。
「あなた、最初から効率よく皆を促してらしたでしょ」
ヴィオラの前方から落ち着いたアルトの声が上があがり、続いて、もともとそうした資質があるのよ、きっとうまくまとめられますよ、といった、おだてや励ましがあちこちから沸き起こる。
絃人にとって、この曲のセカンド・パートを奏することは大なる喜びであったし、何よりヴァイオリンを弾きたかったが、この期に及んで思いがけず指揮ができるという魅力には抗えなかった。
〈レ・プレリュード〉を振れるなんて!
いっときは指揮者を夢見て猛勉強した時期もあったが、そうした事実はトップシークレットだったんだけどな……。
本当に自分でいいんですね? と一同の確認を得るごとく、オケ全体の反応を慎重に見渡してみる。
チェロの面々の中に知った顔 ── ルームメイトの白城貴明 ── を見つけ、彼が「任せましたよ」とばかりに大きくうなずいたので、絃人は覚悟を決めた。
「元々は〈四大元素〉をテーマにした男声合唱のための導入曲として書かれたものでした」
客席の最後部に優雅に足を組んで斜め座りをした司会兼リポーターの宮永鈴音がカメラに向かい、リハーサルの邪魔にならない程度に小声で話していた。
「ですが合唱曲はお蔵入り。中々できの良かった導入部だけでも何とか形にしたかったリストが後に出会ったのが、
『人生は死への前奏曲であらずして、何であろうか』
と、年上の貴婦人との愛と死別を詠ったラマルティーヌの『瞑想詩集』。
詩人の感性と自身の曲想とがぴったりマッチしたことで、リストは元の曲もこのテーマに添うように改訂します。詩と音楽を融合させた交響的作品ということで、『交響詩』という新たなジャンルが生まれます。死への前奏は、数知れずの人生や運命の連なりであるという内容から、フランス語においての複数形の冠詞、『レ』がついて、交響詩〈レ・プレリュード〉として世に送り出されたのでした。
静→動→静→動と四つに分かれた形式は、ロッシーニの〈ウィリアム・テル序曲〉の影響も多分に見られます」
鈴音は立ち上がり、優雅な手つきで舞台を指し示す。
「どうやらAチームは指揮者を立てることにしたようですね。ちょっと様子を見てみましょう」
初っぱなの、弦全員によるピッツィカートを合わせるのに、指揮者が手こずっている様子。
「呼吸を合わせて。もう一度いきますよ」
ンポォン……。
「う~ん、あとちょっと、ほんの 1 ジフィーの世界なんだけど」
指揮に駆り出された有出絃人がぼやく。
「ただでさえ、アルコと違ってピッツィカートは音の立ち上がりが速いんですし、飛び出さないで」
ゆったりしたテンポの中、弦の全員が ── しかも今しがた初顔合わせをしたばかりの者どうしが── ボン! と一発集中で息をそろえるのは、実は至難の業なのだ。
「アルコとは」
宮永鈴音がそっとヴァイオリンを構えて、弓で弾くそぶりをしてカメラに説明。
「こうして弦を弓で弾くことを言います。そしてピッツィカートとは──」
弓を持ったままの右手の人差し指で、ポン! と軽く弦を弾いて見せる。
「こんな風に直接、指で弾く奏法のことです」
通のクラシック音楽ファン、あるいは音楽に全く疎い視聴者でも気軽に番組に親しめるよう、参加者の間で交わされる音楽用語については、折に触れてこうした丁寧な解説が入る。
「んなこと知ってるよ」という視聴者でも、その道の専門家であろうと、美貌のヴァイオリニストが優雅に説明する様子には自然と好感が持ててしまう仕掛けなので、たとえ分かりきった解説であっても無駄にはならないのだ。
半分は冗談のつもりで指揮者が呟いた「ジフィー」については、リポーターには知識がなかったので黙して語らず。そうした場合は放送時にテロップで解説を入れることになっていた。
———「ジフィー」とは百分の一秒という数字の単位であり、指揮者は「いい線いっているが、あと、ほんの少しが揃わない」という軽いジョークを含んだ微妙なニュアンスとして使っている ——— 。
鈴音は次にポポポポンと、素速いピッツィカートを見せる。
「こうした速い動きと違って、今、舞台で取り組んでいるような完全に独立した『ポン』という一音は、下手したら本当に間抜けた音になってしまうので、細心の注意が必要になるんですね」
ただ拍子をとってくれるだけで良かったんだがなあ……、といった待ちぼうけ管打連中の苛つきを察し、
「すぐに片づきますから」と、指揮者がなだめる。
「この最初の一音で、オケの真価が分かってしまうほど重要なんです」
「でも、先はまだまだ長いんですよ」
「ともかく、どんどん音を出していかないと」
「いったんはラストまでいってみましょうよ」といった苦言に、そうだ。と、絃人は思いつく。
「音のない皆さんも、じっと高見の見物でなくて、一緒に呼吸を合わせてみてくださいよ」
一斉に反発の念が飛んでくる。そうなると、俄然張り切るタイプがこの有出絃人だった。
「こうした名曲のこと、誰もが自身のパートだけでなく、スコアの隅々まで熟知している……、はずですよね? 自分の出番まで、小節をしっかり数えてなきゃならない、なんて人は、まあさか、いませんよね?」
反発の念どころか、今度は不満むき出しの白い目で一斉ににらまれる。
しかし一理ある。やってみようじゃないですか! と、トロンボーンの首席が言い出し、ともかく全員で指揮者の合図に呼吸を合わせることにする。
結果は?
指揮者が満足げなうなずきとともに指揮を続けたので、音楽は先へと歩みを進めることになる。
「出だしの一音からつまずき気味で、ちょっとはらはらしちゃいましたが、指揮者の機転でようやく息が揃ってきたようですね!」
宮永鈴音はカメラに向かって肩をすくめてから、客席後方のホール出口へそっと足を向ける。
「一方のBチームがどんな様子か、そちらも見に行ってみましょうか」
ホールの二重扉をしっかり閉めてロビーを見下ろす踊り場に出ると、Bチームの面々が集合して何やら相談している模様。鈴音のお喋りは続く。今度はハリのある声で、遠慮なしに。
「Aチームはコンサートマスターの座をめぐって指揮者とひと悶着あったようですが……」
あ、コンサートマスターとは、オーケストラ全体のまとめ役で、指揮者としっかりコミュニケーションをとってオケのメンバーに伝える仲介役でもあります。必ずファーストヴァイオリンの一番前の端、客席側に座ります。椅子もちょっと特別だったりするんですよ。略して、コンマスと、言います。といった解説を続けたのち、
「Bチームの様子は、今のところ和やかそうに見えますが、さあ~、この先どうなるか? どんなバトルが繰り広げられるでしょう?
そもそもバトルって、AとB、敵対するチームどうしのことだけじゃないんですよ」
そこで鈴音は小悪魔の笑みを浮かべ、声をひそめた。
「チーム内のバトルこそが、仲間どうしの足の引っ張り合いこそが、実はおっかないんですからねえ」
彼女が意地悪くもぽろっと言ってしまったその言葉こそが、紛れもなくこの「オケバトル」の本質を言い当てているのだった。
5.「素晴らしき靴箱型の難点」に続く…
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