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「オケバトル!」 74. イッター城の戦い


「イッター城の戦い」

               ※ これは実話です


登場する組織、グループ

 イッター城に囚われのフランスVIP 🇫🇷
 ドイツ国防軍🇩🇪
 アメリカ軍🇺🇸
 現地レジスタンス🇦🇹
 ナチス武装親衛隊(SS)🇩🇪

Battle for Castle Itter



 かのフランツ・リストやチャイコフスキーが客人として滞在していたこともある、イッター城。
 ドイツとの国境近く、オーストリアのチロル山中の、渓谷を見下ろす丘の上にそびえ立っています。
 中世から数百年に渡る歴史の中では、破壊や略奪、再建が繰り返され、魔女裁判の法廷、及び処刑の場となった恐ろしい時代もありました。
 所有者は、ローマ・カトリック司教、ハプスブルク家、ナポレオン、バイエルン王、実業家などを経て、ピアニストで作曲家にして、リストが唯一「我がピアノの娘」と認めていた愛弟子、ゾフィー・メンターが城主だった時期には、錚々たる芸術家が集い、サロンでは演奏会も頻繁に催されておりました。
 リストは長期間の滞在中、朝の4時には起床して、最高に素晴らしい環境で、ゾフィーの依頼による〈ハンガリア協奏曲〉の作曲に専念。未完となったものの、「夢のような体験だった」という感想を残しています。

 おとぎ話の舞台にもなりそうな優美な外観の、格調高き城は、第二次世界大戦勃発後、ナチスが接収。厳めしい監獄に改築され、VIP囚人専用の収容所と化してしまいます。終戦までの二年間は、フランスの元首相や元将軍といった多大な影響力をもつ政治家や歴戦の勇士、ドイツにとっての危険分子や著名人に加え、ド・ゴール将軍の姉夫婦などの重要人物らが、ヒトラーの武装親衛隊管理下で捕らわれていました。

 そして1945年4月末、ヒトラーが自殺。
 ドイツの指揮系統は崩壊し、1人でも多くの敵を抹殺しようと躍起になるナチスの報復で、いつ何時、自分たちも処刑されかねないと恐れたフランスの要人たち。


 救援依頼 ① → 連合軍への手紙

 1945年5月3日、インスブルック駐屯の連合軍の元に一通の手紙が届けられます。

 イッター城に捕らわれていた要人から託された救助依頼でした。
 所用を理由に城を抜け出した使用人、クロアチア人捕虜にして元レジスタンスのチュッコヴィチが、数十キロに渡る危険な道のりを自転車で、命からがら飛ばして来たのです。途中、幾度か親衛隊の検問を受けるも、真実を混ぜた大嘘で巧みに切り抜けて。

 早速、救出部隊が編成されます。
 しかし待ち伏せる敵や道路封鎖、険しい山道に行く手を阻まれ、進軍に散々手間取った挙げ句、撤退命令が出されてしまいます。
 本隊はやむなく命令に従うしかありませんが、米軍部隊長のクレイマーズ少佐は、
「人質を見捨てるわけにはいかない」
 と、賛同する将校、親友のフランス人中尉に加え、同行を申し出た従軍記者らとジープ2台で応援に向かいます。戦闘地帯での単独行動は自殺行為であり、重大な規律違反であることも重重承知の上でした。

 一方イッター城の司令官、武装親衛隊どくろ師団の横暴にして気まぐれ、極めて危険な性格の飲んだくれ大尉は、そうした捕虜たちの不穏な動きを察し危険を感じたか、ふもとイッター村に住む友人の大尉に任務を丸投げすることにして、闇夜に紛れて城を逃げ去ります。
 一夜明けた5月4日。
 城を警備していた大尉の部下まで、SS隊員全員が消え失せておりました。ジャーマン・シェパードたちの姿も見えません。残されたのは14名の名誉囚人と、使用人にされていた東欧系の捕虜数名のみ。
 監視が解かれたからといって、帰国の道が開かれたわけではありません。山合の入り組んだ地形の、この一帯はナチスが身を隠す最期の砦と言われており、城を出ても連合軍の元にたどり着く前に武装親衛隊に捉えられる可能性が高いでしょう。戦争犯罪の証人でもあるフランスの要人らは、ドイツ側に不利な存在。捕まったら最期、全員が抹殺されかねないのです。
 まずは武器庫をこじ開けて武装。連合軍からの誤爆を避けるべく、ありあわせの布地を縫い合わせてフランス国旗を作り、塔の窓から掲げることにします。


 救援依頼 ② → レジスタンスへの手紙

 連合軍への使いが出発して丸一日が経過しても援軍の兆しは見えません。彼が任務を果たせなかった可能性を考慮して、連合軍に救助を求める二通目の手紙をしたためます。使者として、是が非でもと名乗りを上げた要人の1人であるテニス選手を退けて、
「自分のような一介の料理人の方が目立たずに動けますから」
 と、勇敢なチェコ人の捕虜クロボットが危険な役目を引き受けました。


 救援依頼 ③ → SS大尉に直談判

 それから要人の代表がいったん城を抜け出し、ふもとの村まで赴きます。近所に在住する武装親衛隊大尉の自宅を訪ね、正式に保護を依頼するために。

 ナチス武装親衛隊の将校に保護を求める?

 逃亡したイッター城司令官により勝手に後任に指名された人物、クルト・シュラーダー。
 彼はそれまでも所用で城を訪れる度にフランスの要人や捕虜の使用人と和やかに言葉を交わしており、自分は実は反ナチであることを、城を警備する親衛隊員らに気づかれないようそっと明かしていました。
 時には妻子も連れだって捕虜たちと個人的な親交を深め、敵味方といった認識を超えた信頼関係が既に築かれていたのでした。

 だから大丈夫なのです。

 正義感の強い28歳の武装親衛隊員で、つい最近も、行動を共にしていたドイツ国防軍の将校らと腹を割って話し合った上で、
「これ以上の戦いは無意味であり、軍人も国民も、もはや不必要な犠牲を払うべきではありません」
 と、所属していた戦闘団の司令官を説得し、部隊の武装解除を実現させていたほどでした。一歩間違えば即刻銃殺されかねない、勇気ある行動です。

 フランス人らが救護を求めてきたのは、彼が怪我の療養で軍務を解かれ、イッター村の妻子の元に戻った矢先のこと。武装親衛隊員としてではなく、罪なき民間人の命を預かる軍人の責務として、フランスの要人を守り抜く覚悟を決めたシュラーダー大尉。
 自分1人では到底無理といえる任務ながらも、ともかく城に赴くことにします。

 そして付近の町にもう1人、反ナチの精神からレジスタンスに協力し、軍の情報や武器弾薬を密かに提供していたドイツ国防軍の将校がおりました。
 34歳にして数々の武勲をたてている歴戦の勇者、ヨーゼフ・ガングル少佐です。
 部下や同僚、上官からも信頼され、尊敬されている好人物でしたが、万が一レジスタンスと通じていることが当局に発覚したら、反逆罪として家族もろともの極刑は免れなかったことでしょう。

 終戦間際、連合軍が迫り来る地域では、多くの民家が窓辺に白旗を揚げ始めていました。これに対し、
「全国民の揺るぎない姿勢が必要なこの期に及んで、抵抗せずして降参とは何たることか!」
 と激怒したヒムラー長官により、
「白旗を掲げている家の14歳以上の男子は全員銃殺せよ」
 という非情な命令が出されます。
 武装親衛隊は忠実に命令を実行し、該当者の処刑のみならず、白旗の家を丸ごと銃撃、破壊してしまうほどの勢いでした。

── 罪なき民間人が、同胞であるはずの軍隊によって虐殺されている ──。

 戦況悪化により、大隊と共に前線から撤退中だったガングル少佐は、

「民間人への暴挙を見逃すことなどできない」

 と、自分を信じて付き従う部下らと共に、上官の同意を得た上で軍を離脱、現地に踏みとどまる道を選びます。


 救援依頼 ②’ → レジスタンス&独国防軍 → 米軍へ直談判

 ガングル少佐が地元レジスタンスと共に町を守る体勢を整えていると、「イッター城から緊急の使い」というチェコ人がフランス要人からの手紙を携えて自転車で現れ、差し迫った窮状を訴えます。
 むろん救出に向かいたくも、町も城も守らねばならないとなると、十数名の自分の部下とレジスタンスのメンバーだけでは到底足りません。

 この際、連合軍に助力を求めるしかなかろうと判断したガングルは、小型軍用車に白旗を掲げて付近に駐在のアメリカ軍の元に赴きます。問答無用で撃たれる危険を最小限に留めるべく、連れは運転手1人のみ。
 米軍兵士らに敵意と共に銃を向けられ、緊迫した空気の中、現場責任者として対応したのは戦車隊長のジョン・リー、通称ジャック・リー大尉。
 海賊的な性格で、いかなる困難にも果敢に立ち向かえる勇気と、27歳ながら冷静な判断力や優れた統率力を持ち合わせ、一年半程度の実戦経験とはいえ、素晴らしい戦いぶりで確実に功績をあげてきた大尉です。

 ナチス打倒のためにオーストリアの抵抗勢力と共に戦っているというドイツ軍将校が、単独で敵陣に乗り込んで来て、城のフランス囚人らを救い出すのに力を貸して欲しいとは!

 大隊の司令官に無線で指示を仰ぐと、「現場の判断に任せる」と。

 ドイツ側の巧妙な作戦かも知れない……。
 半信半疑のリー大尉が、ガングル少佐の案内で現地に偵察に赴くと、城の司令官代理として登場したのは、あろうことか武装親衛隊の将校ではありませんか!
 ヒトラーの親衛隊員は、何があろうとナチスへの忠誠を貫きとおすもの。罠としか思えない展開ですが、シュラーダーとは戦友として互いの真意を確認し合っていたガングルが、
「この男は間違いなく信頼できる」と太鼓判。
 リーも2人を信じ、状況を把握。いったん部隊に戻り、ドイツ軍とアメリカ軍の混合部隊を編成した上で、夕刻には入城を果たします。
 リー大尉の指揮で、迫り来る武装親衛隊への防衛態勢を整えてゆきますが、頼みの綱だった救出隊が予想外に小規模で、フランスの要人らは落胆と不安を隠せません。SS将校は自らが頼った人物としても、何故ドイツ軍が参加しているのだ? 指揮をとるアメリカの若者に経験はあるのか?

 明け方近く、SSの斥候を撃退するといった、小競り合いは生じたものの、大きな動きもないままに、不穏な一夜が明けました。
 一触即発状態の中、一台の小型軍用車が、クラクションを高らかに鳴らして城門の手前に乗りつけられます。
 僅かでも増援をとの要請を受け、ドイツ国防軍ガンガルの部下2名と地元レジスタンスの少年が、敵の警戒網を突破して乗り込んで来たのです。あまりに堂々たる彼らの様子に、包囲する武装親衛隊は疑いもせず、あっさり通してしまったのでした。
 わずか3人の援軍とはいえ、貴重な戦力です。
 なにしろ敵陣は多く見積もって二百名。城壁も戦車も吹き飛ばす威力の対戦車砲に、武器弾薬も充分に備えているのですから。
 まんまと欺かれたと悟ったSS部隊。怒り心頭に達したか、ついに城の上方に砲弾が撃ち込まれます。爆音と共に降り注ぐ城壁の破片。それが合図であるかのように、城を囲む三方の森から機関銃が一斉に火を吹き、砲弾による爆音がとどろきます。

 総攻撃が開始されたのです。

 城を守るのは、ドイツ国防軍15名、アメリカ軍10名に、司令官代理の武装親衛隊員と少年レジスタンス各々1名の、わずか27名による混成軍。
 加えて「地下に避難せよ」というリー大尉の厳命を完全に無視した数人のフランス人も表に出て勇ましく銃を撃ちまくっています。何しろ元将軍も含む歴戦の強者揃い。身を隠した挙げ句に殺されるくらいなら共に戦い討ち死にする名誉を望み、アメリカの若造の命令に従う気など毛頭なかったのです。
 三方向から攻めてくる武装親衛隊に対し、籠城側は数少ない兵士を効率よく配置し、城の守りを固めていました。けれども無線は故障し、電話線も切れ、防衛の要だった唯一の戦車も破壊されて、完全に孤立してしまいます。

 その上、思いがけない悲劇が。

 危険な位置で戦っていたフランス要人の1人を守るべく、とっさに無防備状態で飛び出したドイツ国防軍のガングル少佐が、敵の銃弾に倒れ、命を落としてしまったのです。

 終戦間際における保身のためなどではなく、あくまでも平和を望み、危険を顧みず己の信念に基づいて行動したヨーゼフ・ガングル。
 終戦後、彼はオーストリアの国民的英雄とまつられ、イッター城付近の街には、愛称の『ゼップ』と共に、その名が冠せられた通りが残っています。


 イッター城包囲戦。
 ドイツ・アメリカ混合軍は、要の少佐を失ったばかりか、弾薬も尽きかけています。


 救援依頼 ④ → ①を受けた単独部隊 & 合流米軍

 もはや敵の侵入は時間の問題です。ついに要人の一人、テニスの花形選手ジャン・ボロトラが、
「城を脱出して援軍を呼んでくる」
 と言い出しました。
 これまでに何度も脱走を企てては捕えられ、城に連れ戻されているので、周辺の地理を熟知しており、最適なルートで援軍を案内できると主張します。
 捕まったら最後、これまでのような殆どおとがめなしの甘い連れ戻しはなく、今度こそ銃殺隊の前に立たされかねない。そんな危険な任務を保護対象の要人に任せる訳にはいくまいも、他に手段はありません。敵の位置や戦力に加え、もはや絶体絶命の城の状況を早急に味方に伝えるべく、将校らはやむなく脱走を許可します。

 バレエダンサーを思わせる優美なプレイスタイルから「弾むバスク人」の異名を持ち、フランステニス界の四銃士とも謳われるボロトラ。
 高い城壁も難なく乗り越え、数キロ先の連合軍の元へ急ぎます。途中で武装親衛隊員の見張りに出くわすも、ぼろをまとい、くたびれた寝袋に杖まで携えた演出に加えて、流ちょうなドイツ語で地元のオーストリア農民になりすまし、まんまと包囲網を突破してゆきます。

 彼が目指していた付近の街は、既に連合軍が制圧し、先のクロアチア人捕虜からの救出依頼に応じ、単独で応援に向かっていたクレイマーズ少佐たちや、リー隊長に待機を命じられていた部隊、更に後続部隊も合流し、イッター城に向かう策を検討していたところでした。
 ですが体制を整え、いざ出陣しようにも、城の状況も分からず、敵に邪魔されないルートも見い出せずにいた矢先、貧相な出で立ちながらも、どこか民間人離れした勇壮な雰囲気の長身の男が、軽快な足取りで一同の前に近づいて来ます。
 後に政治家を志し、ケベック州知事となるフランス系カナダ人の従軍記者が即座に気づきました。

 ジャン・ボロトラ。
 どんな身なりであろうとも、この男は紛れもない、史上最強のテニスチャンピオンではないか!

 記者の証言もあって事はすんなり運ぶことができました。ボロトラは敵の規模と正確な位置、安全なルートを軍隊に伝え、自らも歩兵隊を先導して近道に導きます。


 一方のイッター城では、いくら応戦しても数の差で圧倒されるばかり。ついに武装親衛隊のロケット砲が城門に狙いを定める位置に迫ります。

 まさに絶体絶命の、そのとき。

 キリキリキリ……、という戦車の不気味な走行音。続いて自動火器と戦車砲の轟音がとどろき渡ります。

 突如現れた連合軍の大戦車隊!

 装甲部隊のなかった武装親衛隊は到底勝ち目はないと判断したか、応戦することなく撤退して行きました。

 あわやのところで、援軍は間に合ったのです。

 1945年5月5日午後4時。
 この戦いを最後に、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線における地上戦は終結。城は連合軍の臨時本部となり、二日後、ドイツは無条件降伏を受け入れます。



 イッター城での戦いは、領土や名誉のためでなく、無実の人質の救助が目的でした。

 要人を守るべく命を落としたドイツ国防軍少佐、ヨーゼフ・ガングル。
 全責任を持って要人の保護を引き受けた武装親衛隊大尉、クルト・シュラーダー。
 そして敵対勢力からの協力要請を快諾し、見事な手腕で混合部隊を統率したアメリカ軍戦車隊長の、ジャック・リー大尉。

 異なる部隊の勇敢な三銃士を中心に、国籍や敵味方といった概念を超えて協力し合い、僅かな手勢ながらも城の防衛に挑み、ナチスの魔の手からフランスの名誉囚人を守り抜いたヨーロッパ最後の地上戦は、まさに「奇跡の戦い」だったのです。




75.「今さらですが…」に続く



※  F.リスト幻の協奏曲については、下記のコメント欄に説明を添えておきました。ご興味ありましたら…。

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