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「オケバトル!」 56. 抑えてこその魔法の瞬間


56.抑えてこその魔法の瞬間



 しばしの沈黙の後、有出絃人は最低限の注意点から、とりあえず片付けていくことにした。

「『ビゼーのB』、速くなりすぎないで。むしろ落ち着いて、ゆっくり気味に。ピアノ三つですよ! 弦は八小節間はずっとアップで、そっといきましょう。タンブーランに至ってはピアノ四つなのだから、最初のうちは極力抑えて。その上で正確にクレッシェンドしていって、『マスネM』の大合奏でフォルテ三つになってからは、タンブーラン、アクセントなしですよ。ただひたすら無心で叩くだけで良いので」
 pのマークが四つという極弱音量のタンブーランによって民族舞曲「ファランドール」の先導が始まるところから、じわじわと盛り上がりを見せ、元の「三人の王」のテーマに戻り、再び「ファランドール」と交互に繰り返された挙げ句、この二つのテーマが見事に融合して盛大に繰り広げられるクライマックスに至る迄の間ずっと、タンブーランは小節の頭にアクセントがつくので結構神経を使い続けねばならない。
「分かりました」
 タンブーラン担当の女性が明るく反応する。
「後半のアクセント、Pから復活する版もあれば、ミスプリで抜け落ちてると解釈される場合もあるし、どうなのかなと思ってたんです」
 アクセントに注意を払うことなしに、ひたすら全力でオーケイとなると無心で頑張るだけなので、逆に楽なのだ。

「同じ箇所、Mの二小節目から続いていくホルンやトロンボーンの二分音符、フォルテ三つで盛り上がるとはいえ一本調子にならないよう、軽めにすうっと抜く感じで。重なり合う二つのメロディーも、互いにケンカするんじゃなくて、気持ちよく調和するように。それから『ギローのG』、再び『三人の王様』に入る直前の八分音符は、どの楽器もテヌート気味に。ブチッと切れないで。八分休符が感じられないくらいにお願いします」
 音響調整は舞台でと言いながらも、肝心なポイントだけはしっかり押さえておく。その上で、彼らの足を引っ張っている、弱点とも欠点ともいえそうな根本から改善すべき習性も、できるだけ矯正すべく、慎重に話を進めないといけない。
「こうした曲だからこそ、まずはもっと冷静に。テンポをしっかり保ってください。コンマスやパーカッションが必死で抑えようとしてくれてるのに、皆さん、特に弦、熱くなって走りすぎの傾向にありますよ。ラストだって、アッチェルランドなんて指示、どこにも書いてないんですから、急ぎすぎないで」

 初顔合わせで、皆の気持ちを引き立てるような気の利いた言葉を選ぶ気など、有出絃人には更々ない。一同がムカッときたからといって、自分の言葉が必要最低限の指摘で、的を射ていると確信をもっているので、反発や反論など気にしない。

「情熱的で激しい曲であればあれほど、冷静に。熱くならない。個人のリサイタルでは自由に感じていいとしても、オケでは抑えて。とにかく抑えて。抑えていくからこそ、ひときわ輝く魔法の瞬間が訪れるんです」

 プロのアーティスト相手に、なんでこんな初歩的な話をしなきゃならないのかと不安を覚えながらも、初顔合わせなのだから致し方ないか、と絃人は忍耐強く説明を続けた。
「そもそも弦の方々、やたら動きすぎだし、こんなんじゃ、肝心のコンマスの合図が分かりにくい。管も、ブレスの度に身体を大げさに動かすの、まずは抑えていただけません?
 ともかくコンマス以外、視覚的なアピールは極力排除して」

 全員が相当頭に来るが、心当たりがなくもない。微動だにしない奏者と活発に身体を動かす奏者が同じ画面内にいるとしたら、よく動いている奏者に自然と注目が集まり、音楽に完全に身を委ね、より真剣に楽曲に入り込んでいるとの印象を視聴者は抱いてしまうものだが、決してそうとは限らない。とりわけBの仲間はオーバーアクション気味の者が多く、そんな中で自分だけ動きが少ないとなると、どうも居心地がよろしくないのだ。そうした者は絃人の指摘ももっともだと素直にうなずくが、
「ですが自由に動けないんじゃ、音が固くなってしまいますよ。我ら、素直に音楽に身を委ねる自然体のスタイルでいきたいんですけどね」
「そうなんです。それこそが、私たちBチームの特色でもあるんです」
 という意見も弦の前方辺りから遠慮がちに出されるが、絃人は容赦なくたたみかける。
「どうでしょうね。もちろん各々の演奏スタイルや楽器の性質にもよりますが、音が出る前に大げさに身体を動かすのって、自然体どころか逆に音楽を操ろうと外からアプローチしている気がしますけどね。楽譜の内側に入り込んで表現するのではなく」
「ちょっと待ってください」
 今度はセカンド首席の女性がきつい口調で意見する。
「譜面に記された内容を個々の内面から奏でるって発想自体、間違ってません? 私たちオケって『再現芸術家』だと思うんですけど」
 そう言ってる訳じゃないんだけど、分からないのか……。
「ならば正確に再現しましょうよ」
 彼女のへりくつも軽くあしらう絃人。
「個人の感性や本能に従っての無駄な動きは極力排除して、洗練された演奏になるように。皆さん、最初からどこか構えちゃってるんですよね」

 あわや険悪ムード勃発か? と、一同、セカンドの首席の反抗的な態度にはらはらしていたので、「だって楽器を構えるんですから、それ、当たり前でしょうが」なんて、更なるへりくつは控えておくことにする。
「音楽の渦中に自らが巻き込まれないように。どこか別な高い場所、別な次元から曲全体を見渡しているような。どっぷり浸かって自ら溺れていくのではなく、熱く燃え尽きるのでもなく。恐いくらい冷静に。そのほうが、よほど達成感が得られますよ。見せかけの感情の爆発でなく、本物の達成感が」
「そのうち『眉も動かしちゃダメ』とか言い出したりしてね」
 と、木管の間でコソコソ皮肉がささやかれる。とりわけ木管群は、腰をしっかり据えて堂々と構える金管楽器と違い、ブレスに伴う上半身の動きのみならず、目を見開いたり眉を上下させたりと、繊細なニュアンスを「表情で奏でている」といってもいいほど動きが目立つ者も少なからず。
「まさしくそう。表情をやたらつけないと吹けないって、自分で決めつけない方がいいですよ」
 ちゃんと指揮者にも聞こえたか、皮肉は皮肉で倍返しされてしまう。
 音楽に入り込む暗示のように、まず表情やアクションをつけてしまうスタイルを、義務であるかのように長年自らに強いてきた者も多く、そうしないと自由に奏せない自分が出来上がってしまっていた。もはや習性なのだから、「無駄な動きを排除せよ」といきなり言われても無理というもの。
「『どうしても!』って肝心要のところでは、抑えようとしても自然に身体が動いてしまうものですよ。だから大丈夫。曲の全体、すべての箇所が『どうしても』って場面ではないはずでしょ。抑えて抑えて抑えてこそ、肝心要が引き立つんです。それができて、初めて音楽が生きてくるものでしょう?」

 まったく反応が見られないので、アプローチを少々変えてみる。あとひと息。
「まずは身も心も冷静に、ニュートラルな状態を保って。いいですか? 演奏会という場では、会場の音響に加えて、視覚の効果も非常に重要になってきますよね」
 そしてヴァイオリンと弓を構えるそぶりで、「まずは楽譜にすっと自然に入り込む」
 次に良くないそぶりを示して見せる。
「こうやって、えいっ! と、身体を大げさに動かして入り込むのではなく」

 言ってる意味が分かんないよ! と、皆はちんぷんかんぷんの様子。

 いちいち自分の楽器を持ち出して実演するのはもどかしいので、「頭のとこ、やって見せていただけますか」と、コンサートマスターに見本を頼みたい絃人であったが、こうした指示は、ともすれば「魔のプルト攻撃」とも受け取られかねないので、やめておく。

 弦の合奏において、個々の感覚が中々揃わない時や、きちんと弾けていない奏者が紛れているような場合、問題の箇所を仲間の見守る前でプルトごと、つまり二人ずつ弾かせていく「指揮者によるプルト攻撃」は、辛辣な指導ながらも効力はあるので、アマチュアのオーケストラの練習などでは時折見られる光景だ。ひと昔前ならば、プロのオーケストラでも熱血の鬼指揮者によってなされることもあったが、団員一人一人が誇り高きアーティストとして尊重される姿勢が貫かれている昨今は、楽曲を極めるためとはいえ、陰湿な個人攻撃にも陥りかねない厳しい特訓や理不尽な暴言などは、まず見られなくなった。

 そこでコンサートマスターの別所が気を利かせ、「はい、注目を!」と立ち上がり、有出さんの言われるところのニュートラルな自然体版がこうで、逆に外からエイヤッてな感じが、こう。と「三人の王の行進」のテーマを、大げさ気味に違えて弾いて見せた。
「そしてコンマスとしては、今の中間くらいのアクション、こんな感じでいきますからね」
 と、三度目は軽いブレスとともに、分かりやすくもスマートに入って見せる。
 絃人は「まさしく」とばかりに大きくうなずいて感謝の意を示し、
「分かりました? 特にヴァイオリン、コンマスより動きが大きくならないよう気をつけてくださいよ」
 一同に告げてから、別所と信頼の目線を交わし合った。

 後日、本番の収録映像を仲間から意地悪くチェックでもされたら大変なので、トゥッティ群は渋々ながらも、ここは肝に命じて従うことにする。
 それでも、皆で足並みを揃えて長きに渡って築いてゆかねばならないことを、この場でやっつけるなんて雲を掴むような話であったが、
「じゃあ、その魔法の瞬間とやらが現れるのを試してみようじゃないか」
 トランペットの上之忠司が気合いのひと言で活を入れた。
「みんな、抱えてる情熱は内に秘めて。冷静に、緊張感を保ったままラストまで突き進むってことで」

 突き進む……って、いかにも熱きBチーム的な危険な言い回しな気がするし、今はまだ舞台リハの前の準備段階なので、さらりと流す程度にしといて、力配分はとっておいて欲しいんだけどな。絃人は忠告しておきたかったが、せっかく皆が素直にその気になったようなので、まずは様子を見ることにする。
 よし、行きましょう! ということで、今度は極力冷静さを保つべく意識した上で、再び最後まで通してみると──。

 多くの者がぞくぞくっと鳥肌が立つほどであった。

 これはどうしたことか。

 舞台リハも続く本番も、まだこれからだというのに、エネルギーを使い果たしてしまったではないか。
 そのほうがよほど本物の達成感が得られますよ。と言った絃人の言葉どおり、名曲中の名曲すぎて、オケ人にとっては当たり前のようなこの曲が、一同に新鮮な感動と異常なまでの興奮をもたらした。これまでのような、ちょっと熱くなって爆発して、はい、おしまい。熱気もすぐに冷めて次の関心事に向けられる、というのではなく、情熱を抑えることで、むしろ音楽そのものに没頭し、心身ともに消耗した感が大となる。

 これはどうしたことなのか。

 有出絃人氏が、ヴァイオリンにせよ、ピアノにせよ、指揮にせよ、常にこうした姿勢で楽曲に向き合っているのなら、消耗も相当なものなのでは? などと勝手に心配しだす者まで現れるほどだった。

 興ざめになるのを避けるため、絃人は片手でオーケイの合図だけ示し、無言で一同を称えた。




57.「美女とナッツに、ご用心」に続く...




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