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[漫画&ブログ] THIS IS JAPAN! 第14話 ~This is 不良!~

このTHIS IS JAPAN! は元は海外の読者向けに英語で描いた漫画です。横書きなので左から右に読んでください。(普通の漫画とは逆方向です)

このエピソードの原型は、何年も前に作ってストックしてあったものです。最近は連載用のネーム作りに時間を使っているので、ストックの中からすぐに描けそうなものを漫画にする事が多いです。

海外の人達って、結構日本の不良に興味しんしんなんですよね。GTOが色々な国で放送されていたからというのもあると思いますし、90年代の漫画は、不良が主人公の漫画も多かったです。こんなふうに動画にまとめられたりもしています。(Delinquentとは、「非行」みたいな意味です。)

あとリアルタイムな作品では「龍が如く」というゲームが好きな人も多いです。これは歌舞伎町(ぽい架空の街)を舞台にしたヤクザのゲームです。日本でもヒットしました。英語版タイトルは「Yakuza」です。面白いですよね。

海外の人に、何で日本の不良に興味があるかを聞いてみると、意外とサブカルチャーとして楽しんでいるパターンが多いんです。「悪いのってかっこいい!」とかじゃなんですよね。サブカルチャーとは、簡単に言えば社会からはくれちゃった人の文化という事です。漫画やアニメもそうです。漫画は元々は今でいうユーチューバーみたいな社会不適合のアウトサイダーが一攫千金を目指して始める面が強かったですし、アニメはオタク認定されていました。音楽、特にロック方面やヒップホップもはぐれちゃった人達の音楽ですし、プロレスや演劇もそうだと思います。なのでプロレスファンに意外とオタクが多かったり、漫画マニアのラッパーも時々いるんですよね。それぞれ違うジャンルのようで、実は共通点があるんです。そしてそういうアウトサイダーにとってサブカル文化が居場所になっていたのも事実だと思います。そういう大きな流れの中の一つとして不良を見てみると、実はただ「悪い」だけじゃない面が見えてくるんです。それは私の「杉村くん」の基本テーマでもあります。

そもそも私は、「悪い」は人間の基本だととらえています。ほっとくと「悪い」のが人間なんです。だから法律や宗教、道徳、しつけなどのルールを後から作って、悪い事をしないようにしているのです。そして現代の日本はそういうルールをちゃんと守る国です。なので悪い人が減りました。でも人間は悪いのが基本なので、人間の基本からも遠ざかった状態とも言えますよね。だから生きづらさを感じる人が増えているのだと思います。例えれば、人間は一日3万回くらい呼吸をするのが基本なのですが、1万回しかしちゃダメというルールができて、日本人は真面目にそれを守っているので息が苦しいというようなものです。ちなみに私は色々な国の友達がいますが、みんなそんなに1万回ルールに忠実ではないので、みんな楽しそうに暮らしています。それが人間として正しいです。

そういうふうにルールに寛容、言い換えれば「悪い」に寛容な環境は、「弱さ」に寛容であるとも言えます。人間はそんなに完璧ではなく、弱い存在です。例えば高めのレストランでバイトをしていて、でも弱いから仕事についていけず、お客さんが来てもいらっしゃいませ~とお迎えに行くのを忘れたとします。するとお客さんは怒りますよね。やっと気づいてお迎えに行ったらネチネチクレームをつけられるかもしれませんし、あとでグーグルマップのレビューに怒りの長文投稿をされるかもしれません。これは現代日本の、弱さに不寛容な例です。なので多くの人は、自分が優秀なふりをしなくてはいけなくなりました。でもこれ、例えば漫画に描いた90年代のしかも私の地元のような荒れた地域であれば、そもそも高いレストランは無く、あるのは汚い定食屋でしたし、店に入ったところで別に店主のオッチャンがお迎えにくるわけではないので適当に空いてる席に座って適当に頼んで、なんか具が少ないチャーハンが出て来たりしても大して気にせず、食べ終わってるのに友達とグダグダ長居して、このあとバイトだりーわとか言って帰るわけです。その間店主のオッチャンはたばこを吸いながらしょうもない昼のテレビかなんかを見てるわけです。みんなが劣等メンで心底ラクですよね。そしてこういう感じって、今がラクというだけでなく社会に対する安心感でもあったと思うんです。そんなに社会は怖いものではないという。社会が全部高めのレストランみたいな状態だったら、自分の弱さは許容されず優秀なふりをしなくてはいけません。それは怖いですよね。そしてそれは、大人になる事への怖さでもあります。現代人は幼くなったとよく言われます。現代の30歳の顔つきと昭和の30歳の顔つきは全然違うみたいに言われるのも見た事がありますよね。漫画、アニメ、アイドル、ロック音楽など、昔は大人になったら卒業するとみなされていたものが、現代ではみんな卒業せずずっと楽しみ続けます。それは大人の世界が大変だからという事とセットだと思います。

https://note.com/yuki1192/n/n50267e4917f2?magazine_key=m0b7b30a5d458

一方、漫画に描いた不良的な人達、今ほど社会が怖いものではなかった世代でさらに弱さが許容されていた環境の人達は、早く大人になりたがっていました。暴走族は18歳で引退、その後は妻と子供を食わせるために真面目に働く事が、いけてる人生ビジョンでした。もちろん全員がそうなれたわけではありません。…が、「落ち着く」という概念、大人になって後輩の不良に「あんまやりすぎんなよ」なんて人生の先輩として声をかける存在になるみたいな事がクールというイメージは確実にありました。そもそも不良になるのも早いほうがクールで、悪い事は中学生、もしくは小学生からするもので、高校からそういう事をしだすのは「高校デビュー」と呼ばれて格下扱いだったんです。自由にふるまって悪い事で楽しむのは早めに済ませて、早めにそういうのからは卒業して大人になる、それがクールというフワっとした共通の意識がありました。これってすごく精神的に健康的な概念だったんじゃないかと、私はアダルトチルドレンについて勉強していく中で思いました。アダルトチルドレン、言い換えると「心を病んでしまう環境で育った大人」はこの真逆なんです。子供の頃から良い子である事を強制され、自由にふるまえなかったのでそういう気持ちから大人になっても卒業できず、大人になっても情緒が安定しない、要は幼児性が残ったままなので大人になりきれず、それによって心身に不具合が出てしまうのがアダルトチルドレンです。

でも現代って、こういうアダルトチルドレン性を持っているほうが多数派ですよね。さらに、子供の頃からおぼっちゃんというか過保護&過干渉に育てられて、大学で一人暮らしor社会人になって自由なお金が手に入ったら、いきなりハジケだすみたいな人が結構いますよね。私が20代後半の頃、六本木のあたりでバイトをしていたのですが、周りの仕事仲間も六本木で遊ぶようないけいけの人が多かったわけです。今でいう港区女子的な人もいました。基本的にみんな尖っていました。でも話を聞いてると、みんな高校までは真面目なんですよね。大学も偏差値の高い所を出ている人が多かったです。つまり高校デビューどころか大学デビュー、社会人デビューというわけです。そして飲み会も大暴れで、何軒も出禁になっていました。↑↑で、悪い事は中学生、小学生からするもので…という事を書きましたが、小中学生のできる悪い事なんてたかが知れているわけです。頭も悪いしお金もないわけですし。でも大人になってからハジケると、知恵もお金もあるので、出禁になるまでお店で暴れたり、港区女子(…が、悪い事なのかは人それぞれですが)のようにトリッキーなハジケ方をしてしまうわけです。子供の不良の最高峰を暴走族だとすると、大人の不良の最高峰は社会的に弱い女の子とかを利用して大金をかせぐジャンルの人だと思います。そういう意味でも、早いうちから満足いくまで自由にして、いい歳になったら真面目になる、そして自分もそうだったからと他者の弱さに寛容になる、そういう古いヤンキー価値観はそんなに間違ってなかった気がするのです。ちなみにその会社で一番落ち着いていて人当たりも良かった善性の人は、もともと六本木で黒服をやっていた叩き上げっぽい人でした。やはりおぼっちゃんではありませんでした。


少し話がずれますが、最後に私が大学の時に入っていた漫画研究会の話をします。入っていたのは大学1年の時でした。私の大学は立教大学という、端的に言えば偏差値のまあまあ高いおぼっちゃん大学です。青学や学習院なんかのカテゴリです。場所は池袋です。漫画研究会の人達は、そこ以外に友達がいないという人が多かったです。大学なんだし立教だし池袋なんだから外の世界には色々な友達とか合コンとか変わったバイトとか、おもしろは無数にあるのに、漫画研究会で世界が完結していました。授業のノートを見せてもらう友達もいなかったので、留年している人が多かったです。また、端的に言えば、おたくの人達です。一方私は途中から、それ以外の大学の友達と一緒にいる事が多くなりました。そして地元に帰ると地元の友達と遊んでいました。そこで気づいたのです。おたくと不良は何か似ているのです。この内容は前のブログで書いた事があったかもしれません。まだ若いし元気なんだから、外に出ていける選択肢があるのに、外には行かず、漫画研究会でウフウフ、地元のびっくりドンキーでゲハゲハしているほうが楽しいのです。結局私もそうでした。楽しいというより安心というほうが正しいかもしれません。無理して高偏差値だ池袋だ合コンだとか行ったって、地元の中学からの友達とびっくりドンキーでゲハゲハの時間が一番幸せでした。友達みんなもそうだったと思います。みんなが高校やそれ以降の友達の話をしているのを聞いた事がありませんでした。私も中学までの人間関係と、それ以降の人間関係はまるで違う感覚がありました。それはまさに地元が自分の「弱さ」が許容されていた場所だったからなんですよね。小学校から、何なら保育園から一緒で、自分も相手もお互いの弱い所やしょうもない所、何歳の時にうんこもらしたとかを知っている、そして別に合コンみたいなセッティングも必要なく、汚い定食屋の延長であるびっくりドンキーで充分、店内のクーラーが効き過ぎててお腹をくだしても何の遠慮も無くトイレに20分とかこもっていられてむしろそれがギャグにすらなる、そういう場所は地元にしかありませんでした。今回の漫画に描いたとおり、当時の不良の多くは弱い個体でした。勉強はできないから将来的に上級に行くのは無理だろうな~というボンヤリした思いもありましたし、家庭環境が悪かったらそれだけで毎日いやな気分です。だからさらに弱い者をいじめるという事も起きるのだと思います。これは不良に限らずどこでもそうですよね。漫画研究会も一緒でした。おたくの中でもさらにバカにされるおたくが出てきてしまうんです。ひょっとしたらそういう弱い者いじめをされてきた人たちが、六本木で金持ちになって人生をリベンジしてやるという事で、港区女子になったり弱者を利用して大金を稼いでやるみたいになるのかもしれません。何にしても、そういう安心できる地元的な場所を持てた人達は幸せだと思います。まさに安全基地です。「杉村くん」ではゆりかごと表現しました。世の中のみんながそういうゆりかごを持てる事が理想だと思います。そしてゆりかごで安全に過ごせた事で余裕がある人が、他のゆりかごを持たない人のゆりかごとなるのが、幸せの連鎖という事ではないでしょうか。自分も微力ながら、漫画でそういう貢献ができればと思っています。

https://note.com/yuki1192/m/mf3a1e183c1d5

[おまけ]
先日買ったこの本にも、似たような事が書いてありました。ティーンズロードという、昔あった暴走族の雑誌の編集長が書いた本です。こわ~い暴走族の人達もインタビューしてみると、結局は16,7歳の少年少女で、意外と普通で素朴で、何なら都内にある編集部に来たらオドオドしちゃうらしいです。もちろん仲間をリンチして大けがをさせるという恐ろしい一面もあります。でも生き物ってそういうものだと思います。猫ちゃんだってコロコロ言っておだやかになでられてる面と、ゴキブリをいたぶって楽しむ面とがありますもんね。


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