[漫画&ブログ] 杉村くん 第20話 ~RPGツクールくん~
この「杉村くん」のシリーズは、昔の自分をモチーフにしています。実話である割合は高かったり低かったりします。今回のはほぼ100%実話です。高校生の頃は一時期、本当にこういう思考パターンにおちいっていました。危ない所でしたね~。
実は私は中学生の頃は、そんなに不良だと思われていませんでした。それは学校自体の不良レベルが高かったので、私レベルは全然普通だったからです。その後うっかり体育会系の高校に進んでしまって、「ああ自分は不良だったんだな~」と初めて気がついたのです。運動部の人たちは基本、先生とか目上の人に服従しますもんね。髪も坊主なので、かっこいい/ださいという概念も無いわけです。私の高校は体育会系レベルが相当高くて、入学してすぐ↓↓のように山奥でマスゲーム研修が行われるのが恒例でした。ブラック企業も山奥に研修所があってそこで社訓を100回言わされるとかありますよね。それと似ています。
「スポーツ」と「体育会系」って似ているようで結構違うと思うんです。スポーツは競技ですが、体育会系とは集団を統制する手段を指す事が多く、それは軍隊の延長のにあるものです。学校の部活は1970年代に若者がスポーツに触れる機会を増やそうという意味合いとともに、彼らのエネルギーを統制する目的もありました。そして軍隊由来なので体育会系ではしごきとかいじめが起きやすいですよね。実際、私の高校でも弱い者いじめや女の子をバカにする流れが多かったです。それはヤンキーだらけの不良中学には無かったものでした。私が自分の会社をやっていた頃の取引先も体育会系の会社で、セクハラや陰口が多く、病んでしまった女の子もいました。体育会系の世界には先生や先輩からのしごきやいじめがまずあって、「そういうもの」として誤学習してしまい、後輩やより弱い存在に対して同じ事をしてしまうという流れがあると思います。それは私がよく漫画に描く、毒親の毒が連鎖する流れと一緒です。祖母が母にきつく当たり、母が娘にきつく当たり、娘が子にきつく当たるような連鎖です。それは家父長制とか国をあげての戦争の時代の名残もあると思います。上下関係、競争思考、集団主義、女性の地位の低さに表れるような、日本ぽい思考パターンなのかもしれません。とは言え、日本が今のような経済大国になったのは、体育会系マインドによるド根性&女はひっこんで男を支えろというやりかたによるものでした。不況になった現代では、そこに女性も参戦しなくてはいけなくなったのが、新しい生きづらさのもとになっているとも感じます(ちょっと脱線しました)。
私はあまり上下関係を意識しませんし、自分自身もマイペースです。なので体育会系とは真逆のキャラクターでした。なので普通にしているだけで先生に怒られていたんですよね。以前漫画に描いたこの友達はもっとなじめなくて、普通に体育会系の人をシメたりしていました。
私は今も昔も、規則がなんかダメなんです。型にはまる事にすごく違和感があるんです。それは反抗心とかではなくて、自分の事は自分で決めたい欲が強いんですよね。なので流行とか周りのノリに合わせる事もスッとできません。他人と自分が切り離されている感があったんです。みんなが好きなアイドルやお笑いタレントも全然知りませんでした。ジャンプの漫画ですら何だか怖かったんです。そりゃあ世の中になじめませんよね。スタートが家で一人でおりがみですもんね。超超初期段階から異常者センス全開だったと思います。しかもそんな自分がかっこいいという概念もゼロです。それは以前漫画に描いたASD傾向とも関係があるのかもしれません。
唯一、おしゃれ的な事に関しては、割とその時代の流行が自分にとってもかっこいいと感じる事が多かったため、そういう流行に合わせる事は好きでした。不良化したのも、当時は不良ブーム=不良がかっこいいだったからというのもあったと思います。逆に言えばそのへんだけが、自分が他者とつながれる手段だったんです。それだけに、自分の不良性が否定される事、そしておしゃれ的な見た目にもできない事が、自分のアイデンティティ喪失につながって、漫画に描いたようにおかしくなってしまったんだと思います。
高校生以降は、それまで通っていたデッサン教室に加えて大手の美大予備校にも通い始めました。そもそも美大に行こうとする人は変わり者が多いです。今ほど絵に関する仕事、例えばゲーム会社勤務とかグラフィックデザイナーのような分野が少なかったので、「絵を仕事に」という選択肢はとても特殊だったんです。しかも競争率がすごく高いです。一番入りやすい大学でも10倍前後(10人に1人しか受からないという意味です。)で、トップの大学は50倍以上でした。そんなに難しいうえに就職先があるのかもよくわからないのに、絵を描くのが好きというだけで、そこに入るために美大受験生は高校時代に毎日何時間もデッサンの予備校に通うのです。変わり者ですよね。なので私もそういう変わり者の集団ならなじめそうな気がしますよね。でも全然だめでした。全くなじめませんでした。なんだかその変わり者の集団ですら、「変わり者の型」を感じました。「ある一定のタイプの変わり者」というか。なので、浪人時代は朝から予備校に通って丸一日デッサンを描いてるのですが、誰とも一言もしゃべらないのが普通でした。もちろんお昼ごはんも一人です。デッサンが完成した後は毎回、教室に全員の作品を並べて講師が一つ一つ評価をしていく講評会というものがありました。みんなの前でそういう何だかいるんだかいないんだかわからない薄気味悪い杉村くんの作品が、ここがダメそこもダメと言われてしまうのです。受験生はみんな和気あいあいとしているのに、杉村くんの番になるとシーンとなってしまうのです。「杉村?だれだっけ?ああ、あの人…」みたいな感じです。絵もヘタ、集団にもなじめない、変わり者の集団にすら入れない変わり者、途中本当に嫌になって授業を抜けて友達とゲーセンに行ったりもしていました。地元に戻れば昔からのヤンキー友達がいるのです。それが心の支えでした。高校~美大受験失敗までの4年くらいは、色々ちょっとおかしかった気がします。
結局のところ日本人は村意識があるので、どこかの集団に属して安心するものなんですよね。今も自分は何の集団にも属していないわけで、それがうっすらとした毎日の絶望感から逃れられない理由かもしれません。ただ、運が良かったのは、周りにフィットしない事がコンプレックスにはならなかったんです。こんな異常者の自分なんか嫌いだ!とも、高校時代は黒歴史だから思い出したくない!とも一切なりませんでした。普通に同窓会にも行きましたし、今でもこの高校の近くまで行って、バスで通った道を車で走って懐かしみます。デッサン教室も美術予備校も、「ほ~今こんな感じか~」と、中を覗いたりします(デッサン教室はもう無くなっていましたが)。そんなふうに自分の中で良い昇華が出来たのは、今回の漫画に描いた母ちゃんのノリによるものでした。今回の漫画はこのブログを書いている最中に思い付きました。
私の母ちゃんは、「社会的」に特別な所は全然無い人でした。社会的地位が高いわけでもないし、子供の教育に熱心なわけでもないし、正直なところ会話をしていても話をちゃんと理解しているかも微妙なレベルです。ただ、普通の事を普通にしているだけでした。でも現代はその普通が難しいのかもしれません。なぜなら、例えば子育てにおいてだったら、現代には「こうするべき」の情報がいっぱいあるわけです。公立は荒れているから私立の中学校に入れるべき、部活は集団生活を学ぶのに良いからやらせるべき、不況だから就職に有利な技術を身に着けさせるべき…などです。社会的地位が高かったり教育熱心な人ほどそういう所に考えが回って、「こうするべき」を子供に押し付ける率が上がります。不安感の強い人やコンプレックスの強い人、あと頭が良い人も同様です。母ちゃんはそのどれもがありませんでした。頭が良かったりコンプレックスが強いと、現状をどうにかしようとして意識がクリアになりますよね。母ちゃんはそもそもがあまり意識がクリアでない人なので、こうするべきとか何かを押し付けるような事はありませんでした。今回の漫画に描いたような、私がメンタル的に良くない時も特にあれこれ聞いてくる事もありませんでした。いつもマイペースに普通にしていました。そして意識がクリアでないのは私も同じです。ボーっとしてマイペースなわけです。それはつまり自分の中に母を感じるというわけであって、そういう自分が心底愛おしいです。これは私の人生における最大の財産です。
私の母ちゃんの名前は千恵子といいます。千の恵みというわけです。まさにその恵みのおかげで、私は私として今を生きることができています。そういうのはひとり占めしないほうが良いので、その恵みを次に与える相手は、心を病んでいる妻ちゃんです。その次は、同じような人達に「闇子ちゃん」や他の漫画を通して与えられるといいなと思っています。もちろん、特に病んでいない人、私の漫画を変なおじさんの人生漫画として楽しんでくれている人に対しても同様です。何にしても、そういう母ちゃんには長生きしてほしいです。いなくなってしまったら悲しいです。今まで色々な人の、いびつな親子関係を知ってきました。知るほどに、普通だった母ちゃんへの感謝が増します。そして増すほどに、悲しみも増します。ほんの10年前まではこんな事は考えもしませんでした。そういう気持ちでもって、今回のような漫画を描いています。
[おまけ]
校則が厳しい学校に進んでしまって苦労したという人は多いと思います。妻ちゃんを例に出すと、制服の着崩しは完全に封じられていましたし、地毛が茶色い人は子供の頃の写真を提出して「地毛が茶色い証明書」が必要でした。下校時に寄り道しないように、近所の駅いくつかに見張り用の先生が配置されたりもしていました。確か下着の色指定もあったと思います。ちなみに健康診断では上半身裸が絶対ルールです。しかもお医者さんは毎年男です。そういうのって体育会系のしごきと同じくらい、何か生徒の内面に影を落とす気がします。背景にあるのは生徒に対する不信ですもんね。
[おまけ2]
ちょうどこれを描いている時、DMで「何で日本人はみんなおしゃれなの?」という質問をもらいました。アメリカ人のフォロワーからです。私はこれ、校則で見た目の自由を封じられていたのが大きいと思うんです。10代の多感な時期に見た目に関する抑圧を受ける事で、うっすらとコンプレックスが芽生えてしまった人は多いんじゃないでしょうか。現代人のおしゃれって自分を良く見せるためよりは、変に見られないためにのほうが大きいと思うんです。キメキメにするとかブランドものを着るとかのおしゃれじゃなくて、普段着の時点で、そういう意味での意識が高いと思います。彼がおすすめしてくれたアカウントでは、日本には物作りの精神があって服飾品のディテールにこだわりがあるからうんたらかんたらと書いてありましたが、それはどちらかというと私の世代の、ファッションおたく系おじさんの話ですよね。
私も割とファッションおたくというか、1990年代~2000年代の国内ブランドブーム直撃世代です。その根底には今回の漫画のような抑圧が関係しているような気がします。当時、おばあちゃんにおこづかいをもらって渋谷や代官山によく買い物に行っていました。おばあちゃんもおしゃれが好きだったので、そういう分野に孫が興味を持っている事が嬉しかったようです。いつか漫画にしますので楽しみにしていてくださいね。