10.五度目の命日を迎えて。
1月26日。
父の5度目の命日を迎えた。
自分にも家族にも厳しかった彼は
痴呆症になったことで
今までが嘘だったかのように
毎日にこにこと笑顔で過ごした。
当時、父を亡くしたばかりで
憔悴した私に
優しい人たちは、
優しい言葉を何度もくれた。
あなたは充分頑張ったよ、とか
息抜きがてらご飯に行こう、だとか
そんな事言われるほど私は
頑張れなかったのに。
父に関して何もできなかった私が
母の様に落ち込むのは
悪いことの様な気がしていた。
息抜きなんてしてはいけないと思っていたし
気持ちの切り替えなんて
罰当たりだと思っていた。
私は1人で、ただ父の死に浸りたかった。
鈍い悲しみが、
常に喉の奥に引っかかっていて
重くて、苦しくて、
それでも母を支えなければいけなくて
自分の悲しみを、
後回しにするしかなかった。
父が亡くなってからお葬式が終わるまで、
ある意味、夢のような3日間でした。
父が見送られる姿を
一秒たりとも見逃さないように。
姿も、景色も、匂いも、味も、空気も
記憶なんて、薄っぺらいから
形として残したいと思った。
たとえ腐ってしまったとしても
父の肉体を残して欲しかった。
遺骨は、欠片や粉すら惜しかった。
居なくなってしまうことが怖かったから。
終わりがないんじゃないかと思った悲しみも
きっと忘れまいと思っていた言葉も行動も思いも
ほんの少しだけれど、
やはり色褪せてしまった気がする。
それでも、今もまだ
お父さんが居なくなってしまったとは思えなくて
ふらっと帰ってきそうだな、
帰ってきてくれたら何を話そうかな、とか
ふと、思っては
季節のお花とお線香を持って
父のお墓参りへ行くのだ。
父の死を受け入れる準備を
5年経った今も、未だしている。
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