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【記事翻訳】ホラクラシー(Holacracy)の歴史〜進化するアルゴリズムの発見〜

今回は、『ホラクラシー(Holacracy)』著者ブライアン・J・ロバートソン(Brian J Robertson)による、ホラクラシー(Holacracy)の開発からホラクラシー憲法/憲章Holacracy Constitution)4.0制定までのストーリーを語った記事の翻訳です。

ホラクラシー(Holacracy)とは、フレデリック・ラルー(Frederic Laroux)著『ティール組織(Reinventing Organizations)』でも取り上げられている組織運営手法であり、

Holacracy One(ホラクラシー・ワン)社のブライアン・J・ロバートソン(Brian J Robertson)と、トム・トミソン(Tom Thomison)が2007年に開発した役職階層型組織に変わる新しい組織デザインの方法です。

私自身もまた、国内での海外ゲスト招聘プロジェクト、企業、団体などでのホラクラシー(Holacracy)実装とチームのファシリテーションに取り組んだ他、

2019年にオランダで開催されたトレーニングに参加し、開発者ブライアン・ロバートソン本人から学ぶなどしながら、

現在まで7つの組織や団体、企業、プロジェクトにおいてホラクラシー(Holacracy)の導入・運営の伴走といった実践を重ねてくることができました。

一方で現在、国内ではホラクラシー(Holacracy)をブライアンから直接学ぶことなく、そのエッセンスを掴みきらないまま実践に踏み切り、苦い体験をされている企業、組織の声を私自身も聞くことが多いです。

幸いなことに、私は日本初のホラクラシー認定コーチである吉原史郎さんから薫陶を受けることができ、その後、直接ブライアンから学ぶ機会を得ることができました。

ホラクラシー(Holacracy)そのものの解説は、吉原史郎さんの以下の記事及び、新訳版出版に際してホラクラシーのエッセンスについて語られた動画にもご覧ください。

今回、私はそもそもどのようにホラクラシー(Holacracy)が構築されてきたのか、というブライアンのストーリーに迫っていきたいと思います。

どんな優れたツールや方法論であれ、開発者本人のストーリーや背景を知ることなく、その本質を掴むことは難しいと考えています。

今回は、ブライアン自身が語ったホラクラシー(Holacracy)の歴史に関する記事を翻訳しました。

読者の皆さんの、ホラクラシー(Holacracy)に関する理解やチャレンジの一助になれば幸いです。

(英語記事の初出は2014年6月。原文はこちら↓)

以下、早速見ていきたいと思います。

ホラクラシー®の歴史:進化するアルゴリズムの発見(History of Holacracy® The Discovery of an Evolutionary Algorithm)

私はよくホラクラシー(Holacracy)の発展の歴史について、多くの影響とその新しさの源を尊重するように伝えることに苦労しています。

この問題(challenge)は、ホラクラシー(Holacracy)が1つまたは2つの直接の前任者の延長ではなく、非常に多くの影響を受け、それらのすべての組み合わせのスープから成長したという事実から生じています。しかし、もっと重要なこと(challenge)は、ホラクラシー(Holacracy)が発展していく過程そのものが、私を含め、人々がしばしば想定するものといかに異なるかに由来していると言えるでしょう。

私が遭遇する多くの手法は、誰かが一連のアイデアや核となる原理を取り上げ、その原理を具現化し表現するために、その周りにシステムを構築することによって、創造され洗練されていくように見受けられます。

ホラクラシー(Holacracy)もまた、憲法/憲章(Constitution)制定前の初期にはそうやって始まりました。しかし、ある時、自分の考えや理念から生まれたルールや手法が、より良い会社組織のあり方(a better way to organize a company)を追求する上で邪魔になっていることに気づき始めました。

今で言うなら、実際のテンション(tensions:理想と現実の間のひずみ、気づき)に導かれたより経験的なデザイン・プロセスを解放するのではなく、頭で考えてデザインしていたのです。それは、ホラクラシー(Holacracy)がもたらす進化的なプロセスの中で、デザインが出現するに委ねることと(letting the design emerge)、デザインを組織に適用しようとするリーダーのような振る舞いとの葛藤の現れでした。

私は最終的な目標を実現するために、私自身の持っていたシステムがどのようなもので、どのような原則がそのシステムで活用されるべきか、という考えを諦めなければなりませんでした。自分の答えを捨てて、自分の問いに注意を向ける必要があったのです。

その問いとは、以下のようなシンプルなものでした。

組織で仕事をする上で、より良くなるはずの何かを感じ取ることを邪魔するものは何だろう?よりよくなるはずの何かを感じ取る、その意識に基づいて行動し、物事を前進させることを邪魔するものは何だろう?そして、その障害を取り除くには、基本的なシステム設計をどのように進化させればよいのだろう?」

In the context of working in an organization, what gets in the way of sensing something that could be better, and acting on that awareness to move things forward? And then: How can we evolve the fundamental system design to remove that obstacle?

私の仕事は、答えを決めつけることなく(Without presuming an answer)、仮説を立て(hypothesize an answer)、実際に試して、フィードバックを得て、何が効果的かを学びながらシステムをさらに改良していくことという、実験的なあり方となりました。

私は、企業組織がどのように運営される「べき」かという「私の考え」を構築するのではなく、組織の目的を表現するために個人のテンション(tension:理想と現実の間のひずみ、気づき)を処理するシステムを構築する最も自然な方法を探していたのです。

ホラクラシー憲法/憲章(Holacracy Constitution)は、その実験的、進化的な旅(experimental, evolution-fueled journey)から生まれたシステムをコード化したものです。そして、その結果は私を驚かせ続けています。

これは私が当初思い描いていたシステムとは異なり、そもそもこのシステムに浸透させようとは考えもしなかったような原理を、私はこのシステムから引き出すことができるのですから。

ですから、私はホラクラシー(Holacracy)のルールを発見し(discovering)、理解する(capturing)上で中心的な役割を果たしたことは確かですが、それを創り出した(create)のは私ではないと考えています。そのプロセスは、多くの実験を通して物理学の基本法則を発見するようなものでした。

この発見プロセスもまた、現在進行形です。

私たちは、最も自然な組織化の方法(the most natural way to organize)を完全に理解していると錯覚してはいないし、人類とテクノロジーが共進化(co-evolve)し続ける中で、それはとにかく動く目標なのだと考えています。この記事を書いている時点では、ホラクラシー(Holacracy)はver4.0です(つまり、ホラクラシー憲法/憲章はver.4.0ということ)。

ホラクラシー(Holacracy)を適用することで表面化する実際のテンション(tensions:理想と現実の間のひずみ、気づき)に照らして、私たちはこのゲームのルールを進化させ続けます。その中で私たちは間違いなく将来のバージョンを見ることになるでしょう。

実際、ホラクラシー(Holacracy)のコア・ルールが実際に組織に適用された(around the core rules of Holacracy in their actual application)ときに、僕や他の人が経験したテンションをカバーするニュアンス・ノートがすでに何ページもあるのだが、これらはすべてホラクラシー(Holacracy)ver5.0、さらにその先以降への大きな進化の燃料となるはずです。

それらの枠をすべて取り払った状態から、2009年に最初のHolacracy Constitution(ホラクラシー憲法/憲章)が発表された後、ホラクラシー(Holacracy)ver1.0が始まる前の数年間のホラクラシー(Holacracy)の歴史を紹介していこうと思います。

そうして、ホラクラシー(Holacracy)を進化させるための材料となった多くの思想家、実践者、手法、モデルに敬意を表すると共に、最終的に今日のホラクラシー(Holacracy)に貢献することが本稿の目的です。

コードの探求(The Search For The Code)

私がホラクラシー(Holacracyという「コード(code)」を探し始めたのはいつなのか、はっきりと言うのは難しいのですが、話を始めるにあたって、2001年の3月とします。私は高給取りの会社を辞め、Ternary Softwareというスタートアップ企業を設立したばかりでした。その後7年間、このスタートアップ企業を新しい組織的手法の実験場として活用することになりました。

その頃、私たちは会社の目的(company’s purpose)つかむ(capturing)ために何度も反復実践を行いました(went through several iterations)。

そのほとんどは、

「人々が成長するための、考えうる限り最も健康的なシステムを構築する」
“build the healthiest possible system where people thrive”

という表現のバリエーションで、会社の精神(the spirit of that company)を著したものでしたが、最終的には、それを最もよく表していると思われる言葉を見つけました。

「より良い方法があるはずだ。それを見つけ、創り、生きよう」
“There’s Got to be a Better Way — Find it, Build it, Live it”.

私がこの会社を始めたのは、人と共に働くためのよりよい方法を渇望していた(hungry)からであり、それを見つけるための実験場を求めていたからです。

創業当初、私と共同創業者は、脱慣習的な企業(post-conventional company)を運営するため、より型にはまった(conventional)方法を試しました。

私たちは目的を発見して掴み、それを実現するために企業価値を定義し、その価値観に基づいた企業文化の発展にひたすら注力しました。そして、人々に力を与え、人々をサポートし、私たち自身がより意識的にリーダーとなり、学習と発展の雰囲気を作り出すためにあらゆる機会を探しました。

ジム・コリンズ(Jim Collins)、ピーター・センゲ(Peter Senge)、バリー・オシュリー(Barry Oshry)、パトリック・レンシオーニ(Patrick Lencioni)など、より良い企業文化を築くための本を片っ端から読みあさり(devoured)、その影響を受けました。また、心理的タイプやチームメンバー間の個人差の活用に関する研究の第一人者であるリンダ・ベレンス(Linda Berens)からの学びを統合することに全力を尽くしました。

私たちの実験の多くは、

「すべてのタイプの人々がもたらす中核的エネルギーや強みを統合しているか、それとも一部の人々に偏っているか」

“does this integrate the core energies/strengths brought by all types of people, or bias towards just a subset?”

という基準でテストされました。

文化的な実験が中心だった数年後、私たちはプロセスレベルにも焦点を当てる必要があることが明らかになりました。それというのも、私たちは急速に成長しており、構造、プロセス、および意思決定が明確でないことが苦痛になっていました。

私は、アジャイルソフトウェア開発(the agile software development)のムーブメントをその初期から追いかけており、それが大きな飛躍であると見なしていましたので、新しい組織化の方法を模索しているソフトウェア会社にとっては、当然の出発点でした。

そこで2003年、私たちはアジャイルソフトウェア開発の原理と実践から、できる限りのものを会社に取り入れることに集中しました。アジャイルでは、成果を出すためにどのように協力するかを決定する力を持った、自己組織化したチーム(self-organizing teams)が求められます。そこで私たちは、自己組織化したチームの集合体として(as a collection of self-organizing teams)会社を構成し、できる限り彼らの邪魔にならないようにしました。

アジャイルは、予測的な計画や制御メカニズムに対して、適応的な計画や変化への対応を求めており、その原則をソフトウェア開発レベルで実現するための具体的なプロセスを数多く提供しているので、それらを私たちのコンテキストに合わせて採用、適応させていきました。

アジャイルでは、視覚的なプロジェクトボード(visual project boards)情報の透明性(information transparency)を求めていますが、私たちはこれを真摯に受け止めました。私たちの壁は、ある場所では床から天井までコルクボードで覆われ、有用なプロジェクトデータで埋め尽くされていました。

また、アジャイルでは、フィードバック主導(feedback-driven)の進化的なアプローチで設計とデリバリーを行い、経験則に基づいた継続的な価値の流れ(an empirically-grounded and continuous flow of value)を顧客に提供することが求められています。そこで、私たちはそれをプロセスレベルで統合し、文化として根付かせたのです。

アジャイルソフトウェア開発への深化がもたらした影響は、単に「ソフトウェアをどう作るか」にとどまらず、私たちの文化に浸透し、会社経営の原則と実践の基礎を与えてくれました。

アジャイルの原則は、リーン・ムーブメント(lean movement)の原則と非常に重なり合うように、私たちの将来のすべての実験のための道標(guidepost)であり、測定基準(measurement)になったのです。

さらに、アジャイルは、規律(discipline)明確さ(clarity)から得られる驚くべきパワーと解放感をもたらす種を播いていました。このことは、私自身がこの時期に始めたデビッド・アレン氏(David Allen)のGetting Things Done(GTD)メソッドの実践によってさらに強化され(reinforced)、深化(deepened)しました。

組織におけるより深いレベルの規律(discipline)明確さ(clarity)の追求は、さらなるプロセスの実験の重要かつ継続的な推進力となり、その重要性と可能性に対する私の理解は、アジャイル手法の経験によって始まりました。

また、アジャイル/リーンの原則と実践を吸収し適用するこの全期間においては、ケント・ベック(Kent Beck)、ケン・シュウェイバー(Ken Schwaber)、ジェフ・サザーランド(Jeff Sutherland)、マイク・コーン(Mike Cohn)、メアリー・ポッペンディク(Mary Poppendieck)など、この分野の多くの実践者の執筆、教授といった活動からも同様に影響を受けることとなりました。

アジャイルの実践に焦点を当てるのと並行して、私たちは、求めていた自己組織化(the self-organization)のあり方を実現するために、さまざまなグループ・ファシリテーションと意思決定の方法の実験を始めました。

私たちはサム・ケイナー(Sam Kaner)「Facilitator's Guide to Participatory Decision-Making(参加型意思決定のためのファシリテーターガイド)」から技術を学び、さらにアジャイルの原則とピーター・センゲ(Peter Senge)の功績を元に生まれた私たち独自のアプローチもいくつか取り入れました。

これらの初期の実験は、最終的にホラクラシー(Holacracy)におけるの統合的な意思決定プロセス(integrative decision-making process)につながるのですが、この出発点からそこに至るまでには、まだ長い道のりがあり、途中には本当に苦しい会議もありました。

特に印象に残っているのは、2004年末に構造化された合意プロセス(a structured consensus process)を通じて会社のミッション(a company mission)を設定しようとしたことです。最終的にはそれなりの結果を得ることができましたが、そこに至るまでの苦労は相当なものでした。

このことをきっかけに、私は複数の視点を統合するための効率的なプロセスや、組織の目的(the organization’s purpose)に関連する視点に絞り込む方法を模索する一方、人間の努力には常につきまとう個人的な欲望(personal desires)エゴ(egos)から組織の目的を守りたいと渇望する(hungry)ようになったのです。

ソシオクラシー(sociocracy)の発見

次のステップとして、2004年12月、共同設立者の一人が、他の方法を試してみようと「協調的意思決定方法(collaborative decision-making methods)」をグーグルで検索しました。彼は、1960年代から70年代にかけて、ゲラルド・エンデンバーグ(Gerard Endenberg)が開発した組織システムであるソシオクラシー(sociocracy)を発見したのです。エンデンバーグは、オランダで経営していた電気会社でオルタナティブな経営手法を実験していた人物でした。

ソシオクラシー(sociocracy)は、当時私たちがすでに行っていたことと共通点が多く、さらに、私たちにとって新しい興味深い考え方もありました。私たちがアジャイル手法から自己組織化するチーム(self-organizing teams)にフォーカスしていたことも、ソシオクラシー(sociocracy)では「サークル(circles)」という言葉で表れていました。

ホラクラシー(Holacracy)における「サークル(circles)」はこれに由来しますが、今日、ホラクラシー(Holacracy)で使われている定義はソシオクラシー(sociocracy)の意味と異なっています。

ソシオクラシー(sociocracy)はまた、より適応的な舵取り(steering)を可能にする原則を中心に構築されており、これもまた私たちがアジャイル技術から取り入れたものと似ています。

実際、私がアジャイル・コミュニティで最初に見つけた、自然に編まれた自転車(a naturally weaving bicycle)という同じ舵取り(steering)の比喩は、ソシオクラシー(sociocracy)の本の1冊にも出てきました。

ソシオクラシー(sociocracy)は、アジャイルメソッドが提供するものに比べて、これらの原則の深みや具体的な実装に欠けているように思えましたが、同時に私が他で見たことのない斬新なアイデアを提供してくれました。より広いサークルのミーティングに参加する、選出された担当者リンク(rep link)の概念です。このアイデアは私たちの実験において非常に有用であることが証明され、今日までホラクラシー(Holacracy)に現れています。

最後に、ソシオクラシー(sociocracy)は「同意(consent)」を得ることに基づいた構造化された意思決定プロセス(a structured decision-making process)を含んでおり、これは当時我々がすでに実験していたものと似ていいますが、より効果的であるように思えました。

ソシオクラシー(sociocracy)から着想を得たアイデアは、どれもこれも期待できそうなものばかりで、私はそれまで「Ternary Way」と呼んでいたものを、さらに発展させたシステムを見つけたことに興奮を覚えました。

そこで2005年1月、私たちはエンデンバーグが執筆した本を第一の教師、ガイドとして、ソシオクラシー(sociocracy)の残りの実践を採用し、実験を続けました。この段階は2005年から2006年にかけて続きましたが、その間に、ソシオクラシー(sociocracy)は多くの点で大きな前進であると同時に、私が最終的に求めていたものでもないと、その本質を捉える(appriciate)ようになりました。

その同意に基づく(consent-based)意思決定の敷居の高さと、どのような懸念をプロセスに持ち込むのが妥当かという基準の欠如は、個人と組織の利害が無意識に融合する余地を多く残し、日常のエゴが組織の意思決定に入り込み(infiltrate)、遅らせることを許していたのです。

ソシオクラシー(sociocracy)は、包括的で構造化された意思決定プロセスを提供し、フィードバックを組織の上に運ぶための構造的なリンクを提供しましたが、

人々を中心とした組織化(organizing around the people)
vs
仕事を中心とした組織化(organizing around the work)

という重い、俗人的なパラダイム(a heavily personal paradigm)を私たちに残しました。

この点については、少なくとも、私がアジャイル手法の極めて実用的な焦点から経験した程度ではありません。

ソシオクラシー(sociocracy)はまた、すべての意思決定に同意プロセスを使用する臨時の特別会議以外の場においては、従来の管理階層構造( a conventional management hierarchy)と権力を保持するマネージャー(managers holding power)に依存しています。

日々の業務上の意思決定の権限の所在(where authority is held)を定義する「パターン・ランゲージ(pattern language)」のようなものがないことが、真の意味で組織を明確にするための大きな制約となり、私たちが求めていた人と組織の差別化を阻んでいたのです。

この気づきは、私たちにとって分散された権限(distributed authority)へ向かうための一歩でした。

もちろん、私が知っている他のプロセスでもこれらの問題に完全に取り組んだものはありませんでしたから、これはソシオクラシー(sociocracy)の失敗というより、単に未解決の課題(an unsolved challenge)だったのです。

全体として、ソシオクラシー(sociocracy)は私たちのパズルの素晴らしいピースと次のステップを提供してくれました。しかし、それは合意形成主導(consensus-like)な集団における意思決定プロセスを採用している管理階層構造(a management hierarchy)に限定されたものでした。

しかし私は、そのように構築された環境の中で生活し、仕事をすればするほど、従来の管理階層構造(a conventional management hierarchy)合意形成主導(consensus-like)のような方法では、自分の目的を達成することはできないと思うようになったのです。

私は、ソシオクラシー(sociocracy)も含めて、より自律的(autonomy)目的志向(purpose-orientation)の、より迅速な意思決定(rapid decision-making)と進化を可能にするシステムを求めていました。

それは、トップダウンの管理職が直接指揮を執ったり、私がこれまで経験してきた個人志向の集団(personally-oriented group)における意思決定手法の欠点である「合意の専制(tyranny of consensus)」を軸にした文化やプロセスでは得られないものです。

そして、時間をかけて実践していくうちに、役割に応じた業務上の権限(role-based operational authority)と期待を明確にし、配分できるような、より包括的な組織運営システム(comprehensive organizational operating system)が必要であることに気づきました。

人々によるヒエラルキー(a hierarchy of people)ではなく、役割に応じた権限を明確に配分しなければ、「ボスが決める」「グループが決める」に陥ってしまうことになり、どちらも到底、満足のいくものではありません。

また、これらの役割の境界・意味を明確にする(defining)ためには、より俗人的ではないプロセス(a less personal process)が必要であり、組織に関連する視点(organizationally-relevant perspectives)のみが意思決定に影響を与えるような、識別的(discrimination)な仕組みが必要であることも分かりました。そして、私たちのプロセスの核となる相(aspects)を変更し、重要な新しいピースを開発することを検討し始めたのです。

ホラクラシー(Holacracy)の命名

2006年の初め、私は自分たちがやっていることを「ソシオクラシー(sociocracy)」と呼び続けることは誤解を招くし不正確であり、私たちが意図する変化を展開するにつれて、さらにそうなることに気づきました。

私たちは、自分たちが構築しているシステムの名称が必要だったのです。ブレーンストーミングの後、私たちは「ホラクラシー(Holacracy)」を有力な候補として選び、数カ月後に正式に採用しました。

これは、私たちが求めていた精神、つまり、組織のホラーキー(holarchy)な構造によるガバナンス……人々を通してではあるものの、人々によるガバンスではなく、それでありながら人々のためのガバナンスであることを表現しています。(through the people, but not of or for the people)

また、この言葉は全く新しい造語であるという利点もありました。私たちがこの言葉を作ったとき、「ホラクラシー(Holacracy)」のGoogle検索結果はゼロでした。

私たちが意図するこの新しい言葉の意味と、この言葉がブランド化した組織のオペレーティング・システムに何を期待するかを世界に伝える上で、まったくの白紙の状態から始めることができたのです。

この新しく生み出された名前のもとで、私たちは2006年の残りの期間とさらに数年間、実験と進化を続け、このシステムにホラクラシー憲法/憲章(Holacracy Constitution)のver1.0と命名しました。

この段階での私たちの努力のほとんどは、相互に関連する2つの側面に集中していました。まず、明確な役割と期待、権限を持つ、組織内の人々と区別された構造を把握するために、組織のパターン・ランゲージを作り始めました。

そしてもうひとつは、組織構造を生成し(generate)、進化させるために使用する意思決定促進手法のルールを進化させることに取り組み始めました。これにより、組織に関連する視点(organizationally-relevant perspectives)が、エゴ(ego)個人の欲望(personal desires)に邪魔されることなく、構造に影響を与えられるようにしました。

組織構造のための明確なパターン・ランゲージを作成するための私たちの努力は、いくつかのモデルから影響を受けています。

例えば、ケン・ウィルバー(Ken Wilber)インテグラル理論(Intergal Theory)は組織に関する自然でホラーキー(holarchies)な見方について、

また、エリオット・ジャック(Elliott Jaques)requisite organization modelは組織における期待のタイプ(types of expectations)や構造について、

それぞれ、素晴らしい洞察と識別の枠組みについて提供してくれました。

最終的には、今日ホラクラシー(Holacracy)で見られるような構造の初期バージョンにたどり着きましたが、憲法/憲章(Constitution)が起草されるまで、役割の定義の各要素の意味は完全には明らかになっていませんでした。

特に ドメイン/領域(domain)フィールドと、その権限への大きな影響は、憲法バージョン3.0("Scope "という名前)で初めて現れ、バージョン4.0まで完全に具体化されなかったのです。

ドメイン/領域(domain)は今日のホラクラシー(Holacracy)財産権(property rights)システムの基礎を形成しており、また、ドメイン/領域(domain)とは、あるルールに則った共同体・社会が、ある人(agent)の自律性を本当に尊重するために必要な基礎的な要素だからです。

それゆえ、ドメイン/領域(domain)の明確化、具体化以前の初期のホラクラシーを真の権限分散型システムとして分類できるものかどうか、私にはわかりません。

ホラクラシー(Holacracy)の構造とパターン・ランゲージの進化に加えて、意思決定のルールとガバナンスのプロセスも並行して発展していました。

この進化は、主に私自身の観察と実践によるもので、他に役立つ研究はありませんでした。というのも、私は他の意思決定方法がフォーカスしているものとは微妙に異なり、それでいて重大な課題に取り組んでいるように思えたためです。

最終的に、私はホラクラシー(Holacracy)統合的な意思決定プロセス(integrative decision-making process)の初期バージョンを開発することができました。

それは、ソシオクラシー(sociocracy)同意プロセス(consent process)に似ていますが、それぞれの中に異なる区別認識(distinctions)とルール、そして異なるファシリテーションスタイルを持つ一連の機械的なステップを使用するものです。

これらのルールは、ホラクラシー(Holacracy)一度に一つのテンション(tention)にフォーカスすること、ガバナンスの場合とオペレーションの場合のアウトプットを明確に区別すること(distinction)、そして組織が今処理すべきテンション(tentions)と異議(objections)を選別するための全てのルールをコード化したものです。

このプロセスの大まかな初期バージョンは数年後に最初のホラクラシー憲法/憲章(Holacracy Constitution)に現れますが、憲法/憲章(Constitution)にある異議申し立てに関するルールが十分に明確かつ詳細になり、緩いファシリテーションの慣習からテスト可能な具体的なルールに移行するのはバージョン3.0になってからでした。

このルールは、憲法/憲章(Constitution)4.0において、統合のルールと有効な提案(valid proposals)のルールが追加され、さらに大きな進化を遂げることになります。

4.0は、進化に促される意思決定プロセスをさらに強固なものにするもので、高度に統合的でありながら、私が出会ったどのようなものよりも俗人的でない(less personal)ものでした。

ホラクラシーワン(HolacracyOne)の設立

歴史的な正確さを期すために、憲法/憲章改正前(the pre-Constitution stage)の2006年から2008年までの間に行われた上記の実験は、実際には二つの組織に分かれて行われたことを述べておく必要があります。

最初の実験は私のソフトウェア会社であるTernary Softwareで行われ、その後、2007年初めにHolacracyOneという、ホラクラシー(Holacracy)をさらに成熟させ、他の組織で使えるようにパッケージするために新しく設立された組織にほぼ全面的に移行しました。

私は2007年末にTernary Softwareを離れ、HolacracyOneにフルタイムで参加し、この仕事に特化した組織で努力を続けています。Ternary Softwareでホラクラシー(Holacracy)開発に向けた初期をサポートし、その間、私に我慢してくれた皆さんに感謝しています。

特に、共同創業者として会社を立ち上げ、主たる思想的なパートナーとして活躍してくれたアントニー・モーキン(Anthony Moquin)に特に感謝しています。そして、もうひとりの共同創業者であり妻のアレクシア・バウアーズ(Alexia Bowers)、さらにプロセスに重きを置くアジャイルソフトウェア開発者のビル・スコフィールド(Bill Schofield)とガレス・パウエル(Gareth Powell)にも感謝しています。

しかし、何人かの名前を挙げるのは難しいです。なぜなら、会社のほぼ全員が何らかの形でホラクラシー(Holacracy)に貢献してくれていたからです。彼らは皆、素晴らしいスポーツマンでした。最終的にエレガントなシステムにつながる実験は、それ自体がエレガントでないこともしばしばあったからです。

幸い、私の新しいビジネスパートナーやHolacracyOneの共同設立者は雑多な実験過程に参加することに何の抵抗もありませんでした。2007年初め、トム・トミソン(Tom Thomison)と私は会社を設立し、妻のアレクシア(Alexia)も加わり、HolacracyOneの初期チームを形成し、私たちのソフトウェア会社で始めた仕事を継続することになりました。

トム・トミソン(Tom Thomison)

トム(Tom)は私が1年ほど前に出会った連続起業家で、一人の人間として一緒に働くより良い方法に興味があり、私自身のエネルギーと集中力を高めて際立たせてくれる(foli)、完璧に近い存在でした。彼は、他の誰にもできない方法でホラクラシー(Holacracy)に挑戦し、いくつかの重要な領域でそのルールとプロセスをより明確にすることをチームに課しました(forced)。

また、彼はホラクラシー(Holacracy)が創業者の組織との差異化(differentiate)を支援するのと同じように、私個人とホラクラシー(Holacracy)との差異化(differentiate)を支援してくれました。これは私がホラクラシー(Holacracy)を客観的に見ることができるようになり、それを文書化・コード化するためにとても重要な助けとなりました。

最終的に、私たちの協働関係は2009年5月にホラクラシー憲法/憲章(Holacracy Constitution)のバージョン1.0を起草するきっかけとなりました。

このことは、それまでやっていたことをすべてまとめて、客観的に検証可能なシステムとルールセットにすることを後押ししました(forced)。欠点や足りない部分があっても、これは私たちにとって大きなマイルストーンとなり、システムをより簡単にテストし、さらに進化させることができるようになったのです。

2009年、ホラクラシー(Holacracy)ver1.0と憲法/憲章(Constitution)が誕生してから、ホラクラシー(Holacracy)の発展が加速しました。その後、数年間で、バージョン2.0、2.1、3.0、4.0をリリースし、それぞれのバージョンでコアルールが大幅に進化しました。これらを後押ししていたのは、現場でのテンション(tentions)に基づく私たち組織とクライアント企業での経験でした。

ホラクラシー(Holacracy)におけるタクティカル・ミーティング(tactical meeting)の構造はver2.0のアドオンアプリとして正式化され、v3.0で正式に憲法に組み込まれた。この際、パトリック・レンシオーニ(Patrick Lencioni)の仕事はこのミーティング構造とコアルールのいくつかにインスピレーションを与える基本設計図を提供してくれました。

また、この時期にナシーム・タレブ(Nassim Taleb)エリック・バインホッカー(Eric Beinhocker)の仕事を発見し、取り入れました。この二人は、他の多くの人の仕事と同様に、ホラクラシー(Holacracy)の意義とそれを説明する方法について私自身の理解を深めてくれました。

バージョン3.0で達成したもう一つの大きなマイルストーンは、ホラクラシー(Holacracy)の権限体系とデビッド・アレン(David Allen)GTD(Getting Things Done)メソッドのコアな運用コンセプトと洞察を深いレベルで統合したことです。

その時点で、私自身がGTDの実践者であり、デビッド(David)がどのようにこの方法を捉えて伝えていたか、という絶妙な明瞭さと純粋さは、ずっと以前から私自身の仕事において大きなインスピレーションと道標となっていました。

GTD はとても奥深く(profoundly)、「自然(natural)」であるように思えました。人間に与えられた心(mind)と意識(consciousness)の本性(nature)から必然的に生じる、世界に反応し、物事を処理し、組織化するための、最も効果的な方法の発見のように思えたのです。

それは経験的に発見されたシステムと有用な識別システム(distinctions)のセットであり、特定のメンタルモデルや価値体系から来る心の創造物ではありませんでした。

それこそ、私がホラクラシー(Holacracy)に求めていたものです。GTDの実践は、ホラクラシー(Holacracy)という方法がどんな感じなのか、そしてホラクラシー(Holacracy)の発展を評価する基準を最初に与えてくれたものだと考えています。そして、憲法/憲章(the Constitution)ver3.0でついにホラクラシー(Holacracy)GTDを完全に結びつけたとき、私はかなり恍惚としました。( I was pretty ecstatic.)

このほかにも、バージョンが上がるごとに重要な変化(shifts)がありました。この文章ではホラクラシー(Holacracy)の大きな変化についていくつか取り上げましたが、ミクロな進化の総和は、少なくとも同じくらいインパクトのあるものだったと思っています。

例えば、テンション(tension)の処理をより効率的にするため、テンション(tansion)の種類をより簡単にするため、あるいは、時折発生し、順調な流れを狂わせたり(gum up)スローダウンさせる恐れのある潜在的な問題を防止するためなど、大きな飛躍のたびに、ルールセットに何十もの小さな微調整を加えてきました。

そして、この憲法/憲章(the Constitution)を適用しようとする企業がある限り、ホラクラシー(Holacracy)のコア・ルールに関するテンション(tensions)は表面化し続け、その進化の旅を加速させる(fuel)ことでしょう。

しかし、私は、この進化がどのように起こるかについて、大きな変化が起こることも感じている。いろいろな意味で、ホラクラシー(Holacracy)は私とHolacracyOneの両方を追い越すと思うのです。

そして、今後の進化は、より大きなユーザー・コミュニティと、彼らが組織でシステムを適用する際に感じるテンション(tensions)によって、ますます推進されるだろうと思います。

幸いにも、ホラクラシー(Holacracy)を発展させるために、素晴らしいコミュニティが生まれ、ホラクラシー(Holacracy)憲法/憲章(Constitution)の発展における私たちHolacracyOneの役割は、ソース(source)からスチュワード(steward)へ移行しています。

これは私たちにとって新しい挑戦で、まだ進むべき方向性を模索しているところです。しかし、心配はしていません。進化は必要なものを見つけるコツを備えており、その絶妙な冷酷なまなざしを私は歓迎します。

ブライアン・J・ロバートソン
ペンシルバニア州バーチャンビル
2014年6月


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大森 雄貴 / Yuki Omori
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