見出し画像

人々の愛と力の衝動を可能にする構造・実践である「正義」とは何か?変容型ファシリテーションの真髄を探求したABD読書会

今回は、2023年に出版されたアダム・カヘン『共に変容するファシリテーション(原題:Facilitationg breakthrough)』をオンライン読書会で読み解いた際の気づきや学びについてのまとめです。

今回は、同じ書籍を3回にわたってABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎)形式で読み解くシリーズ企画の最終回であり、著者であるアダム・カヘン氏のこれまでの世界各地での経験や実践、そして智慧が凝縮されたまとめの箇所を扱うこととなりました。

『共に変容するファシリテーション(原題:Facilitationg breakthrough)』ABD、前回までの振り返り

第1回の記録では、私がアダム・カヘン氏を知ったきっかけや、ファシリテーターが場に立つ時、ファシリテーターでなくとも集団の中で生じるインナーゲーム・アウターゲームについて探求したことをまとめました。

第2回の記録では、『ネガティブ・ケイパビリティ』と『話し方・聴き方の4つのモード』といったキーワードや方法が、どのように創造的なコラボレーションに寄与しうるかについてまとめました。

第3回、最終回となる今回は、アダム・カヘン氏のこれまでの著作で描かれてきた、実践からの知見や学びなどがまとめられてきた終章を扱うこととなりました。

読書会に参加した皆さんは戸惑いや疑問も抱えつつ、対話の中でそれぞれの探求のテーマを見出していく様子が見られました。

以下、アダム・カヘン氏とはどのような人か等、今回の記録の前提となる情報からまとめていきます。

アダム・カヘン氏とは?

アダム・カヘン氏(Adam Kahane)は現在、人々が最も重要かつ困難な問題に対して共に前に進むことを支援する国際的な社会的企業であるレオス・パートナーズのディレクターを務められています。

レオスは、互いに理解、同意、信頼がない関係者の間でも、最も困難な課題に対して前進できるようなプロセスを設計・ファシリテーションを実施し、アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、オーストラリアなどでセクター横断的な対話と行動のプロセスの支援を実践されています。

これまでに出版された5冊の書籍はいずれも邦訳されています

カナダ・モントリオール出身、ミドルネームをモーセ(Moses)というアダム・カヘン氏は、1990年代初頭にロイヤル・ダッチ・シェル社の社会・政治・経済・技術に関するシナリオチームの代表を務め、その頃に南アフリカの民族和解を推進するシナリオ・プロジェクトに参画しました。

以降、これまでに世界50カ国以上において企業、政府、市民社会のリーダーが協力して困難な課題に取り組むプロセスを整え、設計、ファシリテーションを行なってきた第一人者です。

1993年、後にU理論(Theory U)、Uプロセスを発見することになるジョセフ・ジャウォースキー氏(Joseph Jaworski)オットー・シャーマー氏(C.Otto Scharmer)らとジェネロン社での協働が始まった他、

学習する組織(Leraning Organizations)で有名なピーター・センゲ氏(Peter Senge)の立ち上げたSoL(Society for Organizational Learning)として登壇するなど、現在の組織開発における様々なキーパーソンとのコラボレーションを行なってきた人物でもあります。

私が初めてアダム・カヘン氏にお目にかかったのは、2014年にはアダム・カヘン氏3冊目の著書となる『社会変革のシナリオ・プランニング(原題:Transformative Scenario Pranning)』が出版され、その際に東京で開催された出版記念ワークショップの会場でした。

後に、私が京都を拠点とするhome's viに所属してからも、メンバー同士や組織を超えた研究会などで何度も話題に出ては、意識し続けてきた存在です。

今年2023年3月には、今回のABDでも活用している『共に変容するファシリテーション(原題:Facilitationg breakthrough)』の出版を記念して来日され、その際のプログラムに参加することで久しぶりに彼に再会することができました。

ABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎)とは?

今回の読書会は、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎という読書会運営方法で行いました。
アクティブ・ブック・ダイアローグ®️(以下、ABD)は、有志の研究会がこれまでの読書会の限界や難しさを検討し、能動的な学びが生まれる読書法として探求・体系化したメソッドであり、ワークショップの1手法とも言えます。

ABDの開発者である竹ノ内壮太郎さんは、以下のような紹介をしてくれています。

アクティブ・ブック・ダイアローグ®は、読書が苦手な人も、本が大好きな人も、短時間で読みたい本を読むことができる全く新しい読書手法です。

1冊の本を分担して読んでまとめる、発表・共有化する、気づきを深める対話をするというプロセスを通して、著者の伝えようとすることを深く理解でき、能動的な気づきや学びが得られます。

またグループでの読書と対話によって、一人一人の能動的な読書体験を掛け合わせることで学びはさらに深まり、新たな関係性が育まれてくる可能性も広がります。

アクティブ・ブック・ダイアローグ®という、一人一人が内発的動機に基づいた読書を通して、より良いステップを踏んでいくことを切に願っております。

https://www.abd-abd.com/

2017年、その実施方法についてのマニュアルの無料配布が始まって以来、企業内での研修・勉強会、大学でのゼミ活動、中学・高校での総合学習、そして有志の読書会など全国各地で、様々な形で実践されるようになりました。
ABDの進め方や詳細については、以下のまとめもご覧ください。

今回のABDのプログラム構成

さて、上記のようなとても長い前置きや背景を踏まえて、今回参加させていただいたのは、ABD読書会の手法の開発者・竹ノ内壮太郎さんと運営チーム主催の『オンラインABD読書会 アダム・カヘン新著『共に変容するファシリテーション』をABDで読んでみよう』という会、その3回シリーズの最終回でした。

事前準備として、本書の購入と担当部分のまとめをオンライン上のホワイトボードであるJamボードに入力しておき、2時間半の時間をよりグループでの対話のためにゆったり取れる構成です。

ABDでは、その目的や文脈に応じて複数の異なるワークショップや対話の方法を組み合わせて実施することができますが、今回はピースメイキングサークル(Peacemaking Circle)ワールド・カフェ(World Cafe)という2つの手法が応用されていました。

以下、2つの手法について紹介します。

ピースメイキングサークル(Peacemaking Circle)

ピースメイキングサークル(Peacemaking Circle)とは、1970年代、カナダ人判事のバリー・スチュアート氏(Barry Stuart)とファースト・ネイション(先住民族)の男性ハロルド・ゲイテンスビー氏(Harold Gatensby)の出会いによって生まれた対話の進め方の一つです。

円になって座り、コミュニティの癒しより広い関係性とのつながりへと変容を促すこのプログラムは、一人ひとりが自分の体験/経験を物語り、深く耳を傾けあうことにより、自己理解、他者理解が進み、 チームやグループでは、親密感が高まり、強い共同意識が生まれます。

今回のABDでは、擬似的な焚き火もオンライン上で準備されていました。

黒い背景に焚き火の図が準備されており、参加者の名前が焚き火を囲んでいました

この、ピースメイキングサークルにおいてはサークルキーパー(ファシリテーター)が問いや、グループで話したいテーマなどを投げかけ、トーキングピースと呼ばれる話し手の目印を持った人が、自身の内面から浮かんできたことを話していきます。

トーキングピースを持たない人がじっくり話し手の語りに耳を傾け、話し手は「話しきれた」「次の人へ話してもらおう」と感じたときにトーキングピースを渡し、順番に回していきながら対話を進めていきます。

ピースメイキングサークルについては、以下に詳しいまとめを書いてみましたので、よろしければ参考までにご覧ください。

ワールド・カフェ(World Cafe)

ワールド・カフェは1995年、アニータ・ブラウン氏(Juanita Brown)デイビッド・アイザックス(David Isaacs)氏によって、1995年に開発・提唱された対話のプロセスです。

堅苦しい会議よりも、コーヒー片手に雑談がてら話した方が対話は盛り上がる!盛り上がったついでに、テーブルクロスに対話で話されたアイデアをメモしてしまおう!

そんな2人の経験から生み出され、体系化された対話プロセスです。

オーソドックスな方法は、グループごとの対話を時間を区切って3ラウンド行う方法です。
参加者は、ファシリテーターによって問いかけられる「問い」をテーマに、各グループで自由に話し合いを進めていきます。

各グループは6人以内程度。テーブルクロスに見立てた模造紙が真ん中に

1ラウンド目が終わった時、同じグループのメンバーはある1名を残し、別のグループへと旅立ち、また違った人と次のラウンドをご一緒します。
リアルの会場であれば、開発者2人が使ったテーブルクロスに見立てた模造紙をテーブルの中心に置き、対話の中で生まれる気づきを書き留める等します。
また、テーブルの中心にトーキングオブジェという話し手の目印を置いておき、持っている人が話をし、残りの人が聴くという工夫をすることで、一人ひとりの話を遮ることなく尊重して聴き合う関係性を作ることもできます。

発言が苦手、緊張している場合でも、気づきを書くことで場に参加することができます

そして、最後の3ラウンド目に1ラウンド目と同じグループに戻ってくると、別のグループで話されていた内容が、1つのグループに持ち寄られることになります。

テーブルには対話の中で書き込まれた模造紙も残っており、より豊かな対話の時間を作ることができる、というものです。
詳しくは、以下のまとめもご覧ください。

以降、今回の読書会で扱われたテーマおよび対話の中での気づき等をまとめていきます。

アダム・カヘンの語る愛、力、正義

ここからは、今回の読書会で扱われたテーマおよび対話の中での気づき等をまとめていきます。

本書『共に変容するファシリテーション(原題:Facilitationg breakthrough)』においてアダム・カヘン氏は、変容型ファシリテーション(Transformative Facilitation)というファシリテーションのあり方を提唱しています。

そして、この変容型ファシリテーションの中核的な戦略をより幅広く表現するなら、人々が「愛(Love)」「力(Power)」「正義(Justice)」という3つの要素を用いることへの障害を取り除くことである、とアダム・カヘン氏は表現しています。

ここで、アダム・カヘン氏の意図する愛、力、正義はそれぞれ以下のような定義がなされています。

とは、コラボレーションにおいて、参加者同士や参加者とその状況のつながりとして現れる統一への衝動である。

とは、自己実現への衝動であり、協働する取り組みや自分たちの状況に対する参加者の貢献として現れる。

正義とは、愛と力を実現し、方向づける構造であり、グループ内の平等、彼らの取り組みを通じた平等、状況における平等として現れるものである。

アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』p230

以上の愛、力、正義に関する定義は、自身の実践で得られた体感に沿うものであるとして、神学者パウル・ティリッヒ(Paul Tillich)の用いた表現を元にしていると、アダム・カヘン氏は表現しています。

愛と力については、アダム・カヘン氏は自身の二冊目の著作である『未来を変えるためにほんとうに必要なこと(原題:Power and Love)』以降、彼のファシリテーションの理論の中で中心的に扱ってきた要素でした。

しかし、愛と力だけでは不十分であるとの認識から長い時間をかけて修正され、整理された要素が愛、力、正義であるとのことです。

対話の最中では、この中でも愛、力、正義の定義や意図するシチュエーションがどのようなものなのかについて、読書会に参加した皆さんは対話を進めていらっしゃったように思います。

人と人が協働する際の4つの選択肢

愛、力、正義について迷った時、ふと頭に浮かんできたのは、アダム・カヘン氏が4冊目の著作で紹介してくれている人と人が協働する際の4つの選択肢です。

敵とのコラボレーション(原題:Collaborating with the Enemy)』という少し刺激的に感じるタイトルの書籍では、以下のように人と人が協働する際の4つの選択肢をまとめてくれています。

  • 強制(Forcing)

  • 適応(Adapting)

  • 離脱(Exiting)

  • 協働(Collaborating)

これらの選択肢は、「相手の行動を意図して変えることが可能か?」「現状を自ら変えていくことは可能か?」といった問いから導き出される行動の選択肢であり、人と人の対等なコラボレーションが人間関係においては稀であることを表してくれています。

また、そもそも「現状に対して変化を起こしたいのか?」「人々は協働を望んでいるのか?」という問いに対して参加者からNoが出る場合には、コラボレーションはうまく機能しません。

詳しくは『敵とのコラボレーション(原題:Collaborating with the Enemy)』もご覧いただきたいですが、そのような前提の上でファシリテーションやコラボレーションを扱うことが重要ではないか、と感じました。

あくまで、ファシリテーションもコラボレーションも人と人が共に行動する上での数ある選択肢のうちの1つである、という前提です。

正義についての探求

今回の読書会では、各グループごとに「正義」についてさまざまな探求がなされていたようでした。

日本風に表現するなら、正義はどのような表現になるだろうか?
正義は、誠実や公正等に言い換えられないか?
多様性を認めることが正義ではないか?
各国や民族による宗教観によって正義の定義そのものも変わるのでは?

いくつかの論点がありますが、私自身の思い浮かんだものから2点、正義について探求してみようと思います。

人の発達段階から読み解く正義

まず、第一に思い浮かんだものが、ケン・ウィルバー『インテグラル理論』における正義の扱いです。

人の意識の発達と、社会全体の意識のあり方について多様な視点から探索を進めたケン・ウィルバー(Ken Wilber)は、アメリカの心理学者であるクレア・グレイブス(Clare Graves)の研究をもとに構築されたスパイラル・ダイナミクス(Spiral Dynamics)という人の発達の指標について紹介してくれています。

人が生まれてから社会性を身につけ、そして社会性を持ちつつも自律的に自分の行動を選択していけるようになっていく、というような発達段階を、スパイラル・ダイナミクスでは、徐々に色が移り変わっていく螺旋のモデルと、各段階ごとの人の考え方・行動の特徴として表そうとしました。

今回、アダム・カヘン氏の書籍で扱っている「正義」というキーワードを耳にした時、思い浮かんだのはこの「人の発達段階におけるグリーン段階の危険性」でした。

ケン・ウィルバーが『インテグラル理論』で紹介しているグリーン段階は、科学的な合理主義、物質的な利益を追求、自分たちの目的の実現、達成主義といった傾向の強いオレンジ段階を経て迎える段階です。

グリーン段階の特徴としては、冷たい合理性ではなく気持ちや気遣いを尊び、階層型組織(ヒエラルキー)に反対し、他者との対話、関係性を重視すること、また、多様性を重視し、多文化主義、多言的相対主義的な傾向を持つ、といったものがあります。

では、本書の述べる正義の実現とは、このようなグリーン的な傾向を持つことなのでしょうか?

ただ、グリーン段階の認識が誤って用いられる場合、「グリーン段階が大切にすべきとする多様性の中から、達成主義や合理性、階層性が排除される」といったことが起こり得ます。

このほかにも、「俺は俺。お前はお前」といった分裂型の多元主義に陥ってしまう危険性や、「誰も私に指図するんじゃない!」という幼児的・自己愛的傾向を強化してしまう危険性も持ちます。

こう考えた時に、アダム・カヘン氏の述べる、愛と力を実現し、方向づける構造・実践である正義とは、改めてどのようなものなのか気になってきました。

著者の意図する正義のあり方は?

ここで、再びアダム・カヘン氏の著作『共に変容するファシリテーション(原題:Facilitationg breakthrough)』の記述に戻り、正義について他の箇所についても見てみようと思います。

すると、このような表現が見つかりました。

正義とは、より高い目的に向かって愛と力を十分に活用できるように、構造的な障害を取り除く実践なのである。

アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』p245

この表現が見つかった時、私が思い当たったのは、アダム・カヘン氏のグアテマラで体験したワークショップでの出来事でした。

1998年、グアテマラでのワークショップ以前、グアテアラでは1960年から右翼政府と左翼反政府勢力の内戦が起こっていました。

1996年、この内戦に関わった当事者たちは和平協定に調印したものの、内戦の爪痕は色濃く、和平協定の履行のための道筋をつけるためのワークショップにおいても、集まった閣僚、軍やゲリラの元指揮官、実業家、ジャーナリスト、先住民の間には疑心暗鬼が渦巻いていたといいます。

その際、参加者同士で輪になって行われたストーリーテリングの際に起こったエピソードを、アダム・カヘン氏は紹介してくれています。

ストーリーテリングを行なった1人であるカトリック教会の人権調査担当者であるロナルド・オチャエタ氏は、内戦中の大虐殺の犠牲者を葬っている共同墓所の発掘調査を行なった際の出来事を語った時のことです。

墓から土が取り除かれた時に見慣れない小さな骨が多数あることに気づき、法医学者に尋ねてみると、虐殺された方の中には妊婦もいて、その小さな骨は胎児のものだ、と語ってくれたとオチャエタ氏が話しました。

その時のオチャエタ氏は、虐殺に対する非難でもなく、憎しみでもなく、誠実に穏やかにストーリーを語り、その後、会場な完全な沈黙に包まれたといいます。

当時を振り返った参加者の中には、誰もが心を揺さぶられるような体験だった、何か大きな聖なるものに直面しているような感覚だった、と振り返る方もいたとのことです。(詳しくはアダム・カヘン氏の一冊目の著作にて)

このエピソードは、本書中の愛について、参加者の中につながりが生まれたこと、「こうしたことを二度と繰り返さないために、懸命に努力しなければならない」と参加者間に共有されたエピソードとして、紹介されていました。

ここで私は、もしかしたらこれは正義のあり方の変容の瞬間だったのではないか?と感じました。

右翼政府と左翼反政府勢力の内戦と、政府による虐殺は互いの正義を実現しようとした結果でした。その結果、未来ある胎児の命すらも奪われる結果となりました。

その中で「こうしたことを再び起こることを防ぐために」自分たちの状況、すべきこととも深く繋がれた、というのは、より高い目的のために愛と力が表現されるためのパラダイムシフトだったのではないか、と感じたのです。

まだまだ、正義のあり方については参加者の皆さんそれぞれによっての見解もあると思うので、この点に関してはより深く対話していきたいところです。

対話を経て:私たちは何から始めるか?

対話の中で、読書会のファシリテーターを務めてくださっていた竹ノ内さんは、『一連のプロセスの中で、新たに生まれてきた問いがあったら、それを出してみてください』と参加者に促しました。

私の中に浮かんできた問いは、

今、あなたが愛、力、正義という衝動を健全に活用することで、実現したいことは何ですか?

という問いです。

愛、力、正義……それぞれ、バランスを失って活用するとそれらを強制(Force)してしまう危険性を秘めています。

だからこそ、健全な心身の状態から浮かんでくる愛、力、正義の衝動によって実現したいことは何なのか?皆さんに尋ねてみたくなりました。

また。アダム・カヘン氏のファシリテーションに関する知見や、愛、力、正義について学んだとしても、私たち一人ひとりに固有の人間関係、環境要因、条件といった制約が存在します。

その中で、自分の中に息づく愛、力、正義の衝動をいかに発揮していくか?

どのようなシチュエーションで、どのような対象に対して発揮していきたいか?

このようなことも気になってきたのです。

3回シリーズの読書会を経て、さらに探求してみたい問いも出てきてしまったのですが、また、今回読書会をご一緒できた皆さんや、この記録を読んでくださった皆さんとも対話できる機会を作っていければと感じています。

私自身の最近の心境としては、今回のようにとても充実した内容の本は折に触れて何人かの仲間で読み直し、語り合うことが大切なように感じています。

こちらの投稿のようなアイデアも最近、お会いする方々にお伝えもしていっているのですが、もしご興味があればまた場をご一緒し、共に探求できれば嬉しいです。


サポート、コメント、リアクションその他様々な形の応援は、次の世代に豊かな生態系とコミュニティを遺す種々の活動に役立てていきたいと思います🌱