これから先
これからの人生って、あとどれくらいなんやろう。
こんな事をたまに考えたりするけども、もちろんそんなん知ったこっちゃないに決まってる。
こんな事をたまに考えたりする時って、ほんのちょっと思い悩んでたりする時が多いんやけど、そういう時に考え込むと良くない方向にばっかり行ってしまう人も多いと思う。
あとどんくらいで死ぬんやろうか。
あとどれくらい生きていられるんやろうか。
ものは考えようとか、ものは言いようって言うけれども、これってほんまにおもしろいなと思う。
考えてるものの元は同じでも、ちょっと考え方が違うだけで結構運命って大きく変わってくる気がする。
一分八間っていう言葉ある。
手元で一分(約3㍉)違ったら、先になると八間(約14.5㍍)もの違いができるというような意味やけど、ほんとにその通りだなと。
この一分は、いろんな事に当てはめられると思うのだが、例えば夢に向かって一直線みたいな事を言いながら直線から一分ずれたとして、そのまま進んで行ってしまったら、行き着く所は夢とは全然違う所になるのは当たり前の話。あくまでも言葉の中の世界の話やけども、これは車とか運転する人ならよく分かる事やと思う。
真っ直ぐの道に対して、ハンドルが真っ直ぐから一分でもずれてたら、だんだん横に逸れていってしまう。当たり前の話。
というように、考え方も一分違えばその先の未来は大きく変わるんだろうと思う。
でも、さっきの夢に向かって一直線からずれたからといって、かえってそっちの方が向いたりする事もあると思うし、決してずれる事が悪い事とは限らへん。ずれも運命のうち。引き寄せられるものも必ずあるはず。
話を戻して、ものの考え方一つで運命は変わる。と本気でそう思うのだが、今回は考え方の一つとしてあげたいのは、先を永く思う事。
先を短く思ったら、生き急がないといけない。
急がないといけない時もある。けども、常に急いでたらその分疎かになってしまう事も出てくると思う。立ち止まるという事を全くしなかったら、自分が今なにしてるのかも分からないような事になってしまう人もいる。
そこで、先を永く思ったら急ぐ必要はなくて、よく学び、よく考え、その上で目的を持ちつつも修正もできるし、ちょっと立ち止まったりして呼吸を整えて自分の信じる道を明確にしながら進んで行く事ができるんちゃうかなって。
ゆっくり進め、っていう訳でもないけど、基本の元はそうなんかなと。
先を短く思ったら急がないといけない。
先を永く思ったら急ぐ事は要らない。
急いでいる時って、思わぬひらめきもあったりするけど、ひらめいても尚、急ぎ続けてたらせっかくのひらめきが台無しになる事もあった。
ひらめきは心にぽっと浮かぶもので、これは神様からの贈りものなんやって、自分は考えるようにしてるんやけど、贈りものを貰ったらまずは立ち止まってみて、その贈りものの意を考える。その上で、その贈りものを最大限に活かせるように行動していく事が大切やと思う。
そのためにも、先を永く思う事で落ち着いて考えられるし。
でも、そんな悠長な事言ってられへんって思う人もいるかもしれない。けれど、
思うは招く。
自分の心で思った事は、その思った通りに自分の目に映る世界に現れてくる。
これを信じるとか信じないとかは置いといて、人は思った事しか出来へんし、思った事がその人の全て。
先を永く思えば、そう思うように先永く生きていける。
先を短く思えば、そう思うように先短く生きていくようになる。
どっちがいいんやろう?
先は永い方が夢はあるよね。
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