木村拓也コーチ

今日4月7日、プロ野球読売巨人軍の木村拓也コーチの死去から10年が経った。

平成22年4月2日、シートノック中に木村拓也コーチがくも膜下出血で倒れた。

その後、意識は戻ることなく5日後の4月7日に息を引き取った。37歳だった。

当時、私は中学3年生。
2年生の頃から急に巨人に興味を持って以来、巨人一筋で今年11年目になる。

興味を持ち始めたときの巨人は強かった。
リーグ優勝3連覇がかかる年だった。

その年のシーズンは、木村拓也コーチの選手現役最後のシーズンになった。
このシーズンで、巨人ファンなら誰もが知って忘れる事のできない出来事がある。

詳しい事は省くが、それは木村拓也選手が捕手として10年振りにマスクを被ってキャッチャーを務めたこと。

そして、その年巨人は見事に3連覇を成し遂げ、更に日本一にもなった。

日本一を初めて経験した木村拓也選手は、現役の引退を決め、そのまま巨人の内野守備走塁コーチとなった。

コーチとして初めて迎えたシーズン。

開幕からまだ幾日しか経ってない4月2日、急に倒れてしまった。広島の球場で倒れた。

このニュースの衝撃は、10年経った今でもはっきりと覚えている。

そのまま帰らぬ人となった木村拓也コーチ。

衝撃に加えて、壮絶な哀しみに襲われた。
中学3年生の私は、泣けるだけ泣いた。

平成22年4月24日、東京ドームで巨人対広島戦が木村拓也コーチの追悼試合として行われた。

その試合での始球式を務めたのが、木村拓也コーチの長男だった。

母親と巨人広島の両ナインとファン、そして木村拓也コーチが見守る中、投じられた一球は見事なストライクだった。清々しい顔をしながら、阿部慎之助捕手からボールを受け取り声を掛けられ、巨人ナインとハイタッチをして原辰徳監督が両手を握り声を掛けた。そして母親の元へ戻っていった。

https://youtu.be/h4FRrqEldFI

これは何度見ても、涙がこみ上げてくる。

追悼試合は広島がリードしたまま、8回裏の攻撃を迎えた。
早い話が、この回に木村拓也コーチの同級生だった谷佳知選手が逆転満塁ホームランを打ったのだ。

私は、この試合を奇跡の試合だと思っている。

一生、忘れる事のない試合の一つ。



あれから10年。

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