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消えない灯りと、自分が優しくなれたような気のする夜。

ぱんぱんの風船からふしゅーーーと空気が抜いてもらったような感覚だった。

今は行けない遠い町に、私の大切なちいさいお店がある。
東京の西荻にある、「ニヒル牛」というお店だ。てづくり作家さんが集う。最近よく見る、箱貸しをして、その中に自分の作品を置くスタイルの先駆けとなったお店である。

たま、というバンドのメンバーの石川浩司さんがプロデュースしたお店で、昨年が20周年だった。

小さなお店の中でライブ企画もたびたびされているのだが、このコロナ禍でそれをオンライン配信してくださった。

その2020年総集編の配信を、見ていたのである。13組もの、さまざまなジャンルのアーティストの方々のライブが3時間ほどの映像にぎゅぎゅっと詰め込まったものだった。

ふとんの中に座椅子を持ち込み、ろうそくランタンに灯りを灯した。

そして同じく西荻のお店で買ってとってあったお茶を、隣に置いた文机の上でお湯を沸かして淹れた。

実はニヒル牛さん、私はとてもとてもお世話になっている。

東南アジアへの1ヶ月放浪のきっかけになったのはここで出会った本だったし、それを助けてくれたのは、お店の店番さんやお店に作品を置いている作家さんたちだった。

実際にタイで私をバイクの後ろに乗っけて走ってくれたのも、ここの作家さんだった。

ニヒル牛さんとの思い出は、また別の機会にも書きたいな。
とにかくとてもとても、素敵なお店だ。

それでそのお世話になった方々がこのライブフェスにも関わっておられたから、そのときのことを懐かしく思い出しながら拝見・拝聴していた。

そういう事情を差し引いても、大いに笑い、泣いた3時間になった。

やっぱり、人は歌うことで人として生きていけるのだと思った。前に作ったお話の男の子も同じことを言ったけど、人は音楽から生まれて音楽へ還るのだと思った。

大袈裟かな。

歌うことの力とかそういうことでもなく、流れるように自然な、呼吸のような音楽に触れさせてもらった。
 
ここのアーティストさんたちにとって、歌うことと息をすることはきっと同義だろう、そう思った。

私自身、今会いたい人は家族含め多くが遠方だ。同じ府内の友人も、仕事柄なかなか会うわけにいかない。

そんな中で、ちょっとずつちょっとずつ磨耗して、膨らんでしまっていた心の風船の空気を、ニヒル牛さんのライブは抜いてくれたのだった。

途中で帰宅した妹は、姉のそんな雰囲気を察して、風呂のシャワーの水量とドライヤーの風量をそっと下げてくれた。感謝。

ぜんぶ聴き終わって、ろうそくの灯りを吹き消してふとんに入った。

そうしたら、火は消したのに、なんだか明るい気がした。自分の中に灯りが灯ったような気持ちになったのだ。

こんな感覚は久しぶりだった。あったかくて、ふわふわしてる。

自分がちょっと、優しくなった気がする。

ニヒル牛さんは、できる限りの対策をして、お店の扉を開けつづけてくれている。そして、スタッフさんの考えや、意見や、お店での出来事やお客さんとのやりとりをずっと発信しつづけていてくれる。
 
自分が行くことは叶わないが、大切な場所がちゃんと、あの町に在ってくれる。

そして今回のアーティストさん方の選曲や歌詞や表情からは、それがきっと消えない灯りだと、そんな呼びかけが聴こえてきたのである。

それが今の私にとって、どれだけの力になっているだろう。

本当に嬉しかった。

そして、そのお礼を明日手紙に書いて出そう、そう思って目をつぶって。

「明日が楽しみだな。」

と自然に湧き出した気持ちは、もうずいぶん感じてなかったものだった。
 
自分がそう思えたことにも。
そう思うの自体久しぶりだと気づいたことも。
 
自分で自分に静かにびっくりした。

生かされた、そう思った。
大袈裟じゃなく。

「私たちはこの惑星を飾る電飾のようだ」とあるアーティストさんが歌った。

遠く宇宙から眺めれば、生まれては消える私たちは点滅する光の粒だと。

こんな柔らかな表現を私は知らなかった。

その小さな光を抱いて、今日も眠ることにしよう。

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