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他人の目よりも気になるのは自分の目
趣味で楽器を習っていまして、先日、発表会に出演しました。これまでにも何度か出ていたのですが、晴れの舞台だからと、毎回、自分の演奏を録画していました。
ですが、今回は、あえて録画をしませんでした。というのも、発表会に向けて練習している時に、自分の演奏をスマホで録音してみたのですが、一人で練習してたのに、なぜかとても緊張したんです。
『もしかしたら、本番でも録画していることが気になって、余計に緊張しているのでは?ただでさえ人前での演奏で緊張しているのに。』
そこで、今回は思い切って録画をやめてみました。すると、今までよりもリラックスして演奏できました。間違えたとしても、「録画していないんだし、自分もお客さんもそのうち忘れるでしょ」、という感じです。
むしろ、記録に残らないんだから、自分の記憶には残るようにしたい。そのために、演奏しているその瞬間を十分に感じ切ろうと思えるようになりました。おかげで、他のパートの楽器の音やお客さんの反応など、その場の雰囲気を味わい、楽しむことができました。
録画のありなしで、なぜこんなに違うのでしょうか?自分が録画していてもいなくても、お客さんは同じように観ています。違うのはカメラが見ているかどうか。では、そのカメラで録画したものは誰が見るのでしょうか?そう、自分です。
つまり、他人の目よりも自分の目を気にしているのでは?他人の目を気にしがちだとは自覚していましたが、それ以上に自分の目を気にしているとは驚きました。
自分の目が気になるというのは、自分に見られるのがイヤということでしょうか?それとも、自分の不完全なところを見つけそうで、自分を見るのがイヤなのでしょうか?自分に見られる自分と自分を見る自分。なんだかわけが分からなくなってきました。
まだ具体的に言語化できるほどにはこのイヤな感じを理解できていない状態ですし、今はこれ以上深くは考えられそうにありません。すでに個人や哲学とか心理学とかの分野で考えている人がいそうな気がしますので、その辺りも調べながら、ゆっくりと考えてみたいと思います。
ちなみに、実はこの発表会の時、友達がスマホで録画してくれていたので、後から自分の演奏を見ることができました。今までよりものびのびと演奏しているなと、我ながらに感じました。
録画があれば見るので、自分を見るのがイヤではないのかなぁ…。謎は深まるばかりです。