退職という選択2
今日は2つ目の「やりたいことが見つかった」について書いてみようと思う。
わたしは小さな頃から絵を描くことが好きだった。
小学校の頃、たまたま絵で表彰されたこともあった。このころから、絵の世界に行きたいという漠然とした思いを抱きながら、中学、高校へと進んだ。
まだ私が学生の頃は芸術やデザインの仕事も少なく、その世界で活躍している人たちはどこか浮世離れしていて、選ばれた、ごく一握りの人間だという認識だった。
だからこそ私が芸大に行きたいと伝えた時、両親は猛反対した。
「卒業しても就職できない」「ニート(その時代、そんな言葉があったかどうかは定かではないが)になるのか」
そんな言葉を投げかけられたと思う。
そんな両親に反抗して自分の意志を貫く度胸と根性があれば人生は大きく違っていただろう。もちろん当時のわたしにはそんな度胸と根性はなかった。
浪人の末、4年生の大学に進学し、一般の会社(この段階では民間企業)に就職した。これまで努力をしてこなかったわけではない。むしろ努力は人一倍してきた。ただ、夢を追いかけるということからは逃げてきたように思う。
社会という安心・安全な枠組みの中の一つの歯車として回ることに慣れきっていたのかもしれない。
その中で動くということしか頭になかった。
可能性が低いこと、リスクが高いことは、鼻から挑戦せずにいた。
「今から芸大にいってみようか」
そう考えるようになったのは、決してプラスな出来事からではない。
どちらかといえばマイナスの出来事からだった。
公務員になってから、とある部署で、鬱症状のある同僚2人に出会った。
一人は鬱症状が改善し、随分と症状は落ち着いていたが目は死んでいた。
もう一人は、躁鬱と言われる症状で、本当に苦しそうだった。
躁鬱は躁と鬱を周期的に繰り返す。1週間で半分人格が変わるようなイメージで、彼の場合は鬱の時は、声は小さく、生気がない、トイレで嘔吐を繰す、電話にでない、仕事もしない、途中で家に帰ってしまうこともしばしばあった。
反対に躁の時は、他人の仕事を奪い取るような勢いで仕事をこなす、バリキャリになる。
見ていて恐ろしかったし、苦しそうで気の毒でもあった。
そんな彼らと過ごす間に、わたしはなんのために仕事をしているんだろう。
このままここにいて、わたしはやりたいと思えることができているのだろうか。
苦しい思いまでして、命を削ってまで続ける仕事ってなんだろう。
そもそも、やりたいことってなんだったんだろうと考えるようになった。
公務員は鬱病が多い。復職した人も入れれば、部署に1人くらいはいるのではないだろうか。
そんな時、思い出したのが「芸大」だった。
芸大に行きたい。
時間さえ作れば自分のお金でもう一度大学に入ることができるのではないか。
学生時代の夢を定年退職まで待つ必要があるだろうか。
行きたい。そう思った瞬間に行っても良いんじゃないだろうか。
働きながら学べる大学はある。だったら、挑戦したい。
次の瞬間、資料請求ボタンを押している自分がいた。