味噌
水曜日、かなり遅ればせながら味噌を仕込みました。
例年なら2月中に仕込んだら優秀なほうで、3月になることもあったのですが、今年はこの暖かさなので、気分的には3月下旬くらいに仕込んだような気分です。
麹の入手が計画的でないとか、豆の煮方が少し足りなくて潰すのが大変とか、数々の小さな反省点はありますが、何となく心穏やかになるのが味噌作りの不思議なところ。
お味噌だけでなく、梅干しとか干し柿とか、出来栄えやトラブルが天候に左右されるものを作っていると妙に安堵するのは、自分も何やら自然の一部であるような気がするからなのかもしれません。
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ところで、味噌作りをしていて思うのは、自分の家の調理器具のサイズに合った量で作るのが一番楽だということです。
例えば豆1kg分を仕込もうと思うと、我が家の鍋もボウルも何もかもが小さいのです。
折角まとめて豆を煮ても、潰すのも纏めるのも何分割かにしなければなりません。
我が家の鍋やボウルで仕込むなら、豆は500gが最適。もし1kg仕込みたいなら2日に分けます。その方が楽なのです。
大きな調理器具を買うべきかとも考えるのですが、1回分が楽だから2日繰り返してもあまり苦にならなくて、見送っています。
でも、これはひょっとしたら老い?
若い頃は、何でもまとめて一度に済ませてしまおうとしていたように思います。
でもまとめるとしんどいことが増えました。パンをこねるのもお菓子を作るのも、少量なら楽なのに、たくさん作るとしんどい。
今は何でもちびちびと、なるべく大ごとにしないでさらりとやりたい気持ちがあります。
逆に考えると、大ごとにしないからこそ何度もできるのかもしれません。
若い頃は、お味噌を仕込むのもパンやお菓子を作るのも何だか大ごとでした。
豆を煮て、麹と塩を混ぜて容器に詰めることの何がそんなに大ごとだったのか、でも家中の大きいボウルや鍋を総動員して、キッチンをもので一杯にして、あれはちょっとしたイベントでした。
いまは、そんな気負った感じはなくなりました。「やり遂げた感」は薄いですが。
何でも大ごとにしない癖がついてしまって、正常化バイアスならぬ「大ごと回避バイアス」みたいなのが作動しているみたい。
心配ごとも小分けにできそうなものは小分けにしています。
解決できないことはもちろん沢山ありますが、部分的になら解決できたりします。その小さな解決が救いになることもあるのです。
その小分け精神がいいことなのか悪いことなのかは正直わからないままですが、老いの一種かなあ、などとぼんやりと思うのでした。
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