ルネ・マグリットの「美しい世界」
青い空と白い雲の美しい世界にかかる青いカーテン、美しくも不思議なルネ・マグリットの「美しい世界」をご存知ですか?
マグリットの絵の題名は、大抵絵の内容とかけ離れていることで有名ですが、この絵には比較的想像しやすい題名が付いているように思います。
とはいえ、額面通り「美しい世界」と受け取っていいのかというと、それはまた別の話です。
マグリットは、
「私の目の前にカーテンがかかっているように、世界を見ることができた」
と、語っています。
何かが見えているとき、見えているものは必ず他の何かを隠すのだと、まだ若かったわたしに教えてくれたのはマグリットでした。
この青い空のカーテンの向こうはどうなっているのか。或いは美しい空自体が何かを隠しているか。
色々な想像力を掻き立てる作品ですよね。
青いリンゴは、美しい世界の裏側を知りたいという思いと、知ってしまったら美しい世界が崩壊してしまうかもしれない、という葛藤を表しているとも云われています。
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マグリットの絵が示唆することは、
日常的にわたしたちの周りに溢れています。
「見えているもの」というのは視覚的な意味だけではなく、例えば、数字が出来事の本質を隠すのを何度も目にしてきたし、もしかしたら言葉はいつも何かを隠すために存在するのかもと思うこともあります。
SNSには、トリミングされてフィルターがかかった美しい写真が並び、友人たちとの楽しそうな会食風景が流れ、それぞれの見せたい世界がそこにあるのだろうと思います。
それを虚構だと笑うことは簡単ですが、
わたしのこのnoteだって、わたしのほんの一部分で、言葉を紡げば紡ぐほど、それは何かを覆う幕になってゆくのかもしれません。
だからわたしも、出鱈目な統計で数字的に景気がいいふりをする何処かの国や、どうでもいいニュースでいつも大事なニュースを隠してしまう何処かの国のメディアと、本質的には変わらないのかもしれません。
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それでも皆さんのnoteの文章を読んでみたいのは、その美しさのあり方や、見せたい世界が、それぞれ人によって違ったりすることに驚いたり、感心したり、何かしら心が動くからだと思います。
言葉は何かを隠すものかもしれません。
でも文章なら行間を感じることができます。
記号として伝えられる言葉そのものとは別に、
醸し出されるその人の持つ空気感や、間合いや、雑味のようなものが味わいとなって、そこはもう隠せない部分だと思うんです。
だから、言葉で隠されたものも含めて、その人の作品だと受け止めて、行間を味わいながら、わたしは文章を読むのだと思います。
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マグリットは、美しい世界の隠れた部分を
見るべきである、とも
見ないべきである、とも
主張しませんでした。
ただそこに、隠された世界があるのだと
その存在を静かに教えてくれています。
全てを見ることが不可能だとしても、隠された世界の存在に心を寄せながら、見える世界をしっかりと見つめてゆきたいものです。
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