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テンプレートの罠について

テンプレから入る小学校の作文

娘が小学校に入ったばかりの頃、遠足の作文を宿題に出されたことがありました。作文は娘にとって初めての経験。何をどう書いたらいいのか困っていたので、

「一番心に残ったことを書いてみたら?一番楽しかったのは〇〇です。って始めるとか。」

と、軽い気持ちでアドバイスしたところ

「そんなのだめよ!」

と、怒るのです。よくよく話を聴くと

「はじめに、つぎに、おわりに」

のテンプレで作文を書くように学校で指導されたとのこと。何だそりゃ。と思いました。

文章を書くことにおいて重要なのは、自己表現ができるかどうかだと思うんだけど、それは高度だからとりあえずテンプレからね、ってことなのかしら。

でも、人生最初の作文で、テンプレ通りに書くことを学んでしまったら、その後自由にされても戸惑うばかりで、テンプレがないと書けなくなったりしないのかと心配になります。

テンプレに合わせて文章を作ることは特別な訓練がなくても、ある一定以上の年齢になればできるような気もしますし、できなかったとしても、それを小1でやる必要あるんでしょうか。

たとえ全体の構成が整ってなくても、その子なりの文章を自由に書かせて、少しずつ経験値を上げていく、という方法が私は好きです。或いはテンプレを用意しつつ、使っても使わなくてもいいよ、という選択制ならありですかね。

昭和の小学校の作文

40年前、私が小学生の頃は少なくともテンプレはなかったです。

作文の添削では、自分の感じたことや思ったことを表現できた場所、比喩が上手だった箇所、視点が人と違っていて面白い部分などの該当箇所に波線が引かれて先生が小さな花丸をつけてくれました。私達は花丸をもらうために精一杯自分の思ったことや感じたことを文章にしました。プラスの気持ちもマイナスの気持ちも花丸がもらえて、そうして少しずつ自分を表現していくことを学びました。

‘テンプレ通り’を評価される作文

ところが平成の小学生の娘の作文の添削は「はじめに、つぎに、おわりに」のところに小さな丸がついていて、「テンプレどおりに書けました」って意味の花丸が全体についていました。個別の箇所の評価はなし。漢字だけ少し直されて、最後に先生の当たり障りのないコメントが書かれていました。

これじゃあ、自分を表現する手段としての文章は書けるようにならないんじゃ、、

支配する側は支配される人の心の自由なんか邪魔だから、これはわざとなんですかね。大人しく従順な労働者を量産したいという。。

図工の時間についても似たようなことを感じていて、私の頃に比べてある程度自由な題材でただ絵を描くということが減っている気がするのです。その代わり業者のキットをつかったような製作が増えました。

絵や文章などで行われる表現活動というのは、発表する、しないに関わらず、人が自由な心を獲得するためのツールだと、私は思っています。

だけど、最近の公教育では、大人しく文句を言わず労働者になるために役立つ教育ばかり与えられ、表現活動のような豊かな人をつくるための教育にはあまり力を入れなくなったような気がします。個性豊かな人を育てる気概は感じられません。

もちろん先生によっても違うのでしょうし、地域によっても、都会と田舎の格差なんかもありそうですが。

テンプレートの限界について

受験生の頃、文章を書くのが得意だったので、模試の時に受験科目ではない小論文をいつも受験してました。小論文はいつも偏差値75超の高得点をマークしてたのですが、それ以外が本当に酷い成績だったので、全体の偏差値の底上げが目的でした。

受験科目ではないので一切の対策なし。参考書の一冊も持っていません。でもいつも高得点。私、当時は自分が天才なのかもくらいに勘違いしてたんです。

でも、今なら何となく想像できます。

私はテンプレの存在を知らずに、自由気ままに書いてたから、読む方も新鮮だったのではないかと思うんですよね。たぶん内容も構成も別に飛び抜けて素晴らしかったというわけではなく。採点者が型にはまった優等生の小論文に飽きてたのかもしれません。

noteの記事も、内容が興味深くて、言葉の使い方も洗練されてるのに、なぜか見慣れた気がする記事に出会うことがあります。そういう方に限ってライターの講習会を受講されたりしているので、もしかしたら何かテンプレ的なものがあったりするのかも?と思い至りました。

もちろん文筆が生業の方は、ある程度テンプレも使ってコンスタントに記事を書かねばならないでしょうし、自己表現ばかり追求するわけにもいかないので、それを否定するつもりはありません。

ただ自己の表現活動として文を書く時には、テンプレに従うことでのマイナス面も知っておくといいかもしれません。

人の思考はきっとテンプレの枠をはみ出すことの方が多いから、きれいにまとまらなくて、はみ出した部分が実は大事なのかもしれませんよ。



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