ことばに想いを巡らせること
宮崎県日向市で行われた「第9回牧水・短歌甲子園」のドキュメンタリー番組を観ました。
高校生達の瑞々しい感性の溢れる歌をとても新鮮な気持ちで楽しませていただきました。
若いっていいなあ。
わたし、普段はあまり若さというものに嫉妬しないんだけど、高校生達の眩しいほどに豊かな感性が本当に羨ましかったです。
そんな時代がわたしにもあった筈なんですけどね。でもまあいいや。たぶんわたしも若い時にはそれなりに瑞々しい感性を持っていたし、アラフィフにはアラフィフにしか出せない味わい深い感性があるのだと思うことにします。
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その番組を観ながら、自分がかつて若山牧水の大ファンだったことを思い出しました。
若い頃、とても漠然と旅人が好きでした。というか、わたし自身も旅をする生活に憧れていた節があるんです。わけも分からず彷徨いたかった。
「憧れる」という言葉に「彷徨う」という意味があることに気づいたのは、
<けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く>
という牧水の歌を眺めていたときでした。
当時恋する青年の牧水が中国地方を旅したときに詠んだ歌です。
心の鉦をうち鳴らしつつ旅する牧水に、ただただときめいていたわたしですが、突如として不思議な気持ちになりました。
「憧れる」にどうして「彷徨う」の意味があるんだろう。。?
あく(事・場所)・がる(離れる)で、「あくがれる」は「居場所から離れること、彷徨うこと」の意味。
現在の意味に近い、「なんとなく心惹かれる、心が身体から離れる」の意味もあるわけですが、
「本来いるべき所を離れて浮れ出る」「在処離(あくが)る」というまさに彷徨う意味もあったのです。
現在では、彷徨うということばは、あまり肯定的に用いられる言葉ではありません。さ迷う、というと現実逃避的なイメージがありますよね。
でも逃避なんかではないのです。旅は自分を解き放ち、今いる処から離れて次の自分になるためのセレモニーのような意味合いを持っていたのではないでしょうか。
旅先の風景や音や匂いに心を共鳴させながら、恋する人を想いながら旅する若き日の牧水の、その時にしか詠めない歌だったと思います。
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最近は歌を詠むこともなくなって、鑑賞することからも離れていたので、忘れかけていたのですが、短歌の魅力はひとつの言葉についてあれこれと思いを巡らせることができる、ということだったな、と短歌甲子園の高校生を観ていて思い出しました。
若い頃、歌集が1冊あったらエンドレスに暇を潰せました。小説はあっという間に読んでしまうのに。
ことばの意味を深く考え出したら一首一首とても時間がかかるし、自分ならどう詠むかまで始めたらキリがありませんでした。懐かしいなあ。
こんなにも懐かしく楽しい気持ちになったのは、豊かな感性を持つ高校生たちの眩しいほどの若いパワーのお陰に他ならず、やっぱり若さっていいなあ、と改めて思うのでした。