短編小説「ボクノカプセル」
珍しく温かい一月の陽光にウトウトしていると、僕の左胸辺りでざっくざっくと土を掘る音が聞こえた。何事だ、と顔を上げてみる。
すると、大勢の若者達がわいわいと騒ぎながら、僕の左胸に生えたメタセコイアの木の下で何かを掘っていた。スコップが掘り進めれば掘り進める程になんだかくすぐったくなったので、
「君達、僕の胸の上で何をしているんだ?」
と訊ねると、
「タイムカプセルを探しているんです」
と彼らは答えた。はて、そんな所にタイムカプセルを埋めた卒業生らがいたかな、と僕は思い返してみたが、何分100年以上ここに寝そべってたくさんの子供達の卒業を見守って来たから、きっと忘れてしまったに違いない。
「掘るのは構わないけど、優しく頼むよ」
と僕がお願いすると、「はーい」と皆で返事をしていた。若者達はどうやら大学生くらいの様だったので、今日は同窓会でもしているのだろう。それでタイムカプセルを掘り起こしているのだな、と思いつつ、僕は上げていた頭を降ろして爽やかな陽光に目を細めた。胸の上にいる若者達を驚かせない様にゆっくりと息を吸い込んで、僕は深いため息を零した。
・・・思い出を掘り起こすって、どんな気持ちなのだろう
僕はずっと一人ぼっちだったし友達なんていないから、思い出なんてどこにも埋まっていないのだ。そんなことをぼんやりと考えていると、
「あの、すみません」
と声を掛けられた。僕が再び顔を上げると、土で手を汚した一人の青年が額の汗を拭いながら、
「探しているんですけど見付からないんです。何処にあるかご存じありませんか?」
と訊ねて来た。僕は首を傾げて、
「何が無いんだ?」
と訊き返した。するとその青年は、
「あなたのカプセルです」
と言った。
「僕のカプセル?」
「ええ、そうです。何処にあるかご存じないですか?」
僕はしばらくきょとんとした後に、ゆっくりと首を振って見せた。
「知らないなぁ、それにそもそも僕のカプセルなんて無いよ」
と僕が言うと、
「そんな筈はないです、あなたのカプセルは必ず何処かにあります」
と彼は語気を強めて返して来たのだった。僕は口を「へ」の字に結んだ後、彼のジッと見つめる目線を無視して上げていた頭を降ろした。そしてゆっくりと目を閉じる。
・・・僕に思い出なんてある訳ないだろ
いつしか僕の胸の上で、若者達が歓声を上げながら先程より更にわいわいと騒いでいるのが聞こえていた。きっと皆、自分のタイムカプセルを見付けて中身を見返しているのだろう。懐かしい? 恥ずかしい? 愛おしい? 僕には何も分からない。君達の様な大切な思い出なんて、僕は何一つ持っていないんだから。
とその時、突然僕のアパートの呼び鈴が鳴った。気付けば先程まで胸の上で騒いでいた若者たちは居なくなり、メタセコイアも、掘り起こされた穴もすっかり無くなっていた。僕は重たい体を持ち上げて、足を引き摺る様にゆっくり玄関へと向かった。覗き穴から外を伺う。するとそこには、きりっとした目元で短髪が爽やかな晴人(はると)が立っていた。僕は玄関の鍵を開け、そろりと扉を開いてみた。ブラウンのダッフルコートを着込んだ晴人が、静かに佇んで僕を見ていた。
「何だよ?」
と僕が問うと、
「聡(さとる)、なんで来なかったんだよ」
と彼は言った。怒っている様子ではない。彼はいつも冷静で淡々としている。だけど、
「皆、お前の事を訊いて来たぞ」
そう言う彼は、少しだけ語気が強くなっていた様な気がする。きりっとした目元は、まさに先程僕の胸の上からタイムカプセルの所在を訊ねて来た青年の瞳そのものだ。
「小学校なんて、何の思い出も無いよ」
僕がそう言うと、晴人は小さく溜息を零した後、徐に二つの物を手渡して来た。それはクラスメイトの皆から一言ずつのメッセージが書かれた色紙と、ソフトボール大のプラスチックのカプセルだった。
「今日、皆で掘ったんだ。ちゃんとあったよ、お前のカプセル」
すっかり言葉を失くしていた僕をしばらく見ていた晴人はそう言った後に、
「今日の19時から皆で飲み会するんだよ。一応、伝えておくな」
と言い残し、静かに玄関の扉を閉めて去って行ったのだった。
僕は震える手で色紙とカプセルを持ったまま暫く玄関先に佇んだ後、徐に暗い部屋の奥に戻った。ゴミや荷物が多く散らかっていて、横になれる程のスペースしかない部屋には、朝方眠って夕方に目覚める僕が寝る敷きっぱなしの布団があるだけだ。そこにゆっくりと腰を下ろして、僕は色紙に目を通した。
次第に視界が溶けていき、色紙の上にぼとりぼとりと雨が降り始めた。手の震えがやがて全身に広がって行くと、止めどない嗚咽に呼吸が酷く苦しくなる。
あれから8年、20歳になった僕はどんな大人になったのだろう。中学も、高校も他人と上手くいかなくて不登校になり、勉強だけはと必死で頑張って入った大学も、対人関係のストレスと孤独で心が潰れてしまい、ここ数カ月行けていない。伸ばしっぱなしの髪も、荒ぶる無精ひげも、着っぱなしの部屋着も、8年前の僕は知りもしないのだろう。
僕は読み終わった色紙を傍らに置いて膝を抱えて座った。背中を小さく丸め、膝の間に顔を埋める。
・・・なんで、こうなってしまったんだ
夏は一緒にプールに行って、夜には打ち上げ花火を見て、秋には運動会で肩を組み、冬には降り頻る雪の下で雪合戦をして遊んだ。
僕はゆっくりと思い出した。引っ込み思案の僕をいつも引っ張っていたのはクラス1の人気者の晴人で、彼がいたから僕にも友達がたくさんできた。中学で中高一貫の進学校に進んだ晴人と離れてから、地元の中学に残った僕はすっかり友達と仲良くする方法を忘れてしまっていた。地元の大学に進学して、偶然晴人と再会した時、彼は医学部生で好青年に成長していた。僕は惨めな自分と、輝かしい彼を比べて酷く傷付いたのを覚えている。小学生の頃と同じ様に仲良くしてくれた彼であったが、僕はかつての様に彼の放つ眩しさを快いものとして受け止めることが出来なくなっているのだった。
その時、ころりと僕の足元で何かが転がった。顔を上げて見てみると、それは古いガチャガチャのカプセルだった。ソフトボール大のカプセルを徐に手に取った僕は、鼻を啜りながらカプセルを開けてみた。その中には、沢山のモンスターのキャラクターを模(かたど)ったキーホルダーが入っていた。小学生の頃、当時はお高めの300円のガチャガチャで集めたモンスターのキーホルダーで、晴人や他の友達らとよく空想上のバトルをして遊んだものだ。あの頃には空想上の火も、水も、草も、電気も、氷も、ドラゴンも、色々なものが僕の目には見えていた。
・・・楽しかったなぁ
僕はカプセルの中に押し込められていた20個近くのお気に入りのモンスターのキーホルダーを一つ一つ取り出して、じっくりと見てみた。傷の一つ一つも、少しだけ変色した箇所も、壊れてしまった部位も全部覚えている。
じわじわと、胸の奥底からにじみ出てくるものがあった。それは薄暗い暗闇にそっと灯った蝋燭の火の様だった。
僕にもあったんだ。忘れ難く、とても大切な思い出が。
徐に時計を見た僕は、今が16時半であることを確認した後、シャワーを浴びて髭を剃り、近くの理容室で伸びていた髪をバッサリと切った。小綺麗な服なんて持っていないので、僕は最も自分が着慣れていたパーカーとジーパンを着て、その上にグレーのコートを羽織った。
一度戻ったアパートから財布とスマホを持ちだし、路地から広い公道に出た時、小さなカフェのテラスで一人コーヒーを飲む晴人と会った。彼はさっぱりした僕の様子を見て微笑んだ後に、
「『みらいよち』でお前が来るのが分かっていたよ」
と言った。
「『おきみやげ』の間違いじゃない?」
と僕が言い返すと、晴人は声を上げて笑っていた。そしてコーヒーを全て煽った彼は、静かに立ち上がってくしゃりと破顔して見せた。
「行こうぜ、皆が待ってる」
8年前に埋めた僕のカプセルは、ちゃんと僕の中に埋まっていた。いつしか色々な土を被せて、色々な自分が歩き回って、雨が降って陽が差して、風が吹いて雪が積もる内に、すっかり何処に埋めたのか分からなくなってしまっていただけなのかもしれない。
・・・皆に会ったら、どんな話をしようかな
相変わらず爽やかな笑顔を浮かべている晴人の隣を、僕はゆっくりと歩き始めたのだった。
〈 終わり 〉