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バラッサ=サミュエルソン効果によってケアワークが市場から消える

1.バラッサ=サミュエルソン効果とは

次の2つの関連した事柄を指している。
1.より富裕な国の消費者物価指数の水準が、より貧しい国の消費者物価指数の水準より高くなるという経験的に知られている事実
2.上記を予想する経済モデル。

バラッサ・サミュエルソン効果(Wikipedia)

具体的に説明していこう。
世の中には機械化と科学技術の進歩によって生産性が上昇していく仕事とそうではない仕事が存在している。例えば自動車産業は100年前から存在しているが、機械化と技術革新によって労働者一人当たりの生産台数が何倍も何十倍も高まっている。そして東南アジアなどでトゥクトゥクを手作業による溶接で組み立ててる労働者と、日本の機械が集約された自動車工場に勤める労働者の生産性も全く違う。

一方で日本の床屋さんは100年前と物理的アウトプットは大差ないし、西アフリカの床屋さんとも大差がない。30分の手作業を技術革新や機械化で1分に短縮するという事は出来ない。にもかかわらず日本の床屋さんは西アフリカの床屋さんの何十倍のサービス価格を付け何十倍もの賃金をもらっている。

このように豊かな国ではサービス価格がモノの価格よりも強く上昇することを説明するのがバラッサ=サミュエルソン効果だ。

自動車工場の技術の進歩で自動車工の賃金が上昇したとする。すると床屋から鞍替えしたがる人が出てくるかもしれない。長期的に見れば職業間の労働力移動は起こりやすい。自動車工に賃下げの圧力が、床屋には賃上げの圧力がかかる。床屋サービスの内容は変わらないのに人を保つために賃上げが必要になる。したがって床屋の作業は変わらないのにサービス単価が上昇する。
自動車工は西アフリカの床屋が安いからと言って西アフリカまで散髪に行くわけにはいかない。なので賃上げのためのサービスの価格転嫁はたやすい。

自動車のようなモノは世界中を移動し世界中で同じような価格である。対して人の移動、特に言語や国境をまたぐのは制約が大きい。だから国ごとの労働力とサービスの価格は大きく異なるのだ。

数十年にわたって経済の様々な部分で生産性が上昇し、それを賃金の変化と比べると、ほとんど相関がみられない。(例えば、生産物価格の変化は、生産性の変化にかなり近いのに)。ところが、平均生産性の上昇(経済全体の)と賃金の上昇には強い相関がある。だから発展途上国の賃金は、労働者個人が富裕国と比べても遜色ない高度に自動化された工場でも、非常に低いのだ。彼らの給料は、生産しているものとは少ししか関係していない。

ジョセフ・ヒース 栗原百代 (訳) (2012).『資本主義が嫌いな人のための経済学』NTT出版 p.269

賃金の最も重要な決定要因はその人の生産ではなく、住んでいる国の平均的な賃金と、どのくらい簡単に交換可能なのかという事だ。それは大多数の人にとって幸福なことだ。今日ではほとんどの人がサービス業に従事しているのだから。
例えば床屋や調理師でなくとも、弁護士、医師、大学教授、官僚といったエリートのサービス業であっても、同じことだ。農業や工員や建設作業員の高い生産性と、難関資格などの取り換えの利かなさに依存して高い賃金をもらっていることは変わりない。

資本(工場、工作機械など)を装備して果てしなく生産性を上げられる産業を資本集約型産業といい、人手に頼った産業を労働集約型産業という。

2.サービス業の労働生産性の上昇は消費者側から見れば質の低下

実物的なアウトプットで測るならば、サービス業の労働生産性の上昇とは、介護士1人当たりで5人の面倒を診ていたところを10人にする、身近にあった自営商店が郊外の巨大で店員が少ないショッピングモールに集約される、という事だ。人手による作業効率は変わらないのだから、客1人当たりへの実物的な面倒見は減少する事になる。

貨幣で測っても同じだ。付加価値で測った労働生産性は、簡易に示すと(営業利益+人件費+減価償却費)÷労働投入になる。なので前述のように同じアウトプットのままサービス単価と給料が上昇すれば労働生産性と定義されている数字も上昇する。

機械化と技術革新が存在する業態ならば労働者の待遇が上がりつつ、アウトプットされるモノが安くなるという事が両立する。多くのサービス業は、そうではない。消費者側から見れば単に値段が上がったり営業時間が短くなることが、サービス業の労働生産性上昇なのだ。

多くのサービス活動は本質的に生産性向上になじまない。場合によっては生産性向上そのものがサービスを台無しにしてしまう。弦楽四重奏が27分の作品を9分で演奏したらどうなるだろう。質の切り下げによって高い生産性を実現したと思われるサービスもある。米英のような国での小売産業の生産性向上は大部分、店員が少ない事、遠くまで運転して来店しなければならないこと、配達時間の遅さなど、まさに質の低下によってもたらされた。

ハジュン・チャン 酒井泰介 (訳) (2015).『ケンブリッジ式経済学ユーザーズガイド』東洋経済新報社 p.236

労働投入を変えないまま労働生産性が上昇するとすれば、サービス業の能率はあまり変化しないのだから、生産性という名前が付いているにも関わらず需要側の変化の記録でしかない。例えばある駐車場の自動車の出入りが激しくなり粗利が上れば、駐車場の係員の労働生産性の上昇という事になる。それは要するにお客さん側の景気が良くなったというだけの事である。

3.家事代替サービスは経済成長によって市場から消える

ILO(国際労働機関)のデータによるとブラジルでは労働力の7~8%がエジプトでは9%が、家事労働で賃金を得ているものだという。富裕国でのこの数字を見るとドイツでは0.7%、アメリカでは0.6%、イングランドおよびウェールズでは0.3%

ハジュン・チャン 田村源二 (訳) (2010).『世界経済を破綻させる23の嘘』徳間書店 p.60

発展途上国に行けば、あるいは20世紀初めごろの日本や欧米の小説を読めば、中流レベルの家庭でもメイドや書生を雇っていることに気づかされるだろう。一方で、戦後日本や西側の先進国で職業的メイドが消滅し、夫婦のうちで収入の低い側が機会損失の少なさによって「主ふ」となっていった。そして家事労働は市場から消えて、内製化されていった事は経験的に知られている。

前述のように、経済発展に従ってメイドの作業効率は変わらないのに必要な賃金は上昇していく。マッサージ師や床屋のようなある種の贅沢サービスと違って高額のメイドを雇うメリットはなくなり家族の中で家事労働を調達しなくてはならなくなった。メイド程ではないが飲食店などもある程度は家事と代替関係にある。
豊かで格差の少ない国では家事の外注は難しくなるのである。

現代において同じ問題に直面しているのが医療介護および保育といったケアワークである。政治的に重要な職業であるにも関わらず、機械化も集約も難しい。アメリカ合衆国では好況時に介護施設の死亡率が上昇することが報告されている。

経済が成長している時期に増加する死亡件数は、主に高齢者、それも女性において発生していることを我々は見い出した。・・・特に介護施設で発生する死亡件数は景気との相関が強く、しかも高齢者が介護施設で居住する割合の高い州でより強い。・・・熟練度の高い介護施設の職員数は反景気循環的な動きをする。

himaginary’s diary 「好況時に死亡率が上がる理由」

慶応大学商学部教授の権丈善一氏もこの問題を認めている。

医療介護の機能強化は、不況時にしか実現できないということである。好景気のために民間の労働市場が逼迫しているときに、労働市場から医療介護にマンパワーを移動させることは難しい。そういうことは考えればすぐに予測できることであるし、ヨーロッパの経験からも学ぶことができる。

権丈善一「勿凝学問215 さて、この問題をどう解く?医療介護の機能強化の道筋

4.ケアワーカーの調達、三つの方法

エスピン=アンデルセンは福祉サービス労働のあり方について三通りに分類した。市場から調達する「自由主義モデル」、家庭(片働き制や大家族制)から調達する「保守主義モデル」、巨大な政府が提供する「社民主義モデル」である。どの国においてもそれぞれのモデルが入り組んでいる。

前述のことから考えると「自由主義モデル」には強い格差やひどい低賃金に固定された移民が必要になり、「保守主義モデル」ではライフスタイルの多様性が低くなり、「社民主義モデル」では重い消費税などで民需を抑制する必要があり、それぞれにデメリットがある。「保守主義モデル」は上昇婚志向の女性が家庭内の比較優位によって家事の担い手になりやすい。一方「社民主義モデル」に近いスウェーデンでは、女性の比率が80%を超えている業種が、保育園、幼稚園、小学校、介護、清掃、保健補助員、看護師、各種一般職的事務員などで、結局は政府を介して女性にケアワークと家事サービスがあてがわれている。

女性の上昇婚志向や職業選好を矯正しないまま社会進出を進めるには「自由主義モデル」の強い格差の下に低価格で買えるサービス労働が必要になってしまうのではないだろうか。

参考文献
山形浩生の経済のトリセツ 生産性の話の基礎
ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』
ボーモルのコスト病ーWikipedia
장하준『ケンブリッジ式経済学ユーザーズガイド』
장하준『世界経済を破綻させる23の嘘』
himaginary’s diary 「好況時に死亡率が上がる理由」
権丈善一「勿凝学問215 さて、この問題をどう解く?医療介護の機能強化の道筋


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