耕せにっぽん!
耕せにっぽん!の東野明彦さんの講演を聴きにいった。
この講演を企画した村上好さんは、不登校のお母さんの支援をしていて、不登校につながる要因のひとつとして食事や住環境をも視野に入れ、百年杉のよさを伝えている。
村上さんとは百年杉を通してつながり、今回、この講演にかける情熱にあてられてしまい、行くしかなかった(笑)
さて、私が杉とヒノキを敷かせてもらった「こども夢パーク」は小学生が多いけど、東野さんは上の年代の不登校やひきこもりの若者の自立支援をしているから、「学校行かなくていいよ」の、その先のメッセージが明確だった。
人から「ありがとう」をもらえる人になる。
働いてお金を稼ぐことは、人に喜ばれること、「ありがとう」をもらうことだ、と言いきって、そうなっていけるように農作業や就業体験などを通して導いている。
そして、学校は人から喜ばれる人になるように、ではなく、人に勝つよう教えている、と、指摘する。
東野さんは子育てについても、親が「自立させる」という目的を譲ってはいけない、と言う。
私は日々のことばかりで、正直そのことが抜け落ちていた。
ただ「自立させる」といっても、そもそも私が十分に「おとな」ではない。
「寄り添う」ことはできても、「自立させる」を実践するには、ある部分では説得力があるけど、たいがいの場面で私の言葉は響かないように思える。行うは難しだ。
でも、いっぽうで、
よく見て、対峙し続けて、
人に託したほうがよいときには人に託す。
その覚悟だけとも思う。
講演を聴いていて、昔世話になった役者兼演出のMさんに、 「人から受け入れられない個性は個性ではない。」 と、言われたのをなぜか思い出した。
よく「ありのまま」でいいと言うけど、舞台では集中が必要で、ほんとうに生きないといけない、人がみたいのはそのような個性だ、という意味だと思っていた。
それも正しいと思う。
でもその言葉の本当の意味は、
自分の「ありのまま」を出して受けとめられて、相手の「ありのまま」も受けとめてはじめて、互いの個性が個性として認められる、という意味だったんじゃないだろうか。
なにより、人とそのような関係性があることが、夢に向かう力になることを私はよく知っている。夢に向かうことが、残酷でかけがえのない自立への学びであることも。
わが家が、お互いの「ありのまま」を認め合う居場所であることは、なによりありがたい。
それに、、
うちの子たちは、面白いのだ!!
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村上好さん「オカンの駆け込み寺」https://okan-help.com/lp01/