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パイオニアの条件~杉田玄白『蘭学事始』を読む


 杉田玄白(1733-1817)が生きた時代、既存の漢説による医学知識と、腑分けの現場でみる実際の人体には乖離があった。その溝を埋めてくれるのがオランダの医学書『ターヘル・アナトミア』であった。玄白たちは、現実の人体と『ターヘル・アナトミア』の図を照らし合わせて、『ターヘル・アナトミア』の正しさを知り、この『ターヘル・アナトミア』を翻訳すれば、日本の医学にとって大きな利益になると一念発起する。当時、辞書もなく未知の言語であったオランダ語で書かれた『ターヘル・アナトミア』を、玄白は、前野良沢らと手探りで訳すことにしたのである。

 杉田玄白の『蘭学事始』には、そんなオランダ書による医学のはじまりの苦労や経緯が書かれている。子どもの頃、この『蘭学事始』を読もうと思ったことは全くなかったが、大人になってから読んでみたら、これはもう本当に名著であった。元来、パイオニア精神をもって、新しいことを成し遂げた人に憧れがあるのだが、この『蘭学事始』には、パイオニアになるのに必要な条件がいくつも書かれている。今日は、その条件を見ていきたい。

 『蘭学事始』を読んでまず感じたのは、誰もやったことのない新しいことをやり遂げるのに必要なのは、あくなき好奇心だということだ。しかしそれだけでは足りない。いったん始めたことを持続させるには、好奇心に加えて使命感が必要のようだ。玄白には、『ターヘル・アナトミア』は、日本の医学にとって役に立つから何としても、これをものにしなければ!という使命感があった。しかし、好奇心と使命感だけではまだ足りない。こうした心持ちに合わせて、現実面を整えなければならない。すなわち、体力資金力である。自分に経済力がなければ、他人から資金を出してもらえるような人間力も必要だ。また、あまりに困難な大事業は、一人ではできないから、仲間が必要、チームワークが必要だ。ただチームワークは、自分と同じタイプの人間とばかり組んではうまくいかない。チームワークにおいて必要なのは、自分ができることとできないことを見極め自分ができないことをできる人を認め協同することである。『蘭学事始』を読むと、杉田玄白はこうしたものをすべて兼ね備えていた人のように見える。

 加えて、玄白は、天下が安定していたことが良かったと書いている。これには、幕府へのリップサービスもあるかもしれないが、戦火の中では腰を据えた研究はできないだろうから、玄白が書いたことも、やはり一面の真実であっただろう。


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