中目黒・正覚寺に行ってみた~伊達家と縁の深いお寺~
先日、目黒の碑文谷にある旧法華寺(現・円融寺)とその関連場所を散策しました。↓
今回は、伊達家と縁の深い中目黒の正覚寺を見てきたときのことを書きます。正覚寺は、元和5年(1619年)に開山した日蓮宗のお寺で、雑司ヶ谷の法明寺と同じく、旧法華寺(現・円融寺)の末寺で不授不施派のお寺でした。鬼子母神堂もあります。(雑司ヶ谷の法明寺の記事はコチラ↓)
では、早速見ていきましょう。
中目黒駅から徒歩5分、正覚寺の前にたどり着きました。↓
「鬼子母善神」と彫られた石標がありました。↓
門には、鬼子母神と縁が深い吉祥果のザクロがあちこちにあしらわれています。↓
門をくぐると右手に伊達藩三代藩主綱宗の妻かつ四代藩主綱村の生母である三沢初子の銅像がありました。この三沢初子を通じて、正覚寺と伊達家に縁ができたようです。↓
『目黒区大観』によれば、三沢氏は、初めからこの正覚寺の檀家で、三沢初子は、幼い頃、目黒太鼓橋の辺りの叔父・三沢庄兵衛方に寄寓中、両親を亡くし、両親をこの正覚寺に葬ったそうです。初子が亡くなったあとは、遺命により、初子の邸宅の部材をつかって正覚寺の諸堂が建築されたそうです。門を入って正面には、初子がわが子の無事を祈念した鬼子母神像を祀る鬼子母神堂があります。↓
『目黒区大観』によれば、こちらの鬼子母神堂は、初子の嫁ぎ先の伊達家が近世まで修繕していたそうですが、初子の旧邸宅を充てた旧建物がかなり傷んでしまったので、大正元年に改築されたそうです。
境内の奥には、初子のご両親のお墓と初子のお墓がありました。↓
初子の母方の祖父は朽木宣綱でした。宣綱の正室は京極マグダレナ。慶長11年(1606年)にマグダレナが亡くなった際は、熱心なキリシタンだったマグダレナの母・京極マリアの意向で、壮麗なキリスト教式の葬儀が京都で行われました。初子の母は、宣綱の娘ではありますが、マグダレナの娘かどうか(すなわち、初子の祖母がマグダレナかどうか)は、わかりません。
追記:初子の弟・宗直が領主となった前沢の『前沢町史 中巻』によれば、初子と宗直の父・三沢清長の弟・基次は、前田利常に仕えていたらしいです。
(2023年5月26日 追記)
(参考資料
①『目黒区大観』目黒区大観刊行会編、目黒区大観刊行会、1935年、p.95~97、p.164~167
②『江戸史跡事典(上)』新人物往来社、2007年
③清水有子「京極高次・高知」『キリシタン大名』、五野井隆史監修、宮帯出版社、2019年
④『前沢町史 中巻』前沢町史編集委員会編、前沢町教育委員会、1976年、p.
355~374、p.461~482
⑤正覚寺HP
⑥目黒区HP「三沢初子墓」)