GWの京都1日目: 笠置
おはようございます。
今日はばっちり雨の中、昨日からGolden Weekを生かして、京都に来ています。
昨日は京都初日で、京都最南端にある京都で一番小さな自治体へ行ってきました。
その名は笠置町、僕の苗字と同じ町。
メジャーな苗字じゃないだけに、親戚以外でこの名字の方にお会いしたことはないし、この漢字もしくは音の並びがあればそれだけで親近感が沸く。
それは兄弟も一緒のようで、弟がこの笠置町が人口が減り続けていて消滅可能性がある自治体にノミネートされていると先週教えてくれたのだ。
元々笠置山という山があることは知っていたけど、それは奈良だと思っていて。笠置山は奈良に隣接しているこの笠置町にあり、なんならその頂上に笠置寺まであるらしい。
そんな訳で京都駅に着いてからスーツケースを置いて一路南へ。
近鉄京都線で新祝園駅(しんほうその、と読む)でJR東西線・学園都市線で木津駅へ、そこから大和路線で加茂駅まで行って、そこからは関西本線で笠置駅に到着。これが乗り継ぎが良かったので1時間とちょっとで行けた。
笠置山ハイキング(場合によっては登山)
霧雨が降ったり止んだりの中笠置に降り立つ笠置。そして、笠置の街を散策する笠置。
いちいち状況を客観的に実況中継しながら遊んでいたけれど、ここでの目的は標高288mの笠置山のてっぺんにある笠置寺のお参り。
すぐに笠置山登山口に辿り着くけど、緩やかそうなハイキングコースとは別にまっすぐに山中に走る急激な上り坂が目に入る。これこそ業者たちが修行も兼ねて登った道に違いない(=ショートカットできる)と迷いなくそちらに上っていくと、見ていた以上に急ですぐにお尻の筋肉にハリを感じる。最初は舗装されているものの、そのうちすぐに獣道みたいになってきて雨で滑りやすい。登りにくさに加えて、『山中にただ一人』(何なら周りの集落の車の音も届かず)が富士山の真夜中登山を思い出させて余計に厳しい道とマッチして登り甲斐を感じる。とか言いながら、上の方で一般コースと合流する時には息も切れぎれ、顔からも汗だらだらの状況(時間は確かに10分程節約できた)。
笠置寺
一番上に着いて門をくぐって笠置寺本坊を過ぎた先から、ごつごつとした岩が並ぶ笠置山一帯に広がる、総じて笠置寺と言われるエリアが広がる。
入り口で受付の方に拝観料をお渡し、奥に進む。そこは古くは弥生時代から巨石信仰があったとされるのも納得な、圧巻の大きさの石がごろごろしていて、岩の連なりの横や間をすり抜けていく感じだ。
そして、一時は完全に打ち捨てられていた大きな石に掘られた菩薩様が。正月堂に横にある弥勒磨崖仏は正月堂と共に焼き討ち時に表面が剥がれ落ちたためほとんど菩薩様のお姿は見て取れない。
しかし、ここにあったんだろうという大枠はわかり、正月堂に描かれていたシルエットの写真があるのでイメージもしやすい。そんな形で遥か彼方昔に思いを馳せながら、裏の岩場に降りていくとさらに大きな岩の連なりがあり、圧倒される。そうして通り過ぎようとすると、岩に何か掘られているのに気が付き見上げれば、今度は完全な形で菩薩が残されている。8 x 10mというサイズで崖の手前で見上げる菩薩様の神々しさと圧はまさに圧倒的で、さすがにこれにはちょっと震える。
こうして岩に間にできた隙間の縫うように岩場を抜けてアップダウンを繰り返すといつのまにか頂上へ。巡礼地だったから昔から整備されていたのだろうが、この順路がとても見るべきものがしっかり見れる、楽しいコース取りになっていて素晴らしい。
頂上からの景色は、霧雨煙る中なのでほぼ雲笑 ただ時々風が抜けて遠くまでうっすらと木津川が流れる風景をうかがい知ることができる。
この頂上も大きな岩の上から見るような形になっている。周りを見渡し終わって降りてから振り返ると、その石の下にその大きな石が包むような形で人が座れるような場所がある。ちょっと覗いてみると、そこには賽銭棚の様にお金が置かれていて、先に来た人たちがこの岩を敬う気持ちが通じる。その横の小さな石に腰を下ろすととても穏やかで、石が包んでくれているような穏やか気持ちに。目を閉じて瞑想をすると、数分でもとても頭と心が冴えてくるのが実感できる。他に人間が全くいない状態で、ただ自然の中に入れてもらって包んでもらってその一部として繋がる感じ。思わぬ形で雨宿りしながら、休憩もできたのでここからは折り返し。
それにしても、晴れていれば(たぶん笑)山の上からは下の軍勢の動きは手に取るように分かるだろうし、これだけ急な山の山頂に籠城されたら、後醍醐天皇率いる楠木正成軍3000に対して鎌倉幕府軍数万で戦ってもなかなか落とせなかったのだろうと容易に想像がつく。そして完全に焼き払われたのが1300年代、とすれば700年も経っているのだから当たり前と言えば当たり前だけど、そんなことがあったとは思えない程すべてが苔に覆われて自然の一部として埋もれている。気が付けばトトロのテーマが頭に流れ、ダイダラボッチに生命を吸い取られた後に再生していく自然を表現したもののけ姫のエンディングを思い出していた。
こうして、大満足の笠置寺を一周して帰ってくると、お坊さんではない受付の方に入り口のところで楽しかった旨をお礼を兼ねてお伝えすると、いろいろと教えてくれた。
元々は天武天皇が今昔物語で「(鹿鷺山 笠置寺)しかさぎざん かさおきでら」と言っていたものが、時を経て笠置山の笠置寺になっていったこと。
天智天皇の子、弘文天皇が大きな鹿に襲われそうになった時に山の神に助けてくれたらここに弥勒仏を掘り奉ると祈ったところ鹿は何もせずにいなくなった。そこで、その場所が後でわかる様につけていた笠を置いて一旦帰ってからそこに立ち戻り、今に継がれる弥勒磨崖仏を掘ったことがその由来であること
笠置町は町制50周年の折に(約20年ほど前)、記念として何かできないかという話になり、結果全国にいる笠置さん達を笠置町に招いて(二泊三日で滞在費は町が負担と太っ腹)堪能してもらおうとしたらしい。なかなかファンキーだが、その連絡方法が「新聞広告」だったらしく、我が家は誰も気付いていなかった。そして、一気に来られても対応できないので1年に10組程度をお招きする形で実際に開催され、各笠置家での家系の伝承など笠置町の歴史との所縁や全国の笠置の繋がりをここぞと調べたらしい。
笠置寺の住所が笠置の圧がすごい。
京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29
笠置寺について – 笠置寺 巨石と雲海の山 (kasagidera.net)
こうして笠置寺を大満喫して出るころにはお腹も減っていたのですぐ下の宿坊兼お食事処でキジ焼とキジの炊き込みご飯をいただいて、(下りは滑るので)一般ハイキングコース(と言っても車道だけど)を下って駅まで歩く。改めて街中を歩いてみると笠置、カサギ、時々かさおきなんかもあったりしながら至る所に笠置があって、なぜだか「ありがとう」と感謝を伝えたくなった。そして、「かさおき」って読み間違われた時に「はいはい」と思っていたけれど、それもあながち間違いじゃないということが今回学べたのも良かった。
今は笠置寺よりも木津川の川辺を活用したキャンプ場として有名で、それによる人の流れが多いらしい。
車での訪問が良いもう一つの事情は、電車の便の悪さがあるのかもしれない。笠置駅は電車平日昼間は1時間に1本。乗ってしまえば30分で着ける奈良にも1本逃せば1時間半かかってしまうのが、京都府で一番人口が少ないエリアとしての現実が突き付けられた形だろう(もちろん笠置だけでなくその先の亀山などこのエリアと路線の走り方の事情もあるが)。
なんにせよ、今回京都で時間を作ったのに合わせて、弟が笠置町が消滅するリスクがあることを教えてくれたことで、1週間前には完全に選択肢になかった笠置町訪問がこんなに充実したものになるなんて。
ご縁というか、呼ばれた気がした。
この後せっかくなので奈良にも行って、ならまち中心に散策。
笠置寺と所縁の深い東大寺で鹿見たり阿吽の金剛力士像見たり(疲れ果てて中の大仏や帰り際の興福寺もスキップ)して、京都駅に戻ってスーツケースをピックアップ、京都御所横のホテルにチェックイン。
先月3月に来た時にいた丸太町に近く土地勘があるので、お気に入りパン屋さん、フリアンディーズさんで念願の硬すぎないキャラメルラスクを買って、晩御飯も前回のカレー屋さんをリピートと地元みたいに過ごせるのはやっぱり面白い。
その後死ぬほど眠くなりながら、出勤の方々で終えられなかった業務をサポートしながら長い初日を終えました。
今日も日常と違う場所でのんびり暮らすように過ごす休暇で、京都の街の魅力を掘り下げてみたい。
皆様も普段と違う場所に行ったり普段しないことをして、リフレッシュしながらGolden Weekをお過ごしください。
僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。
皆様も、良いGolden Weekを。