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一人で過ごすクリスマスイヴ

おはようございます。
今日も朝からかなり冷え込んでいますね。東京でも気温は0℃、そりゃ寒い訳で。

日本ではクリスマスよりもクリスマスイヴの方が盛り上がる。
子供たちにはイヴの夜にサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるから、その高揚感で一日が夜に向けて盛り上がっていくのは間違いない。一方25日になれば朝イチにプレゼントを開けてピークが来て、その興奮は普段の日常で薄らいでいく。
そんなこともあってか、クリスマスイヴは誰かと楽しく過ごすのが良しとされていて、一人で過ごすことは一時流行った「クリぼっち(クリスマスにひとりぼっち)」という言葉に表される様に寂しいものの象徴のように言われてきた。このnoteの題名を見て、正直どんなsad storyなんだと思われた方も多いかもしれない。
クリスマスを誰かと過ごす、というのは不特定多数の人と過ごすことを指すのではなくて、大切な誰かと過ごすことを意味する。だから、イヴが平日で職場の人と一緒に過ごしたとしても、それで満たされることはない。仲間内で集まってご飯を食べれば楽しいが、知り合いのいない人混みやパーティーに身を置いても物足りなさや寂しさを感じるだけだろう。

ただ、僕個人としてはイヴの午後を一人で過ごして不思議ととても満ちたりていた。
昨日僕が満たされたと思えたのはなぜだろうか。

1つに、僕がクリスチャンで、イヴに礼拝に出てクリスマスを他のクリスチャンと一緒に祝えたことは大きい。クリスマス礼拝が久しぶりだったことを差し引いても「メリークリスマス」や「クリスマスおめでとうございます。(こっちの方がしっくりくる)」と挨拶する度にそれが喜ばしいものだと再確認できて、共感ができる。そして、教会では特にこの日子供からお年寄りまで皆が無条件で幸せそうになっているのだから、そんな人たちと時間を共有して寂しさを感じる訳がない。

そしてもう一つが、自分の中でやりたいこと、やるべきことをやっていたから。これは一般論としてお伝えできると思うが、イヴはイヴとして捉えながら、過度に特別扱いせずに自分の生活とのバランスを取るということ。
具体的に何をどうしたかと言えば、いつもの週末をちょっとずつアレンジしながら過ごした、ただそれだけ。
教会から家に帰って、まずはランチを作る。普段使わないパスタを(日本で)買っていたのでそれを試すと食感も今までと違って味わいも変わる。自分のランチに新しいバリエーションが増えた様に感じられて嬉しい。
その後クリスマスにと特別に教会で売られていた手作りのマドレーヌを食べなから、図書館に返さなければいけない本を数時間かけて読み切って夕方に図書館へ向かう。そこでもクリスマスの格好をした子供たちやその親たちが楽しそうにしている。一階の広場で机に色んな紙やペンを広げて何かカードのような物を嬉々として作っている女の子がいた。本を返却して新たに借りて帰ろうと30分後くらいにまたそこを通ると、その女の子はサンドイッチを食べながら引き続きその作成に取り組んでいた。時間帯と仕上がり具合をみてもクリスマスに使うものではなさそう。
ちょっとした買い出しも済ませて家に帰ると、ちょっと早いけれど晩御飯を作り出す。ホームパーティーで残った鳥の骨で煮出した出汁をベースにいつもの八百屋さんで買ってきた野菜を使って野菜スープを作る。一羽丸々で買った時にお店に人が教えてくれたのを実践してみたけれど、これがとても美味しい。そこに他にもパーティーで余ったチーズなどを加えていろんなバリエーションで楽しみながら、改めて楽しかったホームパティーの余韻に浸る。
そして、食後のお茶にはイタリアで買ってきたナッツを一緒にいただきながら、図書館で借りてきた本を読む。

どうみても普段の日曜日と変わらない過ごし方だけど、自分が満足できていたのは自分の尺度でやりたい事をやってその日を過ごせたから。「イヴは誰かと過ごすもの」という固定概念に縛られることなく、自分が自分のペースで自分の手の中にあるものを楽しめているから、充足していると感じられたのだと思う。

手を繋いで歩いている恋人たちも家族連れもそのワクワクな感じを見ているだけで、こちらにも幸せを分けてくれる。かたや、1人黙々と何かを作っていた女の子もこの寒空の中道路工事で交通整理をしてくれているおじさんも自分がやるべき事をやって過ごしている(働かれている方には本当にありがたいことだと思いつつ)。クリスマス(イヴ)だから楽しんでいる人はもちろん、それとは関係なしに暮らしている人たちも当然いる訳で、それは寂しいことでも残念な事でも何でもない。要は軸をどこに持つかなのだ。
クリスマスは楽しみたい、誰かといたいと思うのも、自分なりに暮らしのリズムでいきますわと思うのも自由だし、僕の様に半々で楽しむ事も出来る。どうするのが気持ちが良くて現実的なのか、それは人に依って違うし、それで良いのだ。

僕の場合は、ホームパーティーや教会のお陰で1人でいても一人きりではないと感じられて、そして図書館の女の子や交通整理のおじさんが1人でいる事が間違いではないと思わせてくれたから余計に満たされる事が出来た、そう思う。

ただこれは40代になって初めて感じられていることなので、若い人はやっぱり寂しいと思うかもしれない。それでも大丈夫。寂しいと思ったら、来年は誰かと過ごせる様にパートナーを作るでもいいし、「寂しい」と声に出せばきっと誰かと一緒に過ごすことはきっとできる。今年はきっとそれが十分にできていなかっただけのこと。もっと楽しみたいなら、それを口にして実現できる様にすれば良い。来年にはもっと楽しめる可能性があると思えば、それも楽しみになるだろう。

メリークリスマス、それぞれに素敵な一日を。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、明日から年末まで良い一週間を。

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