完璧のその先:気づき 後編

おはようございます。
今日はどんよりとした曇り空、夕方からは雨が降ってくるちょっと重めな雰囲気。

今日は週末に台湾のお土産を渡しに実家に戻って両親とランチをしていた時に、気付いた真理のかけらを備忘録として書き留めておきたい。

完璧は完成ではない

デザインとしてどんなに美しくても、その一瞬だけ目を見張るだけのものはデザインとして完璧であっても完成ではない。デザインが人の心を豊かにするものであるとするならば、人の生活の中で求められ愛されて初めて完成すると言えるだろう。
デザイン=美しさのはずなのに、それで完成ではないとすれば何が完成なのか。

直線の違和感

完璧を表現する際に用いられるのは迷いのない、常に点と点を最短距離でつなぐ直線であり、その集合体である。昨日挙げたコンクリートの打ちっぱなしにしても、その工法からして基本的には直線と、結果として直方体で出来上がる。モダンデザインと言われるものは特に直線的なデザインが多く、その緊張感がモダンという言葉で新しさとして表現されている。
しかし、この直線的なデザインはその緊張感が故に人がリラックスすることを許さず、居て落ち着かないのである。短期的に集中するオフィスや会議室としてはちょうど良い反面、リラックスしたい住空間である家にこの直線的なデザインがあまり持ち込まれないのはこのためだ。舞台設定として、冷たさを与える悪役のアジトは直線的で無機質なのに対して、温かみがあり親近感の湧くビジネスマンや士業の先生のテーブルは雑多で様々なものの集合体で有機質なものとして描かれることが多いのもこのためだ。

曲線の本質

人が長く一緒にいたい、愛でたい、そばに置いておきたいと思わせるものは、必ず曲線を含む有機的な要素が必要なのだ。それは、自然には一切の直線が存在せず、曲線のみしか存在しないからだ。つまりは人間が本質的に動物であることの証であり、曲線は人の心を和ませ、落ち着かせてくれる。直線的なデザインは人間が他の動物とは異なる、確固たる独自性の象徴として自我の表現として用いられるからこそ新しい(=モダン)なのだ。しかし、結局人間がそもそも完璧でないが故に、直線で描かれた完璧なデザインにはなかなか馴染めない。
打ちっぱなしのデザインで高名な安藤忠雄さんの作品ともなるとやはりカーブが用いられるのはこのためではないか。(光の十字架は神の神聖性を直線で完璧に表現したものと考える)

そして、その曲線を取り入れることにより、人は柔らかさと自然を感じられ、そのデザインを完璧であるものより愛するのだ。直線の中に敢えて曲線を入れることで温もりを感じさせ、同時にデザインのアクセントにもなる。花や植物など有機的なデザインが曲線で表現されたアールヌーボー(Art Nouveau:新しい芸術)から、幾何学図形を直線的で表したアールデコ(Art Déco:装飾的芸術、パリ万博「L’Exposition international des arts decoratifset industrielsmodernes」に由来する)にかけても曲線が盛り込まれたのは、その両面があったのではないか。
そして、その柔らかさを取り入れるには、デザインは直線そのままでも天然素材を使うことで同じ効果が得られる。コンクリートのデザインを木造にするだけで、イメージがガラッと和やかになるイメージがつくだろう。

柔よく剛を制す

デザインは無駄のない直線で描くことで、完璧に仕上げることができる。しかし、直線だけでなく曲線を、有機的なデザインを盛り込むことで、人に長く愛されてデザインとして初めて完成するのだ。
柔よく剛を制す、ではないが、固いだけではダメでしなやかさが必要、人生にも同じことが言える。やはり、一つの心理なのではないか、そう思った次第です笑


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い一日を。

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