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陶磁器21:日本の焼き物(滋賀県:信楽焼)

おはようございます。
今日は曇りで風もなく、気温が高くもないけれどじんわり暑い、そんな感じ。

さて、日本各地の焼き物の名産地をピックアップしたところで、具体的に1つずつ見ていこう。
11回目の今日からはいよいよ関西に入り、滋賀県の信楽焼。

信楽焼(陶器)

信楽焼は、滋賀県甲賀市信楽町周辺で作られている陶器。
陶土に木節、実土、蛙目などの粘土や原料を合わせて練るため、コシがでて肉厚な焼き物や大きな焼き物を造ることができる。
信楽焼の特徴は、粗めの土質を用いて耐火性が高いこと。焼成する工程によって、ピンクやほのかな赤色に発色し、赤褐色系統の火色(緋色)が生まれる。信楽の白みある土に映える火色(緋色)は「窯あじ」と呼ばれるもので、温度や焚き方によって微妙に変化する窯あじによって信楽ならではの温かい発色が付く。さらにその表面に焦げや釉薬をつけるため、柔らかい表情の焼き物になる。焦げとは、薪が窯で燃え尽きて積もった灰に埋まった焼き物の裾の部分が、黒褐色に発色することです。焦げは灰かぶりとも言われる。
茶陶器においては、信楽焼の焦げ部分のさびた趣きが珍重される。他の産地では見られない、人の肌のような素朴な温もりや豊かな表情が垣間見える。

歴史

瀬信楽焼とは、天平時代に生まれたと言われれ、越前焼、瀬戸焼、常滑焼、丹波焼、備前焼と共に日本六古窯」と呼ばれ、聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を作る時に、瓦を焼いたのが始まりと言われている。
当初は常滑焼の技術的な影響を受けていたが、鎌倉時代中期には主に甕、壺、鉢などが作られ、安土桃山時代には茶の湯の発達により、茶道具の生産が盛んになった。茶器などの茶道具の名品が生まれ、信楽焼のわび・さびの味わいは現代にも生きている。
江戸時代になると登り窯が築かれたことにより、大量生産が行われるようになる。この時代は施釉陶器が一般的になり、信楽でも施釉陶器が作られ始め徳利や土鍋など、いろいろな生活用の器が作られ商業としても発達。江戸時代後期から製造がはじまった火鉢は急熱急冷に強いことが評価され、戦前まで各家庭で愛用される火鉢が多く製作されていった。明治時代には釉薬の研究と共に、信楽焼の火鉢は国内販売の8割を占めました。

代名詞ともいえる“たぬきの置物”が誕生したのは1951年です。昭和天皇の信楽行幸にて、主力商品である火鉢を積み上げてアーチをつくり、信楽たぬきに日の丸の旗を持たせて並べ奉迎したとされている。それを見た昭和天皇は喜ばれ「おさなとき あつめしからに なつかしも しがらきやきのたぬきをみれば」と歌に詠まれ、これを機に全国で人気となる。1976年(昭和51年)には信楽焼は国の伝統工芸品として指定され、狸の置物が代名詞にもなり「陶器の町、信楽」としても親しまれている。

1970年に開催された大阪万国博覧会のモニュメント「太陽の塔」の背面にある直径約8メートルの「黒い太陽」は、信楽の当時の技術を駆使して制作されたもの。このように伝統と芸術とあらゆる場面で信楽焼は展開されるようになり、土の味わいや温もりを生かした風合いが愛され、現在では、花器や食器、置物やタイルまで、幅広く住宅やインテリアに使われている。

地理

信楽焼を作り出す滋賀県甲賀市信楽町は、滋賀県が誇る琵琶湖の南側、三重との県境にもほど近いところに位置している。北東に10km行けば甲賀市中心、南東に同じくらい行けば三重の伊賀があるという忍者づいた?土地合いにある。琵琶湖の湖底に堆積した土を材料として作っていると聞いてさぞ琵琶湖沿いの街かと思いきや、山間にあるのは正直意外ではある。
個人的に注目している川に関しては、信楽から流れ出し、琵琶湖から最終的には淀川となって大阪湾に流れ出る瀬田川に合流する大戸川が流れている。このため、山間にあっても琵琶湖の土も含めて水運が役だったのではないかと推察する。

作り方

  1. 成形 信楽焼に使われる土は、琵琶湖の湖底に堆積した古琵琶湖層より採取。およそ400万年前から積もった土は耐火性があり、信楽焼の素朴な肌触りや温かい火色を創りだすことができる。掘り出された土を成型が可能な陶土にするために、木節や実土、蛙目など様々な性質をもつ土や原料を砕いて、水分と一緒に良く練ることで更に良質の陶土を調合する。出来上がった陶土は、種類に合わせて土煉機で練ります。
    成型時の気温・湿度の影響や陶土の性質を熟知した陶工によって、陶土を商品の形に成型していく。陶土は焼成後に焼き締まるため、出来上がり商品のサイズよりも大きいサイズを作る。主にろくろを使って成型しますが、ろくろで成型がむずかしいフォルムの鉢や楕円の皿などは、たたら板を使用する場合も。

  2. 模様づけ 成形した器を削ったり、印をつけたりして模様を加える。松の皮に似せた松皮模様や、小さな花を入れた印花模様などの装飾を施す。

  3. 絵付け 作品によっては職人の手作業で絵を入れる。絵付けには鬼板(岩石に含まれる鉄分が溶け出し、地中で固まった天然のサビ)や呉須などを用いて、筆で絵を描く。

  4. 釉かけ 素焼きが終了した後、素地に釉かけを行う。長石や石灰石、珪石、酸化鉄などを調合し、筆、ひしゃくなどで釉薬を施工する、職人の技術の見せどころ。施釉した色は焼くと溶けて、印象の異なる鮮やかな色に変化するため、窯元の技術や個性が現れる。施釉が濃い場合は、焼成しても溶けずに綺麗に発色しなかったり釉薬の縮れとなることも。逆に薄い場合は、素地の色のままになってしまう「素地に喰われる」状態になるため、熟練した技が必要な工程。

  5. 本焼き 窯に並べた商品を1200度以上の高温で焼成する。古来は薪を使った登り窯で焼き上げており、炎の中で灰と土が反応してガラス化する自然の釉薬である「ビードロ釉」という信楽焼の質感が生まれた。現在では炎が安定するガス窯、電気窯を使用している窯元もある。焼き物の出来上がりは気温や湿度など環境に左右されるため、窯を開けてみるまでどのようになるのかわからず、職人が期待を込めて行います。
    窯詰めして24時間以上焼きあげた後、窯出し作業を行う。窯出し時はおよそ200度程度の温度があるため、軍手をはめるなど、ヤケド防止をしながらの作業。窯出しした商品は、ひとつひとつ口元や底を研磨して仕上げます。丁寧な検品が終わったら、破損がないように包装したり化粧箱に入れるなど、商品にあわせた出荷作業にかかります。



*上記の情報は以下のリンクからまとめています。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。


皆様も、良い週末を。

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