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コーヒー30:コーヒーの歴史(19世紀)

おはようございます。
寒いの一旦受け入れれば平気ですなんて昨日書いたばっかりだけど、さすがに今更また吹雪くってなんですか。ちょっと引いちゃうくらい寒い、気温0℃だし。

さて、昨日・一昨日と人類がコーヒーを発見してから18世紀までの、「飲み物として」と「生産地として」の広がりを見てきた。今日は19世紀には何が起きたのか、見ていこう。

19世紀

コーヒーの木、ブラジルから最終地ハワイへ

1825年、ハワイに当時のオアフ総督ポキがコーヒーの木が初めて持ち込んだ。
カメハメハ2世と王妃と共にロンドン訪問をしていたポキだったが、その二週間の行幸の間に一行全員が免疫を持っていなかった麻疹病(はしか)に罹患して、王と王妃が亡くなってしまう。その思いもよらない悲しみの中、王と王妃の亡骸と共にハワイに戻る際、ポキはブラジルよりコーヒーの苗木を持ち帰り、オアフ島で移植が行われたのだ。
その3年後、現地の牧師によりハワイ島ヒロ地区でも栽培が始まり、その後コナ地区にも拡大、今のハワイのコナコーヒーに繋がる。
王と王妃の不幸がハワイの地にもたらした、世界を幸せにする苗木だったと言えるだろう。

飲み方の多様化

オランダにジャワ島からのコーヒーが初めて届けられて100年ほど経ち、ナポレオンが即位(1804年)した19世紀初頭になると、ヨーロッパで様々な飲み方が発明される。
ド・ベロワにより、フランス独自のドリップ式のコーヒーポットを登場させれば、ローランがポンプ式パーコレーター(エスプレッソの原型)でフランス特許を1819年に取得。そして、アヘン戦争をしていた1840年のイギリスでは、蒸留と濾過でコーヒーをたてるサイフォンが発明された。

料理のレシピの様にコーヒーの淹れ方を定めて味を一定に保つのもフランスらしければ、お茶をポットで入れるのが当たり前だからコーヒーも見て楽しめる淹れ方を考え出すのもイギリスらしい。
ただ、これらの記録が残っているということは、逆にコーヒーが飲まれて1000年以上コーヒー豆を炒って挽いてお湯で煮て上澄みなり漉して飲むなり、かなり原始的な飲まれ方をしていたということだ。

新種発見

そして、19世紀も終わろうかという1898年、アフリカのコンゴでカネフォラ種ロブスタが発見される。今まで歴史を追って見てきたアラビアで発見されたアラビカ種と、現在コーヒー豆の生産を二分するニューエースがここにデビューを果たす。(流通の6割をアラビカ種、4割をカネフォラ種、お豆の種類に関してはこちら

最初の数世紀はアラビアでのみ飲まれていたと言え、17世紀から何百年もかけてアラビカ種が世界に広まっていたのに対して、カネフォラ種は人類に知られるようになってからまだ125年…。それほどにここ最近の100年で世界のネットワークは密になり、新種が愛され求められるほどにコーヒーは世界の人々に愛されているという証左だろう。

*上記の情報は以下のリンクからまとめています。

タンザニア産キリマンジャロ、ジャマイカ産ブルーマウンテンと共に世界の3大コーヒーに数えられるハワイのコナコーヒーにまで苗が届き、より美味しい飲み方も研究が進み、そして現在生産されるコーヒーの4割を占めるカネフォラ種も発見された19世紀。ここまでで現在のコーヒー環境のベースがほぼ整った時代と呼べるだろう。
いよいよ、明日は僕らも(一部の人が?)生きてきた20世紀の出来事を見ていきたい。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。


皆様も、良い一日を。

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