2021年秋、京都芸術大学・芸術教養学科に学士入学しました-1:精神的な学び

通信制大学、決して楽ではなく時間もお金もかかる、リターン度外視の試みなのに手を出してしまう。そんな自分が「大学での”精神的な”学び」について考えることを書いています。

通信教育は、援助がなく、時間の拘束が長い仕事をしながら学ぶには、最後の選択肢ともいえます。どストライクな条件の私は、あまたのことを通信教育で学び、大学も経験しました。

しかし通信制大学は私が受けてきた他の趣味や資格関連とは段違い。「地獄へようこそ」みたいな関門の連続で(あっ書いちゃった)。とにかく壁は高く、長く、厳しく・・・。楽しくても、私にとってはトレードオフ(時間、コストなど)は半端ではなく、「終わった時に生きてるかどうか」くらいの命がけの負担でした。

でも、社会人になってから自分で専攻を選び、定点観測でそれをやりきったことは、辛さ以上の甘美な、幸せな経験となりました。世の中にはそれだけの時間と労力をかけて見えるもの、わかることがある、ということを知り、物事に対する自分の認識のベンチマークが形成されました。

ここで満足して完結、も、もちろんあり。しかし私の場合は、人生でずうっと心に引っかかったまま、いつかやりたいと思っていることが他にもあり、幸せな経験は、別のジャンルを学んだ時、自分の知覚はさらに変わるのか?と、新たな好奇心へとつながっていきました。「もう一度、は絶対無理」と思っても、また別の世界を見たくなる性分なんですね。

そんなこんなでまたここに来てしまいました。今はこれからの自分の反応に興味深々です。多少の経験はあるつもりでも、今回も全く同じとは限らない。どのような気持ちで課題に取り組むか。

課題を開くと、懐かしい思いと、休んでいる間にゆるんだ思考をまた働かせないと、という緊張と、未知の物に出会ったワクワクが交互に押し寄せてきます。