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ホッピング生活最終日に

はぁい、ゆかりです🙋‍♀️
沖縄を全身で感じていたため、週刊note更新一旦休止していました。
すごく久々の更新です。
10月と言うのに、、、まだまだ暑いですね。
私は沖縄から小豆島に移動して、数日の滞在ののち、今日地元に戻ります。
しばらくは地元で過ごすので、ホッピング生活は今日で一区切り。
そんな私の独り言。

【ホッピングを始めた目的、なんだった?】

当初のホッピング利用の目的

①移住地の検討
②新たな出会い(人に限らず)
③持ち物の少ない暮らし体験
④旅する暮らし体験
⑤未知の体験との遭遇率を高める
⑥自分にとっての理想の暮らしを見定める

こんな感じ。
達成率は、体感で6〜7割くらいかな。

【目的のかぁるい自己分析的感想】

①に関しては、まだ踏まぬ地のことがあるので、なんとも言い難い。
が、海のそばというよりも、海と森があるところ。
自分の本来の姿、心の内側の声をしっかり聴くのに必須。

②はまぁ面白いことがありましたねー。
この時期にホッピングすることに、なっていて。
休会期間含めて、ベストタイミングだったんだろうな。
どんなだよ(笑)。

③に関しても、流行りのミニマリスト生活や断捨離に乗っかるというより。
人のみならず、ものにも、放つ「気」があって。
ごちゃごちゃとものが多いと、気になってしまって普段から集中保ちにくいのに余計に集中力を削がれる。
HSPさん、エンパスさんなら共感得られるかも。
持ち物少ないと、ラク。
丁寧に扱いたい大切なものや、自分にとってこれがなくちゃ!なものも、わかる。
不便かもしれないが、あるもので工夫する。
「ない」ではなく、「ある」を感じられる。
とは言え、ものを手放すのが苦手なのもHSP特性のひとつなんじゃないかな。
「もったいない」世代に囲まれて育った幼少期の環境も見過ごせない。
まぁ、少しずつでも。
本当に好き、気に入った、大切、なものだけに囲まれていると、どうだろう?どんな感じ?
と、自分に問う。
購入前に、手に入れた時のその瞬間を、感じる。
「買う」「手に入れる」が目的になることってありませんか?
私はこれまでよくしてきたと思う。
反省改善したいこと、だ。

④に関しても。
当然、一長一短。
そもそもHSPとHSSとHSEが同程度にブレンドされていたら、どうしても大矛盾を同時に抱える。
HSPだけであれば、ホッピングどころか旅行もしんどいかもしれない。
表面からは、HSSやHSEの方が見えやすいため、自分ですらHSPが強めだという自分の気質をともすればちょっと蔑ろにしてしまうことも。
ホッピングや旅自体、性には、合う。
ただ、安心安全な環境を創り、保つのが難しく、知らずのうちにストレスがキャパを超えて、身体がそれを示す、という経験はホッピング中に何度も。
自分のことをよく知っている、って中々言えないものだ、ということを更に深く体験している。

⑤に関しては重複箇所も多いので、簡単に。
ここはたくさん成され、もっと言えば完成は、ない。
さらにさらに、未知なる出会いの感動やストレスの体験は今後も続く、永遠のテーマなのだ。

⑥では、まだぼんやりとだが。
わかってきたことも。
上記をまとめて、更に自分以外の人々も関与する、かな、と。
どこで、どんなふうに、誰と過ごすのか。
一人だと、どこまでも自由で自分勝手で自己中心的に、なれる。
なれるのになれないのは、一人で生きている訳ではない、と肚から感じているからか。
自分のいのちは自分がポッと一人で生まれて来たわけではなく、いのちのバトンを繋いでいただいているから、なんだな。
食に関しても、そうだ。
この器、身体が必要な分以上を普段から食している。
身体とよく相談するにも、うまく行かないことが多く。
「残してはいけない」の呪縛からも解放されたと思いつつも、まだまだ根深いし、自分が大切にしていることでもある。
ちょっとずつこのこんがらがった糸を、解いて。
行こう、この先へ。

【まとめる】

なんとなく。
沖縄に行くための前哨があって。
付随する大切な寄り道や遠回りもあって。
でも全部繋がっていて。
島生活や海辺生活をちょっとだけ体験+会いたい人に会う、の前半で。
楽しかったりキツかったりの中、新しい人との出会いがあって。
後半はほぼ沖縄にいたけれど。
今生、このいただいた器で何をすると約束してきたのかが、なんとなくつかめて。
でも思い込みかもしれないし、なんだか怖い、と感じる自分。
今やっと幸せに生きられてるのにこれ以上の求めるものもなく積極的に変わりたいとも思っていない自分。
けど、多分、ずっと無意識でやってきた「祈りと癒し」をもっと先導的にやっていくことになるのだろう。
遅かれ早かれ、刻が来て。
取り組まなければ気付かされる何かが起こり、それはパターン化して繰り返されるのに、なぜ一歩が踏み出せないのか、と。
しかし、それ本当?
本当に踏み出していない?
と、問うと。
自分に厳しかっただけで、本当は踏み出せている、と見えることもある。
「祈り」は行動だから。
理想を現実から見つめ、高みに置きすぎている。
それすなわち、「幻想」で、何人も到達できないから(笑)。
だから私は、ただの私で、とても素敵な人たちに助けられて、ちょっとずつ歩けばいい。
世界への循環を目指して。
それは、誰しもの共通の願いなのだと、私は知っているのだから。

【結びの言葉】

今回も最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。
これからもなんだかわからない、とっ散らかったトピックで、緩やかに文章を紡いでいきたいと思っております。
言葉は、ただの言葉で。
人は魂のこもっていない言葉も用いるのだけど。
でも言葉には力もあるから。
行動の糧や礎であってほしいな、と希う自分もいるから。
そんな想いで、心を言葉に乗せて発していきます。

言葉は嘘にもなるけど、行動だって嘘のこと、ある。
誰もが心からの言動を表出できたら、そんなやさしくあったかい世界であったら。
そう希ってやまない。

お付き合い、今日も感謝です。
あなたの明日が今日よりもちょっぴりハッピーであることを祈って。
またお会いしましょう。

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