嫌われるかもしれない。が、嫌われる。
以前、派遣で勤めた会社でのこと。
普段とても話しやすくて、紳士なイメージの男性社員の方が
声を荒げているのを背で聞いて驚いたことがあった。
「○○さん、どういうことだよ!
何でそれ、俺に言ってくれなかったんだよ」
彼の言う○○さんとは、韓国人の方。
勢いよく責められて、小声で言い訳しているのでよく聞こえない。
その後に続いた言葉。
「俺ね、○○さんとは良い仕事をしたいんだよ。○○さん大好きだから。だからどんな事でもいい。話しして」
ここの会社のこの部署は、かなりのエリートが集まった集団だった。
声を荒げている彼も、韓国人の方も、その周りの方も。
さまざまな面で能力のある人たちだということが一瞬でわかるようなオフィスだった。
そんな中で発せられた、
「○○さん大好きだから。だからどんな事でもいい。話しして。」
耳だけで会話を聞いていた私は
この言葉に、ちょっと泣けてくる思いだった。
「ごめんなさい。私も好き。ちゃんと話すべきでした。」
ある意味、エリートサラリーマンが集まるオフィスの中で交わされる言葉としては、稚拙な字面かもしれない。
国籍が違うからこそ、シンプルな言葉が使われたのかもしれない。
嫌われそうだから言わない。
嫌われるのが怖いから言わない。
「空気を読む」「場の雰囲気を感じる」
どちらかというと、私はこれらに重きを置いている人間だと思う。
けれど、たまに生じる歪みは、
相手のことを考えすぎて言葉にしない
ということから始まっていることがある。
嫌われるかもしれない。が、嫌われる。
人と人との距離感。
心と心の距離感。
SNSの時代では、この距離感を計ることが難しい。
結局コミュニケーションスキルが問われることになる。
それでね、
嫌われるかもしれないと思っても、言うべき時は言う。
後で言いすぎたと思ったら、フォローする。
これくらいの気持ちで生きた方が上手くいくんじゃないかと。
素直に生きたもん勝ちってところも、あるんじゃないかと。
「素直さ」を出して、子供っぽい大人になる。
今日はすごく晴れているから公園に行こう。
公園に行って、人を見てこよう。
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