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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百二十四話

 第二百二十四話 山風(四)
 
浮舟に想いを寄せていた中将は、ようやくもらえた返事の美しい走り書きを何度も読み返しては深い溜息を吐いているのでした。
尼となってしまわれた姫なれば想いを募らせても詮方なきことなれど、なまじそのお手蹟を見てしまったばかりに心が再びざわめくのを抑えられないのです。
恋心を持つ男性に懸想した女人の文を与えるなど少将の尼はなんと浅薄この上ないことをしたのでしょう。
殿方は手の届かない存在となった女人を渇望する困った恋心を持つ生き物ですのに、中将が怪しからぬ事をなさるとは考えも及ばぬのでしょうか。
同じ出家という道に踏み込んでも人の品格によってその歩みは違うもので、残念ながら浮舟にとって小野の庵というのは俗世からそう遠くない烏合の集まりの裡にあるようなものなのです。
中将の未練は埋み火のように燻り、捨て去ったはずの恋心をじりじりと焦がし、その身も焼かれるほどにめろめろと再燃しているのでした。
そうかといって御仏の弟子となられた女人をどうこうしようというのはそれこそ仏罰を蒙るというもの。
ひたすら消火できぬ想いを抱えた中将はどうしたものかと悩みつつ紅葉狩りへと出掛けました。
山野に踏む道は姫が俗世にあった頃に恋に衝き動かされた通い路なれば、掃おうとした心はさらに沸き立つ上に、まるで誘うように小野の辺りの山際が燃ゆるように色づいているのを拒むことはできまい。
ええい、ままよ。
姫が出家したからと見限ってはこの中将も料簡の狭い男と嗤われよう、などと言い訳がましく理由付けするのは殿方の狡いところか。
あれ以来久しく訪れの無かった中将の一行がお越しになるのを何より喜んだのはやはり尼君です。
遠く色鮮やかな狩衣の一団が見え始めてからいそいそとお迎えする支度を始めましたが、予告もない訪れであったのですぐには迎えられません。
招き入れてから少将の尼に中将のお相手をするよう言いつけました。
「中将さま、お久しぶりでございますわね。もう来て下さらないのかとばかり」
「公務で多忙だっただけだ。私をそんな薄情な男と思っていたのかね」
中将としては馴染みの尼が出てきてくれたことで冗談を交じえて思うところを話すことができるのです。
「そのようなことは。ただわたくしはお役にたてなかったことが申し訳なくて合わす顔もないと考えておりましたの」
「姫君の出家はそなたも予想外であったのだろう?今更誰も恨むまいよ。ただ、そうさなぁ。せめて御姿を一目なりとも拝ませてくれる約束ではなかったか」
「まぁ、そのようなことを申しましたかしら?」
「言ったとも。御仏に仕える身なれば約束を守りたまえよ。何だったら今の尼姿でも構わんぞ」
「おや、まぁ。」
狡猾な中将が恋心をちらとも見せずに言うもので、少将の尼も気を抜いて軽くそれに応えるのが愚かしい。
「では、姫がどちらにいらっしゃるのか見て参りますわ」
などと、請け負うのもどこぞの青女房ならばいざ知らず、尼である身としては浅はかこの上ないことでありましょう。

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