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『光る君へ』いろいろ解説⑦文様の話
みなさん、こんにちは。
もうすぐ終わりを迎えるNHK大河ドラマ『光る君へ』ですが、初めて平安時代が描かれるということでとても注目されましたね。
紫式部(吉高さん)と藤原道長(柄本さん)が幼馴染みで想い合い、不義の子までも誕生・・・。
トンデモ脚本に賛否両論というか、否一論という視聴者も多数いらっしゃるようですが、やはり装束だけは素晴らしかったです。
神社にお仕えしている時に身近に有職文様を目の当たりにしていた私に言わせてもらうとちょっとケバケバしいところも否めませんでしたが、女房装束などは艶やかで世界観は楽しめました。
そこで文様について解説したいと思います。
まひろと賢子の文様
まひろの若い頃の装束といえば若い娘らしく黄色系、伝統色でいえば「菜の花」か「苅安」といった色味で、それは娘の賢子にも踏襲されました。
長じて後のまひろの色味は安定の紫系「二藍」か「桔梗」あたりでしょうか。(桔梗はウィカさんでしたが)
賢子が土御門邸の彰子のもとに出仕する際の衣裳を見るとわかりやすいです。
![](https://assets.st-note.com/img/1733383776-usGgwkFiMItnPa8erKOA6dRE.jpg?width=1200)
まひろの装束は鶴の文様が多く「向い鶴の丸」というのが文様の名前です。
賢子も「向かい鶴の丸」があしらわれた装束を身に着けておりますね。
鶴はご存知「長寿」の象徴。
平安貴族に好まれた図柄です。
二羽の鶴が向かい合って丸を形成します。
「円」は平和を象徴することから、「長く健康で平和に暮らせるように」という意味を持ちます。
鶴を向い合せに配して、菱型の形にする「向い鶴の菱」という文様もありますが、菱は「多産」の象徴で「繁栄」を表します。
そのことから「長く健康で家門が栄える」という意味を帯びるのです。
道長の装束に描かれた文様
道長の装束には花のようなデフォルメした丸紋が多くあしらわれておりました。
そして私が注目したのはこの時の道長の装束です。
![](https://assets.st-note.com/img/1733384425-FMamByPLpo0u3AgUODl9h78N.jpg)
まひろと同じく「鶴の丸文」ですね。
しかし、違うのが鶴が三つ又の若松をくちばしに咥えているところです。
鳥が何かを咥えて飛ぶ文様を「咋鳥文(さくちょうもん)」といいます。
これは実は地中海のほとりからシルクロードを経由して日本にもたらされた文様です。
その昔、鳥が巣を作る際に巣材を咥えて飛ぶ姿を見て、人々は鳥が幸運を運んでいるのだと考えました。
そこで鳥が何かを咥えて飛ぶ姿を描いた「咋鳥文」が生まれました。
それは鳥の種類によって意味合いも変わってくるのです。
鳩であれば「平和」になりますね。
白鳥であれば「愛の使者」。
梟ならば「賢者」「守護者」。
鷹や鷲は「勇猛」といった具合に。
そして鳥が何を咥えているのかも重要になります。
花は「輝かしい未来」。
リボンならば「栄誉」。
オリーブならば「平和」。
鳩がオリーブを咥えている文様は二重に「平和」となります。
その文様が和風に転じて道長が身に着けていた「松喰い鶴」という文様が生まれました。
「咥える」ではなく「喰う」と表現されました。
長寿の象徴である「鶴」が、同じく長寿を表す「松」を咥えていることで、健康長寿を強く願う文様ということになります。
糖尿病に悩まされ、長生きを切望した道長らしい文様といいましょうか・・・。
蛇足ですが、同様に「花喰い鶴」という文様があります。
これは向かい合った鶴が花を咥えて描かれますが、「健康で長生きして幸せな未来を願う」という意味になります。
現在の東京の歌舞伎座がお披露目された際には、鳳凰の昨鳥文が話題になりましたね。
為時パパの文様
ドラマでなかなかいい味を出しておられた為時パパ(岸谷五朗さん)が出家する前に身に着けていた装束には「片輪車」が金箔で描かれておりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1733385572-J7E9j34RB65vfWQaCsDhdwAU.jpg)
「片輪車」という名称は、通常では対となる牛車の片方の車輪ということになります。
それでは何故その車輪が片方だけで、ひしゃげたように描かれているのか。
ここには平安の時代背景が大きく関わります。
貴族達が移動に使用する牛車の車輪は木製でした。
乾燥によってヒビが入り耐久性が低下するために、牛車の車輪は外して川に浸けられていたのです。
そして使用する前に川から引き上げられました。
貴族たちの牛車に使われる車輪が川に浸けられ、川の流れに任せて回る様子は、まるで輪廻を表すようで、そこに「神仏加護」と来世への「よりよい転生」を願う縁起がかつがれました。
ですから本来この文様は流水と共に描かれます。
淀むことなき流水に回る車輪はさながら「運命の輪」。
侘び寂びを感じる味のある文様ですね。
御仏の弟子に生まれ変わる為時パパにはピッタリの文様でした。
衣裳部、時代考証の先生が意見されたならば、
「アッパレ!」
と申し上げたい。
(地紋に流水ならば、尚アッパレ!)
ちなみに江戸時代に妖怪を描いた遠山石燕が「片輪車」を妖怪として描いていることから、『片輪車=妖怪』なので、私は牛車の車輪を文様化したものを、本来の「源氏車」と呼ぶのがふさわしいかと。
源氏つながりで後味もよろしいようで・・・。
な、文様のお話しでした。