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⑯ 子どもたちの変化と唯一流した2回の涙/学級崩壊

学級崩壊(がっきゅうほうかい)とは、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を指す。主に日本の小学校に関して1990年代後半に新聞やテレビなどのマスコミが使うようになって広まった表現とされている。

学級崩壊とは…?

1. 少しずつ少しずつ変化を見せる子どもたち


前回は、4か月の間に自分の体や心に起こった変化について紹介しましたが、今回は子どもたちの変化と唯一涙したことについて紹介します。

☟ 前回の投稿はこちら ☟

下記は散々学級開きで暴言を吐かれながらも説明した“しあわせのバケツ”の足跡です。 中身はなんてことないかもしれませんが少しずつ学級が変化していった様子がわかると思います。

子どもたちが見つけて言いたい良い変化などを掲示していきました

【9月】

新担任としてクラスがスタートしたものの、離席立ち歩き・脱走がまだ見られました。休み時間にはあちこちで喧嘩、授業は成り立たないということも多く、毎時間毎日が格闘という感じでした。
トラブルが多い分、 放課後は保護者の方との電話が何件にも及び、また直接の話し合いが放課後に行われることも多く、そこから授業準備をしていた為、体力的にもきつくて毎日クタクタでした。 変化は感じられず・・・。

【10月】

確実に脱走が減り、 自分の席に着くようになります。(その分、自分の席から暴言を吐くことは止まらず•••。)
友だち同士の喧嘩は道徳やsel-8s、 GWTなどのおかげか減っていきました。 ただ主に荒らしていた子たちが少し良くなったと思ったら、黄色信号だった子たちが反抗してきたりしてうまくいきません。一進一退の状態が続きます。 ただ、周りの先生からしたら、脱走も減り、挨拶もできるようになった子どもたちを見て、 良くなったように見えていたかもしれません。

【11月】

教科によっては何とか授業が成り立つようになりました。 みんな自分の席に着いています。黄色信号だった子たちも私に少しずつ心を開いてくれたのか、私への誤解が解けたのか、 指導が通るようになりました。
特に荒らしていた子たちは教科によってはうまくいきませんが、 以前よりはよくなりました。 暴言はたまに出ます。 保護者の方に理解を得られるようになったのもこの頃です。 少しマシになったかな?と思えるようになりました。

【12月】

ポイント制でコツコツ初めから頑張っていた子どもたち、 黄色信号だったけどこちらに理解を示してくれるようになった子どもたちが学級のために声をかけたり、協力してくれたりするようになりました。 荒らしていた子どもたちもトラブルは多少はありますが頑張りを見せていました。 まだまだな部分はありましたが、 静かな授業が成り立つようになりました。 副担任と図工専科も12月で抜けることが決まり、 いよいよ残り3か月は1人で頑張らなくては!というところで2学期が終わりました。

【1月2月3月】

正直、冬休み明けはリセットされて戻ってくるのでは・・・ と怖かったんですがそれは大丈夫でした。 小さなトラブルは起こるものの、 それは通常の学級で起こるレベルのものでした。 教室に大人は担任1人、 指示は通る、 授業が成り立つ、通常の教室に戻りました。

そしてそんな教室を見渡しては、
__みんなほんとにありがとう。よくがんばったね__
そう思わずにはいられなかったです。

2. 唯一、流した涙


私はこの学級を受け持った時、 どんなに暴言を吐かれても、どんなにクレームを言われても、涙は出ませんでした。

そんな私が唯一、 涙を流した出来事が 2つありました。

1つは夏休みの時のことです。
この学級を受け持つとわかり、授業作りの師匠と決めた方に色々聞いて準備していた時です。あと数日で始業式を迎える…。

「とても不安です・・・。」

そう言って急に泣いてしまったことを覚えています。優しく話を聞いてくださいました。

ただ始まってしまったら怒涛のように毎日が過ぎ去り、 とにかく必死に日々を過ごします。 それから少しずつ少しずつ学級もよくなっていき、月日が経過していきました。

そして3学期に前担任の先生が復帰されたのです。 私は子どもたちにとって前担任の先生にとって、どうするのが最善なのかずっと悩んでいました。そしていよいよクラスが解散する3月末に、子どもたちに正直に話をしました。

「どうするのが1番いいと思う?」

すると子どもたちが・・・一斉に席を立ち始め、職員室に向かいました。 そして前担任に向かって
「先生、ありがとう!」
「先生、たくさんごめんね!」
「こんなことできるようになったよ!」

と口々に話始めました。 もちろん暴言を吐いていた子達もいます。 皆笑顔です。

その姿を見ていたら、たまらず涙が込み上げてきて、堪えきれませんでした。私はちゃんと責任を果たせたのかな...。そう思ったことを覚えています。

3. 最後に


先生のやりがいってなんだろう?

よく考えるんですけど、 個人的には子どもたちの成長を身近で見れることかなと思っています。しかも、自分が学級経営や授業作りをこうしよう、 あーしようと悩んで悩んで準備すればするほど、 成長した時に喜びを感じて、さらにやりがいを感じるのかもしれません。

前回の私のように体を壊してしまっては元も子もないですが、子どもたちの変化や成長に手応えを感じるのは、うまく表現できないですけど先生方ならきっと皆さん感じたことがあって、それが教師の醍醐味なのかなと思います。

大変な年だったけれども、 最後に前担任の先生に謝罪や感謝の言葉まで言えるようになった子どもたちを見て、なんでしょうか達成感? 充実感? 安堵感? いろんな感情がごちゃごちゃと襲ってきて涙を堪えきれませんでした。
※ちなみに前担任の先生は学校には戻ってはこられましたが担任には戻らず、 他学年の専科をされていました。

そしてこの経験は私のその後の教員人生において軸となり、何においても動じず、 突き進めるようになりました。

それと実は子どもたちは 校長先生のところにもあいさつに行ったんです。 この時にも感謝の言葉や謝罪を述べる子どもたちの姿がありました。ただ私が驚いたことは、 校長先生がこの時に涙を流されていたことです。
「頑張ったね。 あなたたち頑張ったね。 よく成長したね。」
と泣きながら言ってくれました。

私がこの学級を受け持った時、子どもたちには、大人たち全てを敵だと思っているようなところがありましたが、きっとそういう思い込みはもう3月にはなくなっていたと思います。

校長先生を含めたくさん支えてくださった先生方全てに心から感謝しています。そして時には厳しい指導にもしっかりついてきてくれた子どもたちにも心から感謝しています。

もともと少数でもいいから今困っている方に届くといいなと思って記事を作成していました。instagramでは信じられないくらいの反響をいただき、コメント、DMたくさん相談をいただきました。
instagramの投稿は現在削除しておりますが、これからも続きはnoteにてあげていきます。

私があの時助けてもらったり、支えてもらったりしたように、次は私が…
どこかで誰かのお役に立てたらいいです🍀

このシリーズを投稿している経緯

最後まで読んでいただいてありがとうございました🐱

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