大切な場所に落ちているゴミが気になって仕方なかった私の体験談
隅田川にいるカニと出会った私は、カニの住み処に落ちているゴミが気になり、拾いたくなりました。自分なりに考え、河川管理者への問い合わせからはじめ、個人でのゴミ拾いへと行動に移す中で、様々な葛藤、問題意識と向き合いました。5500文字を超える長文になりましたが、東京の街にある、私たちを和ませてくれる自然の風景を知っていただくとともに、身近に落ちているゴミについて、一緒に考えるきっかけになると嬉しいです。
1.小さな出会い
東京都を流れる隅田川、その畔にあるヒメガマの生息地。
ここは私にとって、とても大切な場所だ。
長男が幼い頃から、一緒に良く遊びに来る公園のすぐそば。
私自身が、リフレッシュしたい時、自転車に乗って、日によって違う空や川の様子、緑や風を感じに来る場所でもある。
この夏、そこで小さな出会いがあった。
ボートの水しぶきが涼しげ。
ヒメガマ
ヒメガマの生える湿地帯とフェンスで隔たれた遊歩道を、三男をおんぶしてゆっくりと歩いていると、
「カサカサカサ」
音がする。
「何だろう・・・。」
恐る恐る覗いてみると、子どものこぶし大くらいの何かが、サーッと横歩きで逃げていく。
「もしかして!」
フェンスの上から湿地をのぞき込むと、そこには数えきれないほどの蟹の姿。
物音に驚き、一斉にサーッと穴の中に潜ってしまったが、
しばらく静かに見ていると、またカサカサと動き始め、穴の外に出てきた。
生まれたばかりと思われる、私の爪の大きさほどしかないような小さなカニから、私のこぶし大くらいの大きなカニまで。
真っ黒いカニ、体は黒くてハサミだけ赤いカニ、体全体が赤いカニもいる。
中には、ハサミに毛が生えているカニも。
個性溢れるカニたち。
「ここはカニのパラダイスだ・・・。」
「早く、長男と次男にも見せたい!」
そう思った。
2.子ども達との夏の思い出
コロナ禍で地元の田舎にも帰れない中、自然が恋しくなっていた私。
まさか東京で、近所で出会えると思っていなかったカニとの思いがけない出会いは、飛び上がるほど嬉しかった。
早速、保育園のお迎え帰りに、長男と次男を連れて行った。
「わ~!カニだ~!」
「カニ、初めて見たね!」
じーっと釘付けになって観察していた。
「あっちにもいる!こっちにもいる!」
「赤いカニもいる!」
地面に空いた沢山の穴を発見し、
「土のなかにどのくらいのカニがいるんだろうね~。」
・・・・・
「またカニのところに行きたい!」という長男。
家の図鑑で、カニのページを見つけ、寝る前に「カニのえほん、よんで!」と持ってくるようになった次男。
カニに出会った感動を、子ども達と分かち合えるようになり、私はますますカニへの想いを篤くした。
・・・・・
ただ、ずっと気になっていることがあった。
フェンスの向こうのカニたちの住み処には、ゴミが大量に落ちていたのだ。
子ども達も、大量のゴミに目が向かないわけがない。
「これ、誰かが落としちゃったのかな?」
「ゴミ捨てたらダメだよね。」
何故ここにゴミが落ちているのか、おおよそ想像できる年齢になっている。
私は、ただ、子ども達の言葉に共感することしかできなかった。
それからも私は、カニに会いに行った。
どうしてもゴミは目に入ってくるのだけれど。
足を運ぶのをやめなかったのは、私にとって、この場所が、とても大切な場所になっていたからだった。
いつもの公園の駐輪場に自転車を停め、階段を下り、フェンス越しに背の高いヒメガマの生える湿地の底を覗きこむ。そこにカニたちの姿を見つけると、何だかホッとした。
ある時、思い切って、護岸のフェンスにあった看板に書かれた河川管理者の連絡先に電話してみた。
「カニが住む湿地にゴミが沢山落ちていて、拾いたいのですが、手が届かないところにも沢山あって・・・。」
「詳しい場所を教えてください。こちらで対応します。少しお時間をいただくことになりますが・・・。」
対応してくれた人のその言葉にホッとして、特にその後の連絡などは不要と話した。
どこか満足している自分がいた。
3.人任せにはできない
「もっとこうすれば、良くなるのに」
想うだけでは何も変わらない。
誰かに依頼したとしても、それが、自分が叶えたいと思うタイミングで、自分が望む形で、解決される保証はどこにもない。
個人が、組織が、抱えている様々な課題。
その課題の解決には、どうしても優先順位がつけられる。
誰かに強く「解決が必要だ!」と思われないと、
限りある、人の時間とエネルギーを、お金を、
「投資したい。」「投資すべきだ。」
と強く思われ、その行動に移す意思を決められなければ、何も進まない。
逆に言えば、たった一人の意思でも、行動に移せば、変わることがあるかもしれない。
8月は連日の猛暑もあり、川に行くのをしばらく控えていたのだが、9月に入り、またカニに会いに行った。
カニの住み処の「管理者」と呼ばれる事務所に電話してから、2か月くらい経った頃だった。
私は、少しだけ、期待していた。
一方で、「少し時間がかかるという話だったから、まだ回収されていないだろうな。」という諦めの気持ちも、用意していた。
でも、まさか、
ゴミが増えているとは・・・。
想像できていなかった。
何かに裏切られたような気持ちだった。
夏の名残を感じさせる、花火やビール缶のゴミ。
散乱するタバコの吸い殻。
誰かが夜、花火をして楽しむ姿が、容易に想像できてしまった。
強い感情が、私を突き動かした。
私はただ、その場でスマホを取り出し、『マジックハンド』を検索して、注文した。
4.いざ、ゴミ拾いへ
そんな中、保育園の長男のクラスでカニを飼い始めたという。
そのカニがきっかけで、長男の友達が、
「隅田川でカニを見たことあるよ!」
という話を聞かせてくれた。
私たちが見た場所と全く同じ場所かどうかは分からないが、隅田川のカニに気づいて、楽しんでいるのは、私たちだけではない、ということを知って、ますます「あのゴミを、そのままにしておくわけにはいかない。」という気持ちが膨らんだ。
河川管理者が、回収してくれる日がいつになろうと、構わない。
広い河川を管理する中、一本電話が入ったくらいで、直ぐに対応できる訳がないことは分かっている。
回収してもらったとしても、また、どこかからゴミが流れてくるかもしれないし、落とされてしまうかもしれない。
そんなことより、私はまた子ども達とカニを見に行きたかった。
落ちている大量のゴミに心を揺さぶられることなく、ただ、子ども達とカニを眺めたかった。
『マジックハンド』が届いた翌々日、私は保育園の見送りの後、カニのところに行くことにした。
数枚のゴミ袋に軍手、マジックハンド、除菌シート、そして汗拭き用のタオルを袋に纏めて。
三男には、おんぶで付き合ってもらった。
落ちているゴミは、一日で、一人で回収しきれるような量ではない。
フェンス越しに届かない所にもゴミは落ちているし、よく覗き込んでみると、遊歩道を歩いているだけでは気づかない草木の影にも、大量のゴミが隠れている。
私は、前もってルールを決めた。
「自分が気になっている場所から拾うこと。」
「時間を決めて拾うこと。」
「届かないところは諦めること。」
9月に入ったとは言え、日差しの強い日だった。
大きなペットボトルや空き缶、ライター。
この場所に落ちていることが気になって仕方なかったゴミを、一つ一つ。
マジックハンドで掴んではゴミ袋に入れる。
カニを脅かさないように、そーっと。
ただ黙々と。
気づくと、額から汗が流れていた。
一番気になっていた場所:Before
届く範囲のゴミを取り終えて、もう少しで届くのではないかというゴミに手を伸ばす。
直ぐ近くに見えているのに届かない。このもどかしさ。
一番気になっていた場所:After
手を伸ばしても届かなかったペットボトルや、納豆パック。
もう少し手を伸ばせば届くのではないか…。
何度かトライしたが、始めに決めたルールを思い出し、取ることを諦めた。
1時間で終了。フェンス越しに、手が届かなかったペットボトルが見える。
5.ゴミを拾って感じたこと
できる範囲で拾えるゴミを拾ってみたけれど、やっぱりゴミが落ちていることには変わりがない。
ずっと気になっていたことを行動に移せたという、ほんの少しの爽快感もあったが、それは自己満足のようなものに思えた。
一人でできることって、このくらいだ。
分別して纏めると、これだけの量。
帰り道、道端に落ちているゴミが気になって仕方なかった。
はじめはいくつか拾ったけれど、もう際限がないと思って、途中から諦めた。
自分自身も、時間とエネルギーがないと、行動を起こすことなんて、できないんだ。
残ったのは、空しさだった。
その日、保育園から帰ってきた長男と次男に、カニのところにゴミを拾いに行った話をした。
気になるゴミが取りきれなかったことも話した。
宅配便が届いたとき、梱包を真っ先に開け、取り出したマジックハンドで、ハイテンションで遊んでいた2人。
「マジックハンド、使いたい!」
「カニのところに行って、ゴミ拾いたい!」
明るい言葉に、救われた。
カニの住み処を守るとか、ゴミのない社会を目指すとか、
そんな大きなことを一人で背負うなんて、できっこないんだ。
・・・
「またカニを見に行きたい。」
「カニの住み処に落ちているゴミを拾いたい。」
動機は全く違うのかもしれないが、その想いを共有することができる仲間がとっても身近にいた。ということに、何より勇気づけられた。
次の週末、子ども達と、いつもの場所へ出かけた。
マジックハンドを袋から取り出し、子ども達はキャッキャと騒いでいる。
「このペットボトル、取ってみたい!」
「うーん。取れない。ママ、やって~!」
「貸して~!やりたい!」
まるで遊びのようだったが、子ども達は集めたゴミを見て、満足そうだった。
子ども達と一緒にゴミを拾った時間は、確実に、私にとっての大切な思い出になった。
6.ゴミのない社会が実現する日は来るのか
カニの住み処にまだまだ残るゴミのことが、やっぱり気になっている。
残念だが、拾ってもまた、ゴミが増えてしまうことも想像できる。
一人で、家族で、行動するのには十分な用意ができた今、時間とエネルギーさえあれば、私はまた、ゴミを拾いに行くことができる。
でも、私がいつもゴミを拾えるわけではない。
河川管理者が、私の手が届かなかったところを含めて、定期的に清掃してくれることに、期待したい気持ちもあるが、それだけでは解決しないということも分かっている。
だから、心が晴れない。
果たして、ゴミの落ちていない社会が実現する日は来るのだろうか。
少なくとも、落ちているゴミを拾いたいと思ったときに、気軽に拾えるような社会になってほしいと思う。
誰かが、ゴミを誤って捨ててしまいそうになったとき、それを拾う誰かの存在を、もしくは自らがゴミを拾った経験を、思い起こせるような社会になってほしいと思う。
衝動的にも見える私の今回のゴミ拾いも、行動に移すまでには、様々な疑問や葛藤があった。
落ちているゴミを拾って良いのか?
自治体や管理者などに届け出が必要なのだろうか?
拾ったゴミはどうすれば良いのか?
ゴミ拾いやボランティアに関する様々な情報を調べた。
管理者に再度、電話をし、ゴミを拾いたい旨を伝え、話を聞いた。
区の清掃課にゴミの捨て方を確認した。
そして、怪我に気を付けて、無理しない範囲で。
自分が持ち運べる量のゴミを拾い、分別を行った上で、汚れや匂いが漏れないようにゴミ袋を重ね、口を縛り、自分が住む自治体のルールに従って排出したのだった。
そんな中、ちょうど鹿児島の田舎街に住む母から、年に2回ある、地域の河川作業に行ったという話を聞いた。近所の若い人たちと一緒に地域の河川を綺麗にする作業をしてきたと。これは私の小さい頃から変わらない行事だ。
隅田川とは比べ物にならないような小さな川だが、「地域の環境は地域で綺麗にする」という意識と習慣が、地域に、人々に、根付いていると感じる。
多くの多様な人が集まる都市の中で、また、隅田川のような大きな川に対して、人々が「自分たちの地域を、川を、自分たちで綺麗にする」という意識でいることは難しいのだろうか。
都市のマンションや団地、オフィス、公園には、管理人や清掃員がいて、サービスとして、ゴミを拾い、快適な環境を整えてくれている。
サービスとしてプロが環境を整えてくれることは、とてもありがたいことだ。
管理する人がいる場所はとても綺麗に整備されている一方で、人の目の届かないような場所に、ゴミが捨てられ、荒れている姿を見つけると、とても悲しくなる。
都市にいても、地方にいても、それは同じことなのかもしれないが。
私が住む街だから、大切な場所だから。
自然にとっても、人にとっても、居心地の良い場所であってほしい。
私は、大切な風景を、子ども達と楽しみながら、残していきたい。
大切な場所にゴミが落ちていたとき、あなたは何を想いますか?
<参考>
「こんな取り組みが広がれば、もっと気軽にゴミ拾いしやすくなるな」
と思った記事をご紹介。
福岡県内53自治体での取り組み。
ボランティア清掃用のごみ袋を、団体だけでなく、個人に対しても申請に応じて無料で配布している。
また、札幌市も、同様の取り組みを行っているようだ。
※私の身近な街でも、団体でのボランティア活動に向けた制度は存在
東京都北区:『ボランティア活動にともなう廃棄物処理手数料減免』制度
清掃活動をする団体による事前の届け出により、ボランティア活動による廃棄物処理の費用が減免される。
東京都足立区:清掃活動をする団体による事前の届け出により、ゴミ袋やごみ拾いの道具など、清掃物品が供与される。
東京都公園協会:河川清掃のボランティア団体に助成を行っている。