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映画『ファーストキス』に感動できなかった
公開から間もないにもかかわらず、大きな話題となっている映画『ファーストキス』を観てきた。
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『カルテット』『大豆田とわ子と三人の元夫』『Woman』『花束みたいな恋をした』『怪物』……数々の大好きな作品を手がけた坂元裕二さんの脚本だし、間違いなさすぎるキャストだし、信頼のおける方々も絶賛されているしで、かなり期待値高めで臨んだ。
のだったが、正直なところ鑑賞後は「思ってたんと違ったかも」感がざらっと残った。
物語の中盤までは、坂本節全開な会話劇やコミカルなお芝居、丁寧な心情描写に気持ちが高鳴りっぱなしだったのだが、主に後半、ストーリーに物申したい部分があったのと、タイムトラベルに関する疑問点が沸きすぎてしまった。
拙いながらも、感じたことをまとめてみたい。
以降、すべてネタバレです。
鑑賞予定の方はお気をつけくださいませ。
まずストーリーについてなのだが、これはもうシンプルに「駈、死ぬなよ!!!」に尽きる。
ストーリーに持論を持ち込んで異議を申し立てることのナンセンスさは重々承知しているが、ここはあえて言わせてほしい。
わたしが結婚前から夫に常々伝えていることのひとつに、「万が一テロや事故に巻き込まれたとき、目の前に自分が助けられるかもしれない人がいても、無視して全力で逃げてほしい」ということがある。なぜなら夫は窮地でも他人を助けそうな人間だから。
100%自分のエゴである。わかっていても、そう願わずにいられない。
JPOPの歌詞によくある「たとえ世界中を敵に回しても自分は君を守る」系の言葉は、「世界中を敵に回すってどんな場面やねん」とツッコまれがちだが、まさに上のようなシーンが当てはまるのかもしれないと思う。
目の前で犯人に捕らわれた女性を助けずに逃げた成人男性。足の悪いお年寄りを見捨てて逃げた成人男性。世界を敵に回すには格好のシチュエーションであるように思える。
それでもわたしは、「逃げてくれてありがとう」と心の底から思う。
世間から批判を受けても絶対に味方でいたいし、どんな誹謗中傷からも守りたい。とにかく自分を置いて死なないでほしい、が先に立つ。
それでもどうしても耐えられなくなったら、そのときは心中を選びたい。『愛がなんだ』に傾倒してた頃の感覚、結婚して落ち着いたかと思ってたけどまだぜんぜん残ってました。
だから、カンナの怒りは真っ当だと思うのだ。
「夫婦愛」をテーマに駈の人生をドラマ化したいというオファーに対して、(セリフはうろ覚えだが)「家族を残して死んだ人の何が夫婦愛か」といったことを言い返す。
本当にそうだと思った。死の原因が不慮の事故ならばともかく、とっさの判断で自らが選んだ道であることに、憤りを覚えずにいられない。そのとき少しでも自分の顔は浮かばなかったのか、と。
カンナの最後のタイムトラベルで、駈は自分が死ぬ日とその原因を知る。
そこまで詳細にわかっているのならば、死を避けることもできたのではないか。望みどおり、本来とは違う円満な結婚生活を送れたのだから、2024年に死なないという選択肢もあったのではないか。ホームに落ちた赤ちゃんを見捨てられないというのならば、みんなで生き残る道も探せたのではないか。自分がホームに降りることが唯一の選択肢ではないだろう。
なぜ死を覚悟してカンナに手紙を残したのか?
観客はみんなあのシーンで大泣きしていたけれども、わたしは意味がわからなかった。じゃあ死ぬなよ、としか思えなかった。自ら死を選んだ人に幸せを願われてどうしろというのか。
これは完全に自分に置き換えての怒りだった。どんなに幸せを願っていると言われても、あなたがいなければ意味がない。その死がどんなに夫の生き様をうつくしく見せたとしても、夫自身の価値観を反映したものだとしても、許せない。わたしは自己中心的な人間なので、どうしても許すことができない。
*
それから、タイムトラベルについて。
これは完全にわたしの理解力不足と蛇足を気にしすぎる性格ゆえだと思うのだが、「ここが変わるってことはここもでは?」「なぜ一要素以外はすべてタイムトラベル前と同じなのか?」みたいなことが気になりすぎて、本筋に集中しきれなかった。
「いま大事なのはそこじゃない」と言い聞かせながらも、最後まで「感じずに考える」で終わってしまったな……という所感。
当然、「『そういうものとしてふんわりさせてます』という意図」は理解できるのだが、時系列のしくみは腑に落ちなかった。タイムトラベルものに向いてなさすぎる。
帰宅後、未鑑賞の夫に身振り手振りで疑問点をまくしたて、うんうん言いながらノートに書き出して整理してみた。
その結果、「2024年のカンナ(カンナAとする)がタイムトラベルした数だけ、駈と2009年のカンナ(カンナB)にはパラレルワールドがある」という仮説を立てた。
カンナAの時間は、「2024年10月(仮)→2009年8月1日→ 2024年10月(仮)→2024年11月(仮)→ 2009年8月1日→ 2024年11月(仮)……」という感じで、あくまでも2024年を基点に、タイムトラベルしたすべての記憶とともに流れているが、駈とカンナBはそうではない。
駈が出会うカンナAはいつも「はじめまして」であるが、カンナAが2024年に戻ったあとに駈はカンナBと出会い、人生はつづくのである。
つまり、カンナAが出会った数だけ、別の時間軸で駈とカンナBの人生がつづいているのではないか。
そこで生じた疑問なのだが、カンナAがタイムトラベルして以降の駈の人生には、毎回二人のカンナの記憶が残りつづけるのだろうか。
2009年の8月1日、駈は日中にカンナA、夜にカンナBと出会う。このときの駈が結婚することになるのはカンナBだが、「お昼に出会ったこの人に激似の女性は一体……」と、一生思いながら生きていくのか?なんらかの因果を感じることはないのだろうか。
もう一点気になったのは、最後のタイムトラベルでカンナAが2024年に戻ったあとの話。
毎回、2009年の逢瀬が2024年に何らかの影響を与えている描写があったが、最後に関してはなかったと記憶している(恐竜博物館のシーンがそうだったのか?うろ覚えですみません)。実際、どのような影響があったのだろうか。
駈とカンナBが迎える2024年(2024年Bとする)では、順風満帆な結婚生活を送っていた。もちろん離婚の気配などない。
どちらにせよ駈は事故で亡くなるため、カンナAが戻った2024年(2024年Aとする)の部屋でも、駈の遺影が置いてあることに変わりはないと思うのだが、そのほかの部分で、「離婚を回避して幸せな結婚生活を送れた」とカンナAが知ることはできたのだろうか。
え、そもそも2024年Aと2024年Bは同時に存在しませんよね。日付は同じなのに?
2024年AのカンナAと、2024年BのカンナBは、結局パラレルワールドでの同一人物ってことなのか?でも、2009年のふるまいが2024年AのカンナAに作用しているということは、地続きの時間軸だと考えられる。
するとパラレルではなく、カンナBはカンナAの2009年から2024年を生き直しているということ?でもそしたら、カンナAが生きた2009年から2024年はどこにいくの……?
すみません、お察しのとおり本当にタイムトラベルものに免疫がなくて、この程度の引っかかりで混乱してしまいました。どうかご笑覧ください。あわよくば理解を助けてください。
これを機にいろいろ知りたくなったので、取り急ぎ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』から履修していきたいと思います。
*
観ていないにもかかわらず、帰ってから何時間もこの話に付き合ってくれた夫には感謝しかない。
夫とは「感じる」ベクトルではあまり気が合わないのだが(この映画も圧倒的に「感じる」系だと思っていたので一人で行った)、「考える」ベクトルにおいては最高のパートナーであることが改めてよくわかった。
夫が好きな漫画にこんなセリフがあるそうだ。
誰かを助けたくて過去に戻ったとしても、自分と出会うはるか前から相手の時間はつづいていて、出会ったときにはすでに人格形成されている。
だから、自分と出会うよりもっと過去からいろいろな物事が作用しなければ、相手の根幹は変えられない。
駈にしても、2009年時点ですでに「自分は(助けを必要としている人を)見て見ぬ振りはできない」と答えているのだから、カンナが出会った日にどんな言葉をかけたとしても、事故で亡くなる未来は変えられなかったのかもしれない。結婚生活という過程の部分は変えられても。
それはもしかしたら、カンナと結婚する道を選んだ時点で決まっていた大きな運命だったのではないか。
それから、「声をかけたのが過去の自分であった場合」についても話した。
カンナA→駈ではなく、カンナA→カンナBに、未来で起こる出来事を話した場合。作中で二人が同時に存在するシーンではカンナAが体調を崩していたので、実際のところ(?)は難しい話なのだろうが。
現在であれ過去であれ、他人に与えられる影響なんてたかがしれていて、干渉できることには限界があるが、過去の自分自身であれば話は別だ。カンナBの行動によって、駈が事故で亡くなる可能性は減るかもしれない。
でもその場合、はたして最後のタイムトラベル後のような結婚生活は送れるのだろうか。未来を知ったカンナBのふるまいが影響を及ぼして、関係の破綻につながることもありえるかもしれない。
すべてのたらればを差し置いて、駈が何よりも求めたものが「カンナとの幸福な結婚生活」であった。
15年後に死ぬという危険をはらんでいると知ったうえで下したその決断に、観客は胸を打たれたのだろう。
*
おおよそ「何がわからなかったのか」がわかった今、落ち着いて観たら違う感情も生まれるだろうか。
まっさきに浮かんだわたしの感想は、相手を大切にしようとか生活を慈しもうとかではなく、「夫、絶対に死なないでほしい」という強い願いだった。過ごした日々が尊ければ尊いほど、その後の人生を一人ででどう生きればいいのかわからない。
とにかく生きてくれ。わたしがきっと守ってみせる。