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タイプロに出逢えてよかった
生まれてはじめてオーディション番組を観た。
話題の『timelesz project』、通称タイプロである。
去年から話題になっていたのは知っていたのだ。Netflixを開くたび、ランキング1位にいるのも認識していた。
にもかかわらず、「timeleszのことなんにも知らんしな……」というゆるい食わず嫌いでスルーし続けていた。
ところが1月のある日、なんとなく再生してみたが最後、夫婦そろってドハマりした。
そのまま4時間ぶっ続けで観て、残りも2日ほどで完走。5次審査の途中でリアルタイムに追いついた。なんで今まで観なかった!?と自分を責めさえするほど、めちゃくちゃにおもしろかった。
だれかが一生懸命がんばっている姿というのは本当にいい。
ダンスも歌も未経験だった子たちが必死で食らいつく姿、経験者が自分の時間を割いて懸命に指導する姿、己との葛藤が見え隠れする姿に胸を打たれる。楽しそうな瞬間が垣間見えるとうれしくなる。
3次審査が終わるまでは、みんなかわいいな~がんばれ~という感じで、特に推しと呼べる存在はいなかったのだが、4次審査から参加する3人が登場したあたりで、いきなり風向きが変わった。
寺西くん、めっちゃいいな……!?
いい、というか、これまでの候補生には感じなかったときめきが生じていることに、気づかざるを得なかった。これが今でいう「メロい」?なのか……?(解像度の低さ)
年上だし(わたしは年上が好きなのだ)、集団の中でのふるまいも落ち着いていて、周りをよく見てフォローしているし、そんな中にもユーモアがあってムードメーカーで、ダンスの技術は素人目にもわかるくらい高い。
ついに自分にも「推し」ができて、うれしかった。こういうのは特定のだれかを応援するのが醍醐味ですよね。
とはいえ、審査が進むにつれて、「もしかしたらメンバーになるのは違うのかもしれないな」という思いもあった。
加入人数は未定とされていたが、多くても4人ではないかと予想。
全体のバランスを考えると、upper25とunder24から2名ずつ加入が妥当なのではないか。upper25は寺西くん・原くん・橋本くんの3名だが、すでにSTARTO所属の寺西くん・原くんの2名が入るのは歪な気もする。どちらか一人ならば、原くんのほうがグループの色に合っているのだろうか……。
などと詮のないことを考えつつ、一日千秋の思いで最終回の配信を待った。一日として、タイプロのことを考えない日はなかった。
*
2月15日午前10時。
待ちに待った最終回の配信が始まった。
これまでのダイジェストを観ながら、なんなら前回の配信で、向かい合って8人で「RUN」を歌っていたときから思っていた。
もう、全員加入でいいやん。大所帯グループとしてやったらええやん。
5次審査で12人から8人になったときもそうだったが、多分もう減点方式で決められる段階ではないのだ。
審査基準はより大きな加点、伸びしろ、それから何よりもマッチング。決して落ちた人に落ち度があったわけではない。
そうわかっているから、これからまだ落ちる人が出てくることがつらい。「落ちる」という言い方もできればしたくない。マッチングの結果に過ぎないのだから。
しかしながら、どんなに泣いても笑っても、すでに結果は出ているのだ。
心して最後のパフォーマンスに臨む。
2グループに分かれての「Rock this Party」は、それぞれの魅力が余すところなく発揮されていて、実に輝かしいステージだった。
timeleszのお三方のパフォーマンスはこのときはじめて観たのだが、すごいですね、やっぱり違う。指導者としての姿しか見てこなかったけれども、舞台に立つアイドルとしての姿は圧倒されるほどまぶしかった。すごい。この人たちと肩を並べてやっていくんですね。
それから、なんといっても8人で披露する最後の「RUN」。
わたしは、ノアくんが歌い出したところからもうだめだった。
魂の叫びみたいな歌と、歩んできた道のりを想起させる切実な表情と、とめどなく溢れる涙。ひとりひとりの懸けてきた想いが胸に迫って仕方なく、涙が止まらなかった。
プロとしては満点のステージではなかったのかもしれない。けれども、プロの尺度では到底測れない熱量が画面越しにも伝わってきて、これこそがオーディション番組ならではの醍醐味なのかもと思う。
とんでもない余韻に包まれたまま、いよいよ結果発表へ。
新メンバーはまさかの5人。そして、寺西くんと原くんが両方加入する世界線が、あった……!
原くんのことは、初見では正直苦手かもと思っていた。
「みんなかっこいいね、顔だけなら俺に勝ってるよ。顔だけならね」と、初対面でくすりともせず言ってのける強気な姿勢。その後も、強引ともいえる力でメンバーをまとめあげ、「俺を見ろ」と言わんばかりのパフォーマンスを披露する。
暴走してないか?と心配になったのはほんの最初だけで、気づけば原くんを目で追っている自分がいた。
原くんの醸す「俺を見ろ」オーラには、努力に裏打ちされた説得力がある。目力の強さに射すくめられる。あの不屈の精神の裏側には、血のにじむような苦労と悔しさがあったのだろう。
しかも自分と同年代だ。最終回の編集にも煽られて、どうか選ばれてくれと願わずにはいられなかった。
最後に名前を呼ばれたときの、原くんの泣き顔のうつくしさが忘れられない。
眉間にしわを寄せ、唇を嚙みしめて、こんなにも生き様があらわれる泣き顔ってあるのか。ひどく心を揺さぶられた。
それから、自分の名が呼ばれたときは平静を保っていた寺西くんの涙も。
おそらく寺西くんも、自分が選ばれた時点で原くんはないと、どこかで思っていたのではないか。原くんの名前が呼ばれた瞬間両手で顔を覆ったとき、画面の裏側にあった二人の絆を目の当たりにした気がした。
タイプロを通して知った「RUN」はシンプルにとてもいい曲だが、中でも印象的な歌詞がある。
感じてるんだろう?感じてなきゃダメ
痛みに気づかないふりをするな
はじめて聴いたときからずっと心に刺さっている。
感度は鈍る。あるいは保身のため無意識に鈍らせることもある。感度の高さは時に痛みにつながるからだ。
もう6年近く前の文章なので気恥ずかしさもあるのですが、過去にはこんな記事を書いたこともある。
そうだよな、感じてなきゃダメだよなと素直に思った。
痛みを自ら取りに行って、受け入れて、昇華させることでしか進めないときがある。
この印象的な歌詞、Cメロの部分を寺西・原の二人が背中合わせで歌っているのが個人的激胸アツシーンだった。
10代の候補生もいる中でアラサーの二人。同期のデビューを何度も目の当たりにしてきた二人。アイドルに挑戦できるのは最後のチャンスかもしれない二人。
これからtimeleszとしての人生が始まるんですね。楽しみだ。
*
SNSを見ていると、オーディションそのものに物申したり、結果に反論したりする向きもあるようだが、わたしは断固「三人が良ければそれが正解」と言いたい。
なぜならば、これは『仲間探しオーディション』だからである。新規のアイドルグループを作るのではない。
選択の裏側に多少の歪さがあったとしても、「なぜこの人が落ちるのか」と感じたとしても、三人が良しとしたのならば、たとえファンであっても意見を挟む余地はないのではなかろうか。
とはいえ、Sexy Zoneのときから応援されていた方に対しては、逆に我々ライト層が意見できることなどないなとも思う。
我々の想像では補いきれない、計り知れない感情が生じることもあるのだろう。だれかを傷つけることさえなければ、どの感情も選択もきっと間違っていない。
アイドルを応援したいと思えたのは、嵐に傾倒していた中学生のとき以来である。
ものすごい倍率になりそうだが、ツアーが決まったらファンクラブにも入りたい。
*
最後に、メンバーになれなかった候補生を見ていて思ったこと。
特に最終回を見に来ていた元候補生たちは、本当に立派だ。
自分が立てたかもしれない、紙一重のステージに立つ人たちを見て「みんなかっこいいよ!」と笑顔で応援できる強さと優しさは、並大抵のものではない。
同列に語るのはあまりにも、あまりにもおこがましいのだが、彼らを見ていて思い出した出来事がふたつあった。
ひとつは、中学生のときのこと。
アンサンブルコンテストの出場メンバーを決めるため、部内でオーディションが行われた。わたしが担当するフルートの枠はひとつ。14歳のわたしは人生で一番緊張していて、毎日楽器を持ち帰って必死で練習したにもかかわらず、聞けたものではない演奏をしてしまった。
当然もうひとりの子に決まったのだったが、本番はサポートメンバーとして同行することになった。
リハーサル室で肩を組み、メンバーにしかわからない言葉で盛り上がる8人を目の当たりにしたとき、ずっとはりつめていた気持ちが切れたのがわかった。トイレに駆け込み、声をあげて泣いた。知らない感情だと思うくらいに悔しかった。
数年後、OBの演奏会で「9人であのときの曲をやろう!」と誘われたのだったが、丁重にお断りした。そんなことで上書きできる記憶ではなかった。
もうひとつは3年前。どうしても入りたくて入れなかった会社に、自分の代わりに入社した方を見かけたときのことだ。
同じイベントに居合わせた女性がその方だとわかったとき、全身が粟立つような感覚に襲われた。見なきゃいいのに目が離せず、だれかと名刺交換するその方の背中を遠目に見ながら、何が自分と違ったんだろうと思った。
居てもたってもいられず会場を飛び出して、駅までの道を急ぎながらやっぱり泣いた。夜、ベッドに入ってからもわんわん泣いた。
どうにもならないとわかっていても、自分の落ち度ではないとわかっていても、悔しくて悔しくて仕方なかった。ままならない、と強く思った。
いま当時を思い出しても、折り合いの付け方なんてわからなかったなと思うのだ。
だから、自分の代わりに選ばれた仲間の晴れ舞台を、笑顔で応援できた彼らはすごい。でもカメラに映っていない場所では、あの前日や帰宅したあとは、いったいどんな気持ちでいたのだろうか。想像するだけで胸が苦しい。
だれがどう見たって、5次審査、なんなら4次審査に残っていた候補生たちはきっとどこかで輝ける。timeleszというグループ以上に輝ける場所がある可能性だって大いにある。
差し出がましい感情だが、どうか腐らずがんばってほしい。
いや、がんばるのを休んだっていい。自分を卑下することなく、自分の価値を見誤ることなく、心の向く道を進んでほしい。そう願うばかりである。