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『愛の探求』が始まるまでの道のり2ー神聖な営みなのに卑しいものなの?ー



(前回の内容はこちら↓)


〝いくら社会的に成功しても、いくらたくさん稼いでいたとしても、心が豊かでなければ(愛のない人生では)結果的には、全然幸せそうじゃない・・・〟

社会的成功者の方達にお会いした時に、そのことに気がつきながらも、当時の私は、人生迷走時代真っ只中だったので、愛について考えることもなく、それなりにパートナーシップの悩みも持ちながら、未来に対しての『不安』と『焦り』と常に隣合わせのまま、生き急ぎ空回り生きていました。

そんな中訪れたのはコロナ禍。家から出ることは悪とされ、合言葉のように流れる『ステイホーム』の言葉。私にとっては、生き急ぎ空回り人生に対する『強制的ストップ期間』となりました。その期間中は、私の最愛の父がこの世を去った時期でもあり、最期の8ヶ月を四六時中共に過ごすことができたかけがえのない時間でした。私は、一旦足を止めたことによって、今まで見えていなかった生まれ育った環境の豊かさや、父の想いなどに触れながら父を看取ることができました。そして、父の死を受け入れながら心に決めたのです。『私も愛と感謝を感じながら終わる人生を送ろう』と。

(そのことについては、こちらの記事に詳しく書いてあります。↓)


『人生の最期は、愛と感謝を感じながら今世を終わらせよう。』と心に決めてからは、日常生活の中で『愛と感謝』に対するアンテナを常に立てながら過ごしていました。そんなある日『水からの伝言』などの著者である江本勝さんの本をパラパラをめくりながら、ある言葉が目に止まりました。

あなたは「愛」によってこの世に誕生したのです。お父さん・お母さんの愛によって誕生し、そしてたくさんの人の愛を受けて、すくすくと成長してきたのです。

『水の癒し』江本勝 

この言葉を読んで、ハッとしました。『両親に愛されていなかった』とか『愛の欠乏感』を年齢をある程度重ねていても、感じている大人は、実は少なくありません。でも、そもそも原点に戻ると、人の命の始まりは、両親の『愛』から始まっていたという原点に気付きました。そこで改めて、自分の幼少期のアルバムを開いてみると、本当に、たくさんの人たちの愛を受けて成長してきた記録が確かに残っていました。

そうか・・・遠くばかり探していたけど、愛は、もっと近く・気づかないほど近くに既にあったんだ。と気づくと同時に、私の中に、一つの疑問が生まれました。

命の始まりは、男女の愛・性の交わりから始まるものであり、本来は神聖な営みのはずなのに、なぜ、卑しいものとか、そういう扱いなんだろう?と。

このような疑問を持ちながら過ごし続けた先に、私にとって、愛や性を本質的に探求できる場に恵まれました。そして、私は2024年から、本格的に『愛とセクシャリティ(性)について』の探求が始まっていく運びとなりました。

でも、このテーマについて綴るのは、とても難しいなと感じています。なぜかというと、いきなり『性』について語った所で『本当に伝えたいこと・本質的なこと』が全く伝わらない。と、痛感したからです。

伝えることが難しいテーマである『セクシャリティ(性)』について、私がなぜ、書き綴ろうかと思ったのかというと『セクシャリティ(性)』に秘められているチカラは、私たち人間が、健康的に、若々しく、そして美しく生き続ける為の助けになるものであり、『性』という漢字に、既に意味が込められているように、私たち人間にとって『心』が『生きる』生き方をする為に、必要不可欠なテーマであり、目を背けることなく向き合う必要があるものだと実感しているからです。

なので、伝えることが難しいこのテーマについて、私が探究し体験し続けいてる恩恵や叡智を伝えることが出来るように、これから、表現力を磨いたり、たくさん努力しながら、読んでくださる皆さんが、自分に与えられた命を全うし、人生を楽しみながら、イキイキと生き続ける為の知恵として、何かを得て持ち帰れるように、今出来る私の精一杯の表現力を駆使して書き綴っていこうと思っています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました^^

愛と感謝の気持ちを込めて

ゆか