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育児は「たとえ自分の子であっても人は人をコントロールできない」ことを学ぶプログラム

例えばね、自分の子をめちゃくちゃ殴ってる親がいてね。「こいつ、どう言ったら言うこと聞きますかね?」って、その人聞かれたら、私は「殴るのをやめたら?」ってアドバイスしますね。
それと同じで、「うちの子、何回言っても言うことを聞かないんですけど、どう言ったら、この子、私の言うこと聞きますかね?」って親にも、全く同じことを返しますね。「何回も言うのをやめたら?」って。

人が人の言うことを聞くって、どういうことなんでしょう。それは、本人がその気になった時しかないんじゃないでしょうか。言葉や力で、相手は変わらないんですよ。相手が変わろうと思った時にしか変わらないんです。

親は、特に母親は、自分の体から生まれ出たものなので、子どもは自分の言うことを聞くものだと思っちゃうんでしょうかね。それもあるでしょうね。あと、愛情がありすぎるって言うのもあるんでしょうね。愛情がありすぎて、子どもを自分のものだと思っちゃう。

親が執着を手放した途端に、子どもが素直になるっていうことは、本当によくあって。不思議です。その光景を体験した人にしか分からないんですけどね。でね、そう話すと「やってみよう」という人と「そんなわけないじゃないか!」とやってもいないのに否定する人がいるんですね。「やってみよう」と思った人は、体験できるんですね。やってみない人は永遠に体験できない。そう、やっぱり、人ってコントロールできないんですよ。本人次第なんです。私の言い方じゃないんですね。

そう考えると、育児というものは、たとえ自分の子であっても、人は人をコントロールできないことを学ぶプログラムなのかもしれません。

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