専業主婦をやめて事業を始めた
文章力養成コーチの松嶋です。この仕事を自分で始めて、21年になります。その前の年までは、なんと専業主婦でした。自分でも信じられませんが。
1997年にロンドンで子どもを産んで、本当にその日から仕事をやめました。前日まで働いていたんです。出産後は、育児に専念しました。つまり専業主婦。仕事に戻ろうと思わなかったことに、特に理由はありません。英語がそんなに話せなかったので、仕事と子育ての両立は無理そうに感じていたけれど、落ち着いたら、また、仕事ができるかな~くらいの考えでした。
2000年に東京に戻ってきて、日本での子育てがスタート。そのころから東京の空気が悪いのか、水が悪いのか、子どもが小児喘息になり、病気になることも多くなりました。とにかく子どもの体が弱かったので、社会復帰が難しく感じました。週に2回は病院通いで、年に1度は入院をしていました。その期間はとにかく、子どもを健やかに育てることに一生懸命でした。
息子が年中さんの時、耳、喉、鼻の手術を一度して、空気の通りがよくなり(これは本当。酸素飽和度が上がったんです)元気になってきました。年長さんのころにはかなり自分の時間が取れるようになり、そろそろ仕事に復帰したいと思い始めました。
もともと塾講師をしていたので、その職場に戻ろうと思ったのですが、勤務時間が2時から10時とどうも遅い。塾講師は生徒が下校してからが本番の仕事なので、どうしてもそういう時間帯になりますが、子育てをしながらだと難しいですね。
そのころの私は、まだ世の中的に広まっていないインターネットを使えて、NHKの「にほんごであそぼ」のファンサイトと、show-yaのギタリストの五十嵐美貴さんのファンサイトを運営していました。そのノウハウを使って、何かインターネット上で指導ができないか考えました。そのころ、インターネットで塾を開いている企業はありませんでした。衛星授業はありましたが、受信するには装置が必要で、結局、生徒を校舎に集めていましたね。
思い立ったら吉日。オリジナルの教材を作って、とにかく始めてみよう!
旦那に相談すると「いいんじゃない?」と背中を押してくれました。インターネットで塾を開くという形式の特許を取ったらいいとアドバイスをくれました。(結局取りませんでしたが、今から思えば取ればよかったです💦)
最初は、公文の先生になろうと思っていたのを「人が作った教材でいいのか?」と思いなおしました。私は塾にいる頃から、時々、知識を詰め込む塾方式に疑問を持っていたのです。公文は公文でいいのですが、私の仕事ではないと感じました。そこで、私の事業は「作文」をメインに、個人個人に対応しようということにしました。
「にほんごであそぼ」のファンサイトで、「今度、インターネット上で作文主体の国語塾を始めます」と告知したら、5人の方が問い合わせ、申し込みをしてくれました。それに、自分の息子とその友人も入れた7人で、私の事業がスタートしたのです。月額2,000円で7人でのスタートでした。
初月の利益12,000円
「看板を出したら、開業届を出さないとだよー」と旦那に言われ、慌てて税務署へ。
その時の、税務署の職員の方の優しい言葉を、今でも覚えています。
私が「生徒が7人しかいない規模で『事業』なんて言えないんですが……」
職員「はじめはみなさんそうですよ。そのうち大きな『事業』になりますよ。楽しみですね」
今は、中高生や大人の授業も始め、講演会やセミナーも開くようになりました。小学生のコースの事業は続いています。多い時には、40人の小学生が受講していました。
あの時、私のワクワクを応援してくれた旦那、そして税務署の職員の方に、今でも感謝しています。
主婦だからできた
もし私が、主婦ではなく、働く女性だったら、この事業は立ち上げられなかったと思います。旦那が正社員で、安定した稼ぎがあったことが、私が思い切って事業を立ち上げる前提になっていました。だからこそ、私は世の中の専業主婦の人たちに言いたい。103万円の配偶者控除の壁とか、130万円の社会保険の壁とか、そんなちまちました境界線を自分の限界にするのではなく、もっと、ちゃんと、自分でお金を生み出そう。
パートからスタートとか、アルバイトで一生とか、そういう雇われる人ではなく、自分の得意を仕事にしよう。今はそういうことが自由にできる時代だから。
私が事業を立ちあげた時は、スマホもなかった。でも、今はスマホと言う超便利なツールもある。事業も名刺も広告も、全部ネットでできる。自分の苦手な業務はネット経由で人に頼める。請求書も領収書もネットで作れる。帳簿もネットで自動化。そういう時代。主婦している場合じゃないかもよ。
自分の好きをしよう。自分を好きになろう。
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