助けてくれた人がいた
私は小学校3年生から6年生にかかるぐらいまで、いじめにあっていた。親には相談をしなかった。
私の考えだけど、親に相談できるような子は、いじめにあわないような気がする。
体操着をゴミ箱に捨てられたり、椅子に画鋲が貼り付けてあったり、筆箱の中の鉛筆が全部折られていたり、引き出しに何か臭いのするものが入っていたり、そんなこと、しょっちゅうだった。当時の私は、最初の方こそ悲しんでいたと思うが、だんだんと麻痺していき、悲しいというより「困った」という感覚だった。あまり泣いたり騒いだりしなかったからか、いじめはどんどんエスカレートしていった。
10歳になったある日、担任の先生に呼ばれた。学校の近くにある、当時、私営グランドだった場所の壁に、私の名前で落書きが書いてあるということだった。私の通学路になっている公園の壁だ。
「なんで落書きをしたんだ!」と先生は怒っているけど、私は書いた覚えはない。「あ、これは、いじめっ子のしわざだ」と思った私は、正直に「私は書いていません」と答えた。
「名前が書いてあるんだぞ。見てこい」と言われた私は、一旦、学校を出て現場を見に行った。高さ1.5m、長さ200mほどの壁の一部に、落書きがしてあった。そして、私の署名がしてあった。落書きに署名なんてしないよね?(笑)アートならともかく。
もう一度職員室に戻り「私ではありません」と伝えたけど、先生は「お前の名前が書いてあるんだから、お前が書いたんだろ。消してこい!」と怒鳴った。
先生も、あの子たちとグルなんだな
そう思った私は、ここで抵抗したらもっといじめられる、これからは、先生もそっちのグループだから、これは「困った」どころじゃないと思ったので、とりあえず、今回は消すことにした。が、消し方が分からない。素直に「消し方が分かりません」と言ったら、生意気に聞こえたのだろう。もっと叱られた。一回泣いておくべきだったのかもしれない。
用務員室から、バケツとタワシと雑巾を借りた。借りる時にも、用務員さんたちに、その用途を説明しなくてはいけなかった。つらかった。言い方が悪かったのか、用務員さんも助けてくれなかった。学校の大人は誰も味方になってくれなかった。
学校でバケツに水を汲み、水を入れた重たいバケツを持ち、時々休みながらそのグランドの壁まで歩き、一人で消し始めた。下校時刻になり、いじめっ子のグループが、遠巻きに私を見て笑っていた。いろんな子たちが、私の後ろを通過していく。なるべくそちらを見ないように一生懸命消した。幸いチョークか何かだったので、水とタワシの組み合わせで消えていった。
それにしても長い。あと何mあるんだろう、妹に会わないといいな、そんなことを考えながらゴシゴシと消していた。
よく、テレビなどでは、こういうシーンではいじめられっ子は泣くのだけど、それは違う。いじめられて心が麻痺した子は泣かない。
1人の女の子が声をかけてきた。
「ゆかちゃん、何をしてるの?」
「落書きを消してるの」
「何で消してるの?」
「私の名前が書いてあるから、お前が消して来いって先生が」
「それっておかしいよね?」
おかしい?
先生という職業の人が言うことは、私はおかしいとは思えないかった。先生もあちら側についただけ。おかしくない。そういう心理状態にあったのかもしれない。
今、冷静に思い返すと、明らかにおかしい。まあ、当時は学校の先生というのは、めちゃくちゃ権利のある人で、その結果、数年後、それに対抗し校内暴力みたいなのが生まれるんだけど。
私が何も言い返せないでいると、その子は
「手伝うよ」
といい、バケツに入っていた雑巾を取り出し、一緒に消してくれた。
冒頭にも書いたけど、当時の私は、あまりへこたれていなかった。いじめに麻痺してしまい、抵抗もしてなかった。だからこそ相手は面白くなくて、いじめをエスカレートさせたんだと思う。
その時には、友達が欲しいとか、助けて欲しいとか、そんなことは思っていなかった。思わぬところで助けてくれる人が現れて、私は困惑した。
感謝の念も抱けなかったんじゃないかな。心が本当に麻痺していたから。
だから、いじめっていうのは良くないんだ。いじめる方も、相当、感覚が麻痺していたと思う。エスカレートするという簡単な言葉を使うけど、エスカレートする前に、気持ちの方がおかしくなっているということに気がついた方がいいかもしれない。双方、気持ちがおかしくなっているんだ。だからその結果、双方の行動がエスカレートする。いじめたい気持ちが強くなって、エスカレートするんじゃないんだよね。心が変になるからエスカレートする方法を選ぶんだ。
心が麻痺していた私は、その時、ちゃんとしたお礼が言えなかった。今だったら、一緒に落書きを消してくれたことが、どれだけ大切にしなければいけないことなのか、分かる。
当時の私は、人を信じられなくなっていたので、お礼もまともに言えなかった。今なら言える。
くぼたさん、あの時、一緒に落書きを消してくれてありがとう。
その思いをずーっと引きずった私は、数年前、ひょんなことから、いじめ防止対策推進条例の制定委員に推薦された。
これは恩返しをする機会だ
直観的にそう思った。私は委員として、いわゆる有識者といわれる専門家の方や、学校長、PTA代表の方たちと1年間議論を交わし、条例を作った。制定直前になり「いじめる側にいる子の人権」についても議論を交わし、条例に入れた。その子が変なんじゃなくて、その子の心が変になるからエスカレートするんだ。社会にも要因はある。
その時、言葉を生業としている私は、条例の前文を書かせてほしいと申し出て、それが採択された。
小金井市いじめ防止対策推進条例 前文
「いじめ」は、それを受けた子どもの基本的人権を侵害し、心身だけではなく、将来をも壊す可能性があります。それゆえ、特に学校においては、子どもたちが安心して学校生活等を送れるようにすることを目指し、いじめ問題に責任をもって取り組み、対策を充実させていくことが必要です。未来を担う子どもたちが、心豊かで安全・安心に生きる社会をいかにしてつくっていくか、それは、子どもたちに関わる全ての人々が取り組む課題です。
小金井市では、平成21年に小金井市子どもの権利に関する条例を制定し、平成24年に「いじめのないまち 小金井」を宣言し、平成26年には「小金井市いじめ防止基本方針」を掲げ、いじめのない小金井市の実現に向けて取り組んできました。しかし、いじめは、年々複雑になり、深刻な事態も見られており、ここで、改めて問題を見つめ直すこと、いじめの防止等のための新しい組織づくりに取り組むことが必要になってきました。
子どもを取り巻く大人たちが、それぞれの責務を果たし、また、お互いに協力し合うことで、子どもたちが心豊かで安全・安心に生きることができるまちをつくるよう、また、人権を尊重し合う温かい人間関係を築き、夢と希望をもって健やかに育つことができる社会を実現するため、この条例を制定します。
くぼたさん、あの時、一緒に落書きを消してくれてありがとう。その場でお礼が言えなくてごめんね。
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