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6 ひらがなとかたかなと数字は読めるようになっておく

さて、この章にきて突然実践的な内容です。ここまでのトーンとは少し違いますね。これは実際、長く教育業界に携わる中で見聞きしてきたことや、小学校の教育実習や自分の子の入学式で体験したこと、子供会やPTAのママ友たちに聞いた体験談がもとになっています。あまりドキドキせずに、ゆったり読んでくださいね。

どーもー。ゆか先生です。
インターネットで文章を指導しています。
今週は、7回シリーズで、Kindle出版した著書『ほんとうのにゅうがくじゅんび』のダイジェスト版をお届けしています。今日は第6章「ひらがなとかたかなと数字は読めるようになっておく」です。

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そもそも、ひらがなとかたかなは、小学校1年生で習います。とてもていねいに習います。そう聞くと、次のように考える人がいると思います。

1 学校で教えてくれるなら、特に親が教えなくていい
2 就学前の子どもを、文字を覚えさせるために机にしばりつけるのは良くない
3 文字なんてものは勝手に覚えるものだから、放置でいい

 特に2の考え方には大賛成です(笑) 3については、実は誤解です。人間には読字のDNAがないので、誰かが教えないと人間は文字を読み書きできるようにならないんですね。それが、親なのか、学校なのかということになり、1のように学校に丸投げする人もいるというわけです。

しかし、入学式の段階から、ひらがなとかたかなと数字は読めないと、かなり大変です。おいてきぼり感を味わいます。登校初日、つまり入学式の日、クラスの前には「1ねん2くみ」などと書いてあり、自分の机には名札が貼ってあります。そして、上履きやげた箱や持ち物には、親が書いた名前があります。つまり、数字や自分の名前を読めることが前提で、小学校生活はスタートするのです。また、全く同じ教科書、教材、道具などを購入する日本の小学校では、人の持ち物と自分の持ち物を区別する術は、そこに書いてある「名前」しかないのです。

私は教育学部だったので、大学生の時に小学校に教育実習に行きました。その時に1年生を担当しましたが、5月だったので、ほぼ、ピッカピカの1年生でした。その時、とても親切で優しい性格をしているのに、行動の遅れが目立つ子がいました。その彼は、字が読めなかったんです。

字が読めないことは、国語で不利になるだけでなく、他の教科にまで影響があるのを知りました。私は中学校教員としては専攻が音楽だったので「オルガンを弾きながら歌える便利な先生が来た」と、なぜか全クラスとも音楽を担当しました。鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)を使って「ド」の音を鳴らしてみようという授業の時、「ど、ど、どんぐりさんのおうちはどこでしょう~♪ ふたつのお山の左がわ~♪」という歌詞があったんですね。どんぐりさんというのは階名の「ド」のことで、二つのお山というのは黒鍵のことです。つまり二つ黒鍵が並んでいる左側が「ド」の位置だと教える、まあ、なんと風変わりで遠回りな教え方をするのです。

そこで、文字が読める子は、メロディーを覚えれば、すぐに歌えるんですね。教科書に歌詞が書いてあるので、すぐに歌えるようになるのです。でも、文字が読めない子は、私が何と言っているのか、聞き取らないといけないようでした。「え?先生、だれのおうち?」「どんぐりさんだよ」

その子は学習の遅れが目立ちました。担任の先生とも話をしたのですが、その時は「落ち着きがない子なのよ」ということでしたが、今思うと、文字が読めなくて、授業に付いていけない焦りが、その子のソワソワを生んだ原因だったのかもしれないと感じます。今でも元気かどうか少し気になります。でも、きっと大丈夫。彼はあいさつはきちんとできたので。

また、自分の子の入学式では「ぼくのクラスはどこ?」「ぼくの机どこ?」と言っている子が2人ほどいました。幼稚園ではクラスの識別に「うさぎ」や「ぞう」などのマークを使っていたのですが、小学校にはそれがないので、自分の教室が分からないようでした。数字が読めないのでクラスが探せないのですね。また、自分の名前が読めないので、机が探せていない子もいました。その机が探せない子の母親は「なんでこれくらい読めないのよっ!恥ずかしい!」と怒っていました。その母親は、数字はそのうち自然に覚えるものだと思っていたのかもしれません。このように、入学式の段階でかなり高い心理的なハードルがあったことは確実です。

もちろん、気にしない子もいます。「分からないことは聞けばいいしさ!」と堂々としている子もいるのです。羨ましい処世術を持っている子ですね。そういう子はきっと自分の名前が読めなくても、大丈夫でしょう。でももし、そうではない性格の子だとしたら、自分ができないことをとても気にする子だとしたら、ちょっと悲しい気持ちになるかもしれません。そういう意味で、入学の段階で文字が読めない、少なくとも自分の名前が読めない子は、少しかわいそうなのです。

このような様々な実体験から、私は、心理的なことを考え、ひらがなとかたかな、そして数字は読めるように、少なくとも自分の名前は読めるようになっておくことが安心だと思っています。

注意
「かたかな」を「カタカナ」と表記する人がいますが、「かたかな」は日本語なので、ひらがなで書きます。かたかなで書くのは、擬音語と外来語だけです。

ドリルのやらせっぱなしは危険!

では、小学校入学までに、ひらがなやかたかなをどのように学習させるかですが、幼稚園や硬筆教室、学習塾などで、専門家に教わるという方法があります。でもちょっと気を付けた方がいい先生もいます。特に習字や硬筆を習っていない若い先生は、私が見てもかなり怪しい文字を、怪しい筆順で書きます。お子さんに変な癖が付かないように気を付けて見てあげてくださいね。

家で学習する場合は、付きっきりだとまたプレッシャーになるので、ある程度お子さん任せで良いのですが、一つだけ気を付けてほしいことがあります。それは鉛筆の持ち方です。確かに、持ち方がどうであれ、最終的に字が完成すればいいという考えもありますが、不自然な持ち方に慣れてしまうと、いざ、受験勉強の時などにたくさんの文字を書く場合、間違った持ち方をしていて手首などが疲労する場合もあり、可哀そうですし、不利です。

作文教室などをしていて気が付くのですが、最近、信じられないような鉛筆の持ち方をする子がいます。それが、思いのほか多いのです。

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本来、鉛筆の先は自分から見て向こう側を向いているはずです。それが明らかに自分の方を指すような方向になっている場合があるのです。もし、お子さんがこのような持ち方をしている場合、就学前に矯正した方が良いです。そのような癖を直す道具も出ていますので、早いうちに矯正しましょう。

たしかに、将来的には、鉛筆など持たなくなる時代が来るかもしれません。筆順もどうでも良くなる時代が来るかもしれません。しかし、まだまだ学校では硬筆の授業が続きます。いまのうちに発見して、早めに直しておきましょう。

読めると楽しい看板!

 さあ、ネガティブなことを書きましたが、本来、字が読めるというのは楽しいものです。今までただの記号、何かのマークだと思っていたものが、意味のある文字であり、発音もできると知った時の子どもは、何かにとりつかれたように、道路を歩いている時などにも声を出して読み上げるようになります。これが、お子さんにとっても、とても良いのです。もちろん、絵本やドリルでも良いのですが、自分の身近にある文字を読み上げることが、いかに生きた学びになるか!

いかがだったでしょうか。この章では「あいさつができるようにしておく」について語りました。第6章、あと2つ項目がありますが、ここから先は有料記事。次の2つの内容です。国語辞典は学校では4年生から教えるものですが、これは入学と同時にそろえるべきもの。その理由について書きました。

「国語辞典について」
「国語辞典の選び方」

上記と同じようにダイジェスト版です。全文をしっかり読みたい人は、是非、本を読んでくださいね。この章を含め、全7章あります。

取り上げたkindle本はこちら

私の小学生コースでは、実は年長さんから教えています。オンライン保護者会もあります。どんなことをしているか、覗いてみてくださいね。

ではでは!

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