タイパで考えない時間の濃度
明日は父の誕生日。83歳になる。日本人男性の平均寿命を越えているので「長寿」と呼んでいいよね。
今日、父と母、妹と私で誕生会を開いた。
そのために各自カードを用意することになった。
夕べ、父を寝かせたあと、カードを母と書いた。
何て書こうかしら
お母さんの好きな言葉でいいんじゃない?
字を間違えるといけないから、別の紙に下書きしようかな。
空いているところにシール貼る?
なんというゆっくり過ぎる時間。尊い時間。
普段、私はせかせかして生きているし、実家に帰っても介護でバタバタしている。でも、たかが1枚の誕生日カードを書くのに、半時間ほど使った。
ものすごく素敵な時間だった。
私が小さかった頃も、こんな母との時間があった気がする。
土手に座ってレンゲを編むとか
アリの行列のあとを付けてみるとか
確かに、30分あれば、アレもできるしコレもできるよね。
でもそういう意味の「濃度」ではない「濃い」時間がそこには流れていた。
生産性とか、タイムパフォーマンスとか、色々な時間の評価はあるけれど、
どうだろう。本当は、時間というものは、こんなふうに大切に使う方がいいんじゃないか?
計算によると、私はあと36回しか親に会えないらしいが
介護の手続きに費やすのもいいけど、そういう「慈しみ」の尊い時間を作っていきたい。