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来た時よりも美しく

これはひどいっ!
いや、でも日比谷野外音楽堂のものよりマシか。
でもお花見時期の吉祥寺駅のものの記録は越えたな……。
私は思わず腕組みをする。
仕方がない。これも運命だ。

私はまず腕まくりをする。長い髪を結わえる。
手持ちのクリーナーで自分が使用する部分を拭く。
そして、おもむろに自分の用を済ませるべくその体勢に入る。
その時、自ずと反対側の景色も目に入ってくる。

う……。
せめて角に置こうという配慮は感じる。
何で構成されているか、崩すまで見えない、うずたかく積みあがったもの。
日本はまだマシだ。
中国を旅した時には、さすがの私も「降参」の白旗を振るほどのことがあった。
しかし、日本各地を旅している私が思うに、日本の中でもここ東京はワースト1だ。
人が多いから仕方がない。
躾のなっていない人も、人口比で多いのだ。

あそこはああして解体し、ここはこうして分別し……
私は自分の用事を済ませながら、頭の中でサッと計画を立てる。
自分の用事を済ませてから考えると、余計な時間がかかり、本来の目的でここに向かって並んでいる人たちに迷惑がかかるからだ。

さて、すっかり自分の用を済ませた私は、慣れた手つきで作業を始める。もう40年だもの。ほとんどプロだよね。
その場に設置された用紙を使い、床の上に散らばったものをつかみ、分別し、適切な場所に投下していく。
どうして最初から適切な場所に入れることができないのか全く謎であるが、私はその人たちを知らないので教えてあげることもできない。教育機会の損失である。
中には、この場所にあってはならないものもある。
新品のストッキングのパッケージ、からになったペットボトル、まさかここでは食べていないよね?の、チョコやおにぎりの包み紙など。
大きめの汚物入れがある場合はそこに入れる。しかし、それが小さい場合、私には手の施しようがない。持って帰っても良いのだが、あまりに不衛生である。せめてもとこれまた隅に置くが、これがまた「ここに置いて良い」という目印になるのかもしれないことを考えると、そろそろ解決策を考えないといけない……。

作業時間は30秒くらいだろうか。あらかた片付け終わると、最後にもう少しだけ設置された用紙を使い、その部屋の最重要物体を拭く。
そして、全てを水に流すのだ。

来た時よりも美しく

これは、私が静岡の中学校時代に先生から躾けられた行為に付随していた標語。他の学校を出た少し年下の友人も同じ言葉を言っていたので、もしかしたら、当時の静岡の教育目標か何かだったのかもしれない。
修学旅行、林間学校、社会科見学、行く先々で「来た時よりも美しく」と唱えて、トイレはもとより、泊まった部屋、使った教室など、必ず掃除をしてから退室するという躾を受けた。

大人になった今でも、トイレについては、必ず簡単に掃除をしてから出ていく。来た時よりも美しい状態にするのだ。完ぺきではない時もある。急いでいる時もある。それでも「来た時よりも」美しくしてから出る。徹底しているというよりは、身についているのだ。
今はお酒をやめたので、そんなことはないが、以前はどんなに酔っぱらっていてもやっていたし(笑) お花見会場の公衆トイレ、野外フェスの簡易トイレなど、やりがいしかないところもあったが、全部やってきた。

実はこの教えは、トイレ掃除のみならず、ものすごく重要な感覚にも通じていることに気づいた。
自分が関わったら、関わる前より良い状態にしなくてはいけないという感覚だ。
小さなチームから、大きな委員会まで。
長期的な自分の仕事はもちろん、一時的に頼まれたちょっとした用事も。
1ミリでも、よりよくしようという使命感が働く。
来た時よりも美しくの精神は40年の月日を経て、私の血肉になっているのかもしれない。

トップ画像は、葛飾区の施設ミッカのもの。ここのトイレは綺麗です!

#大切にしている教え

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