疑いの気持ちは鬼だよなあという話
もうすぐ節分ですね。鬼、追い払いたいですねえ。
インターネットの世界では「会社は社員を搾取しようとするものだから信用してはいけない」みたいな論を掲げる人々がわりと目につきます。まあ、満ち足りている人はわざわざインターネットのようなところで何かを表現する必要がないので、ポジティブなものよりネガティブなものを見かける回数が多いのだろうなとは思いつつ見ているのですけど。
それで、突然ですけど恋愛の話をしますね。
あなたの恋人Aさんが浮気をしたとします。あなたはその事実を知ります。そこで別れるか、別れないか、考えます(考える余地なし!別れる!というひとも多いでしょう)。Aさんはあなたに謝罪し、十分反省しているように見える。あなたもAさんと一緒に過ごしたい。だからあなたは葛藤しながらも、Aさんとのおつきあいを継続することを決めたとします。
これはタフな選択です。
当面の間、あなたはきっとAさんの行動を逐一疑うことになる。会社の飲み会と言われたとき、休日一緒にいない時間、電話がつながらないとき、LINEの返信が遅いとき、もしかしたら一緒にいるときにAさんがテーブルにスマホを置いただけでも疑うかもしれません。
Aさんが悪いのだから疑われても仕方ない? Aさんが疑いを晴らすよう努力すべきだ? 気持ちはよくわかります。
だけど「疑いを晴らす」ことは、Aさんには決してできない。あなた自身にしかできないことなんです。
疑いの目を持ったひとは、疑いを裏付ける証拠を探そうとします。例えばあなたが、疑いの気持ちからAさんのスマホを見たとする。そこには明らかな浮気の証拠はなかった。じゃあそれで「あーよかった!もう安心!」となるかというと、どうでしょう、ならないことが多いんじゃないかな。
たぶんですけど、普通の友人同士のやりとりにも疑いの目を向けてしまうし、いまは証拠がなくても次にスマホを見たら証拠があるかも、とむしろ疑いへの執着を深めるひとって多いのでは。疑いを晴らしたいはずなのにまったく逆の証拠探しに執着してしまう。
Aさんからすれば、浮気を心から反省していて、謝罪したときはあなたのことが好きだと思っていたとしても、常に自分を疑いの目で見てくるひとをずっと好きであり続けるのはとても難しい。あなたから気持ちが離れることは(許しがたいかもしれないけれど)ひととして自然な反応でしょう。
だから、あなたがAさんとの関係を良好に保ちたいと思うなら、あなた自身が疑いの気持ちにどうにか片をつけて、Aさんを信じなくてはどうしようもない。自分自身と戦い続けなくてはならない修羅の道だ。しかも一度通れば終わる道ではなく、この先何度も突き当たることになるかもしれない。
つらいね。
この修羅の道のつらさと、Aさんが好きで一緒にいたいという気持ちを、天秤にかけて選ばなくてはなりません。Aさんと別れるのか、別れないのか。
それで、今度は「会社とわたし」の話をしますね。
ここまでの話で少し伝わっていたらいいなと思うんですけど、疑いながらつき合いつづけるのってつらいことです。それはお互いにとって、です。
会社だって個々の意思決定は「ひと」が行っているわけで、自分(たち)に疑いの目を向け続けるひとをとりわけ大事にしようとする気持ちには、なかなかなれない。他に「一緒にいい関係を築いていきたい」と思ってくれているひとがいるならなおのことです。
疑いの目を持つひとは、「自分は会社に大事にされていない」という証拠(に見えるもの)を探してどんどん集めていく。「自分が大事にされていない」ということはとても悲しいことだから、多くのひとはこうすり替える。「わたしはあんなものから大事にされなくても構わない。なぜならあんなものに価値はないからだ」。
仮に会社が誠意を尽くして「あなたが大事だ」というメッセージを送ったとしても、疑いの目を持つ限り、「メッセージは嘘だ」という証拠探しを止められない。
あーーーーーーーーー
つらい……
もうここまできたらね、その会社はさっさと辞めたほうがいいと私は思います。働くことには人生を大きく割くのだから、不毛な関係に執着してほしくない。「価値のない会社で働くわたし」とか「価値のない恋人とつきあうわたし」いう概念は、たぶんあなたの尊厳をゴリゴリ削っていきます。自分がしあわせにならない執着は手放していこ~
(でも「Aさんの浮気」みたいに、会社が疑われても仕方がないような「明らかな前科」というとなんだろう、残業代不払いとか、給与遅配とか? それは……なにしてんの早く別れなよって言うかなあ)
(恋愛の話をしたけど、これが家族の話だったら経済的なこととか育児とか、いろいろ制約があるかもね、浮気の話も仕事の話も。でも数ある制約を天秤にかけて「継続」という意思決定をしたなら、やっぱり疑いの気持ちにはどうにか片をつけないと、関係がハッピーにはなりにくい)
世の中には泥沼な関係を好むひともいるのかもしれないけど、わたしは嫌だな。
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