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空と海と、9日目

2019年5月4日  

今日も痛くて暑くて、そして眠かった。
朝5時、夜が開け始めた薬師寺宿坊を出立する。

昨日の賑わいがウソのように日和佐の駅も静かに眠っている。

昨夜はマメをこそぎ取ろうと、近くのファミマでカッターを買い、この先どうなるのかと案じながら治療していたが、やはり今朝靴を履くとマメの上に更に出来たマメが痛む。

😰

いつものように、それは相当痛かった。

マメの二階建て。マメの二世帯住宅だ。
彦摩呂か!

それはまるで、食べ物屋さんに入って前の客の食べ跡が片付いてないのに席に座り、注文したものが運ばれてきてご飯を食べているような、何とも気持ちの悪い状況とマメの状況を重ねてみる。

すこし歩くも痛すぎて足が踏み出せない。誰もいない道の駅のベンチに座り、購入していた伸縮性のないニチバンのテープを重ねて貼った。

少しでもマシになればいい。

そして、鎮痛剤も飲んだ。

久々に飲むと効果が倍増するんじゃないかと、期待を込めて。

しかし、私は何故か、左ばかり不調になる。絶賛治療中の脚が左で、マメが出来るのも左で因果関係はあるのか・・・ 

今日は国道55号線をずっと歩くので、地図と睨めっこがないだけ救われる。 

キョロキョロせずに歩くのは、その分ストレス減だ。

(話は変わるが、キョロちゃんでお馴染みのチョコボールは、昔『おもちゃの缶詰』を売りにしていた。
何故か相当欲しく、クチバシを集めることなく幻と化していた。
先日、TVでその幻の缶詰の中身を公開していた。
なんとも、くだらないモノだった。やはり、中身が何か分からないあのドキドキ感が一層心を惹きつけていたのだ)  
はい!寄り道。

アスファルトを35kmも歩くと、足底筋膜炎になりそうだ。

🦶

いや、もうなっているの❓

このルートは、もしもリタイアしたときは沿線に沿って歩くので電車に乗れると、宿のご主人の説明を思い出した。

私は通しの歩きなので電車なんて乗らないけど、万が一ギブアップなら何処で電車に乗れるのか調べていた。

備えあれば憂いなし。

いや、それは心が弱くなっていた証拠だ。😭

体が痛いと心も弱るようで、この二つは密着しているんだなぁ。   

朝一で新聞配達が通ったかも知れない道を歩き、足の痛みに少しずつ慣れた頃から、ずっと眠かった。じゃ、痛みは減ったのね?と突っ込まれても困るところで、睡眠引力が自分の脳にグイグイ入り込むのだった。

この世は数多の欲があり、

食欲・物欲・睡眠欲・性欲と欲にまみれているのだが、人間が最後まで持ち続けるものは後者らしい。

その統計から見事に外れて、 私は睡眠が最も重要なものであった。

過去の戦争で最も苦しい拷問は眠れないようにすると聞いたことがあるが、気絶は『寝る』とは別物ではないか、と考えた。

     ● 鹿がでるのね!

そして、それは少し変な歩き方のお遍路さんがユラユラと眠りに誘われているのだった。

ああ、緊張感がない。

しかし、どうしようもなく眠いのだ。

睡眠不足と疲れで、脳は休めと指令を出しているのだろう。

トイレ休憩で道の駅により、 10分ほどベンチで目をつぶってみたが流石に寝入ることはなく再び起きて歩くのであった。

⌛️                                             ⏳  

止まっていては、砂時計になれない。

時計が秒針を刻むのと同じで、砂時計が決められた空間で休まず仕事をするとゴールは必ずくる。

たかが一粒、されど一粒。

たかが一歩、されど一歩。 

途中、川の水面を覗くと錦鯉が泳いでいる。放流していると説明書きがあった。

それは紅白や金色のもので、日本庭園でみる鯉と同じ。川で、珍しい。


川の流れは緩やかで、色鮮やかな緑たちを見ると平和を感じる。それとは逆に私の身体は『平和』でないけど、心穏やかだった。

人も自然も環境で作られるのだ。

子育てのとき『母は環境』であったのだ。子供たちと格闘していた、現在と違ういっぱいいっぱいの日々を回想していた。

非行に走る子供も親が真っすぐに生きていれば、いつか方向を修正している。

何かで見た言葉を思い出す。

「乳児はしっかり肌を放すな、幼児は肌を離して手を離すな、少年は手を離して目を離すな、青年は目を離せ心を離すな」

私をお嫁さんにしてくれると言っていた我が息子たちは、今ではLINEの返信も一言。いや、一文字だったりする。
それでいいのだろう。

道沿いにパン屋さんを見つけたのでフランスパンを買い、歩きながら食べた。

どれくらい歩いただろうか。
別格霊場四番の鯖大師まで来た。  

門前にある名物という『さばせ大福』に寄った。

店内を見ると配達中心のお店のようで、大福を一つだけ買い座る場所があってないような所に腰を下ろした。

間もなく、若い女性が製造の部屋から出てきて冷たいお茶を運んできてくれたのだった。

これもお接待だ。たった一つ買って、どこのお店でお茶をだしてもらえよう。

ありがたい。

福岡から来ているのかと、気さくなご主人はお遍路さんに慣れている様子。

すると「今まで出たことがある?」と言われる。

はて?

私の前に立ち寄ったお遍路さんは、ずっと見てきたと言う。

何のことだろう?

それは霊のことだった。   そうだ、ここは霊場なのだから見てもおかしくないんだと納得した。

「霊感がないので、全くですね」と、名物の大福を食べながら私は答えた。

霊を見る?

まさか弘法大師だったりして。

弘法大師の本当の顔を知らないので困るが、きっとオーラで察するのだろう。

いやはや、やはり自分と縁のある人たちだろか。

それなら少し怖い気もするけど、会ってもいい。いや、この際に出てきてもらってもいい。

昔に観たウーピーゴールドバーグが出ている『映画ゴースト』の場面と重なるのだが、実際はどんな感じなのか皆目見当がつかなかった。

誰と会いたいか。

学生時代に亡くなった父を最初に思い出す。だがその父は、自分の亡くなったときの年齢を、とっくに越えてしまった娘に気付くだろうか。

高校生の時に急死した父の遺体の前で泣き崩れたのが昨日のようだ。最後の父は、スーツを着せられて布団に寝ていたのだ。ものすごい違和感が未だに線香の匂いと重なって思い出される。

大学時代の恩師にも会いたい。

トラックとの接触事故で亡くなった友人、従弟や祖母の顔そして去年亡くなった登山家の栗城史多さんまで頭に浮かんだ。

もしも本当に亡くなった人と会えて一言だけ話せるとしたら、何を話すだろうか。 

急に旅立った者は、本人が一番驚いていると思う。

そんな大切な時間がこの先にあったとしても、何を話せばいいのか分からない。きっとそれは、自分自身に問いかけるような気がしている。

生きていることは死を約束されていることだが、身の回りから愛する者が旅立つのは悲しく苦しく、そして涙が枯れ果てる。

樹木希林が『食べるも日常、死ぬるも日常』と淡々と言ったのが、正解なのだと思う。

人生を楽しく畳んでいいのだ。無意識に生きているときに、こうして死を意識することでしっかり生きるのだという。   この先に自分の死生観がどう変化するのか、それとも何も変化しないのか、先のことは全く分からない。

一寸先は闇なのだ。

ふと、遺言書を書こうかと思った。

死ぬなんて縁起でもないと思うかも知れないけど、財産云々ではなく何が起こるか分からないので、子供に向けての手紙をしたためるのだ。
私がどれだけ子供たちを愛しているかを知ったら、あの子たちは少し重く感じるかもしれないなぁ。 
父母の元に生まれ、やがて人並みに恋もして、結婚して子宝とやらに恵まれたのだろう。
その時々に最も愛する人は入れ替わって来たけど、やはり親が子を愛する気持ちは尽きない。

頭の中は、千の風の歌詞が流れる。

あの歌があれだけ支持されるのは、愛する者を前にすると自ずとあの歌詞の内容に行き着くからではないだろうか。
紛れもなく、自分もそうだった。

昔は険しい遍路中に死ぬ人も珍しくなかったので、白装束はそのまま死に装束になり、杖は墓標に、菅笠は顔に蓋をする役目を果たしたとされる。

昨今は死を覚悟しての遍路とはかけ離れて、まだ見ぬ自分に巡り会う巡礼でもあるようだ。   

一歩でもムダに歩きたくないとの思いで、出来れば寄り道はしたくない。しかし鯖が好きだし鯖大師なんて少し面白い名前だという興味で、予定にはない別格にも足を運んだが、トイレだけ借りて早々に退散した。  

私の前を歩いていた北海道の森さん父娘がここで1時間ほど滞在したらしく、この後に再会できるのであった 💕  

鯖大師、2人を留めてくれてありがとう!


国道55号線を室戸方面に向けて、大きな砂時計は再び動き出した。

空き地に健さん(高倉健)の『幸せの黄色いハンカチ』を思い出すような、黄色い旗がたくさんあった。意識しているのだろう、たぶん。これはヤングには通じない映画の一場面かもしれない。


時々出没する休憩所から、人が手を振っている。誰か見えないが私も手を振って向かうと、そこに北海道の森さん父娘がいた。

もう会えないと思っていたが、また会えたのだ!

さきほどの鯖大師があったからだー

同志との再会が素朴に嬉しく、若いDちゃんも父親としっかり歩いていたので感心する。

そこは、喫茶店の方のご厚意で店の外に設けられた休憩所であった。話に夢中になっていると、喫茶店のママさんが冷水と羊羹を出してくれたのだ。

(画像が一枚もないのが、残念)😫

嬉しいお接待。

森さん達と何処で泊まったのかと情報交換した後、若いDちゃんに以前から訊きたいことがあった。

民宿は基本、泊り客は同じ浴槽に浸かるのだが、男性が入った後でも気にしないのかと。

彼女の答えは、爆笑だった❗️

他人が入った浴槽にはもちろん入らずシャワーのみで、昨日泊まった宿はあまりに汚くてバスマットに足を置くことさえ出来ず、自分のタオルを敷いて踏んだと言う。

その嫌な気持ちが表情から十分に読み取れて、笑いが出た。

自分も我慢できないことがあるのに、若い子がイヤになるのは当然の事だ。

実は私も、宿の人には言えないが
順番にお風呂に入る時、前に入ってオッチャンの浴槽に入れなくて、大慌てで水を抜いて、新たに入れ替えていた。
おばちゃんでも、それはイヤヤ。

宿泊施設は、料理云々よりも清掃は基本中の基本だと思っているのだが、運が悪いのの概念を覆させる宿もあった。  

運がーいーいとかー悪いとかー
人は時々―口にすーるけどー 
そういう事ってー確かにあるとー
貴女を見―ててーそう思うー♪  

汚い宿は、料理がショボいより嫌だ。

因みに私の泊まった宿の料理は、甲乙丙はあっても皆それぞれ美味しかった。 

寝ても覚めても私はマメの話題をしていて、器をお店に戻しに行ったDちゃんがママに捉まっている間に父と話していた。

糸を通すマメの対処法を、彼もネットで見ていたのだ。

すると「実は、私医者なんです」といい、何よりも感染症が一番心配だと言った。

ドクターが言うので説得力がある。

フレンドリーで素朴な父に、 ドクターの気配なんか微塵も感じてなかったのだ。

数日前の宿にいた、あの先達とは大違い💢

開業医なので休みは自分で決められるのだと、いつもの優しい口調で話す。

以前、次男さんが受験に失敗して遍路をしたことも知ることになる。Dちゃんにも言ったけど、この父親の子供なら大丈夫だろうと思った。

子供は親に似るから。 


彼らが休憩所から出たあと、シューズを脱ぎザックに入ったビーサンに履き替えた。

ビーサンは、指の上部分が触れず風通しが良いので一石二鳥だった。解放された足の指たちは大喜び。マメたちの日光浴である。

その解放感も束の間、さっき休憩した場所に杖を忘れたことに気付く。

なんてこった!

戻ると、往復30分のムダな歩きだ。

いや、落ち着いて。急いでいる時こそ落ち着くことが肝心。

さっきの場所に本当に忘れているのか確認しないといけない。喫茶店の名前が分からないので調べればいいのに、森さんに電話をしていたが繋がらない。

Googleマップで店名を知り、問い合わせると、杖があった!

その後、優しいママさんが車で持ってきてくれたのだった。

お世話になりっぱなしで、ごめんなさい。そして本当にありがとうございます。 (‘ω’)ノ


 ●中古車売り場が、全部軽トラ




宿に着いたのが午後5時過ぎ。丸半日、よく頑張った。

そして今日もヘロヘロだ~

海部郡海陽町にある『温泉民宿はるる亭』は人気だったが、予約がすんなり取れた。

10連休で押し寄せる人の波は、私の一つ先にあったようでラッキーだったのだ。


一泊二食7.000円と、ややお高めだがワンランク上の夕食をみて納得し、ここで飲んだお茶が遍路中で一番おいしかった。お茶は正直だ。

この宿は、普段は団体向けの料理屋さんとのこと。

ご飯が美味しいと主人らしき女性に言うと、「温泉もいいんですよ、宣伝してください!」とのこと。

はい、しました。

きっと近所にライバルの宿が出現したに相違ない。それでもここは、歩き遍路にはおススメ宿である。独立したアパートのような造りの部屋で、洗濯機の傍には物干し竿があるので便利だ。この物干し竿があるかないかで、全然違う。洗濯を干すと直ぐに乾くのが、どれだけ嬉しいか。

褒めちぎったようだが、難点もある。

『なんてん』繋がりで『のど飴』と思いきや、それは虫! トイレや洗面所が屋外にあるために、どうしても目立つ。

キャンプ場を想像したら分かると思うが、それだ。

私は🦟蚊が大大大嫌いなので、宿の部屋に入ると先にワンプッシュで蚊を退治するスプレーをするのだ。

押すだけノーマットスプレーを持参していた。小さな容器の割にはお高い分ね。

屋外のトイレの虫は、我慢の範疇であった。 

生きているからマメも痛み、生きているからお腹もすく。

今日もしっかり生きていたのだ。 
本日、62.992歩    

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