大きな感情とエネルギッシュな特性を持つ「スピリッツ・アダルト」の鳥居佐織さんの行動力に感服した話
昨日参加した、「スピリッツ・チャイルド」(=気難しくて激しい子)のお話会に登壇された鳥居佐織さん。
ご自身がスピリッツ・チャイルドを育てていらっしゃり、さらにご本人も「スピリッツ・アダルト」とのこと。
「スピリッツ・チャイルド」に関しては昨日の記事であれこれ紹介したのだが、「スピリッツ・アダルト」である鳥居さん自身の話もめちゃくちゃ面白く、鳥居さんの行動力がとんでもなくすごくて痛快だったのでぜひ紹介したい。
昨日の記事はこちら
わたしも自分が理不尽なことや納得いかないことは突き詰めて考える方で、このスピリッツチャイルドの概念や、鳥居さん自身のお話を聞いて、「それ私じゃん!」としっくりきた。
なので鳥居さんほどパワフルではないが、思考回路に共感しまくりなのだ。
だからこそ、ぜひとも知っていただきたい。
では、鳥居佐織さんの「スピリッツ・アダルト」ぶりが炸裂しているエピソードを紹介しよう。
1.パワハラ面接をされたことを弁護士会に訴える
昔は割と当たり前に行われていたセクハラ面接。おじさん役員が女子大生を品定めするような、キャバクラの面接か?というようなことが横行していたのは知っていた。
現代なら誰かがSNSで呟けば一発で炎上案件。あっという間にニュースになるだろう。けれど当時はネットもなく、男尊女卑もセクハラもテレビでも当たり前に放送されていたし、セクハラ面接ににブチ切れて異論を唱える人は皆無だっただろう。
なにしろ就職活動だ。そのおっさんたちに採用してもらわなくては就職できない。立場的には圧倒的に弱者だ。
それでも面接官に連絡して、きっとまともにとりあってもらえなかったのだろう。そこでも引き下がらずに、弁護士会に窮状を訴えるという行動に出るのがパワフル。
誰が何と言おうと、「だっておかしいじゃない!」という怒り。ほかの人が「そういうもんだから仕方ない」と流す部分を流せないのだろうな、と思う。
2.理不尽すぎる予備校講師にブチ切れたわたしのエピソード
わたしも昔から納得いかないことは徹底的に追及して、母に「いい加減にしたら」とよく言われた。
鳥居さんまでいかないが、理不尽なことにブチ切れることは、わたしもときどきある。
高校生の頃、ものすごく授業が面白い予備校の先生によく質問をするようになり、名前を憶えてもらって懇意にしてもらった。その先生がある日、楽しい会があるから、今度ぜひ来てちょうだいと誘ってくれた。世間知らずなわたしは、大好きな先生のお誘いと会って、「なんの会だろうね?」とワクワクしながら待ち合わせ場所に出かけた。
すると連れて行かれたのは、なんの看板もない一軒家。いいから上がって、といわれ、ちょっとここでテレビを見ていてね、と見せられたあたりから「なんかヤバくない?」という雰囲気になった。まだ世間知らずのわたしでも、そのテレビの内容が、おそらく宗教勧誘に関わるものだとうっすらわかった。
連れてこられた場所の住所が良くわからないけど、とにかくここから脱出して帰ろう、と友人とこっそり逃げ出した。追いかけては来なかったが、あの思わせぶりな「お楽しみ会」は、ただの宗教勧誘だった。先生を慕っている高校生を捕まえて、宗教勧誘するって、もう人としてどうかと思う。
慕っていた先生にされたひどい仕打ちに、ショック過ぎて家に帰って号泣した。母に事情を話すも「そんなもんに行くほうが悪い」と言われて、それでさらに号泣した。慕っていた大人に、そんなことをされて、わたしは本当にショックを受けたし、怒り狂った。たぶん二日間くらい泣きとおしたと思う。
もう二度とその先生の顔を見たくなかったが、どうしてもその気持ちを言いたくて次の授業に出て、その後「どういうことですか」と聞きに行った。すると気まずそうに「ごめんね」と半笑いで言われた。いま思い返してもはらわたが煮えくり返る案件だ。
今のわたしだったら、速攻、予備校に電話してその講師をクビにしてもらい、なんなら文春あたりにたれこんで真相を暴いてもらうかもしれない。だが、当時のわたしは高校生。そこまでできなかった。
実はその先生のことを、だいぶ後になって名前を検索したら、群馬の予備校を辞めて、都内で個人塾を開いているようだ。売れっ子で著書も出していた。授業は面白いけど人として最悪。まだ似たようなことをしているのだろうか。
権力を使って、理不尽なことをやらかす人に、いわれようのない怒りを覚える。スピリッツ・チャイルドの特徴に「正義感が強い」というのがあるが、きっとその部分にスイッチが入ってしまうのだろう。
本当になんでこんなに腹が立つのだろう、そして、なんで周りはそれを「しょうがないね」と流せるのだろうと不思議になってしまう。
旦那はわたしと違って現状を受け入れる性格なので「そういうもんだから仕方ない」というのが口癖で、それにもいつも反発して「やってみなきゃ、わからないじゃない!!!」と思う。
とにかく、やる前にあきらめず、やるだけやってみたい性格なので、鳥居さんの行動というか、思考回路にめっちゃ共感する。
鳥居さんの行動を見て、わたしももっとしっかり対処できたら良かったな、と思い返した。
3.娘さんのために教育委員会を動かす
また鳥居さんの話に戻ろう。
パワハラ、セクハラ面接にもの申したのもすごいと思ったが、娘さんがいじめに遭ったり、HSC(とても繊細な子ども)の特性があって学校内に安全な場所を作るべく活動をされているのもすごいと思った。
こちらは鳥居さんの学校への働きかけの活動。
この経歴を見ても、行動に行動を重ねて今に至っていることが分かる。
特に娘さんのいじめ問題に関して、教育委員会に訴えかけ、いじめを認めてもらったり、HSCへの理解を深めるために啓発チラシを作って働きかけたり、積極的さがすごい。
校内フリースクールも、なければ作っちゃえ、と要望を出して、次女さんの居場所を作ることに成功している。
わが子を含め、学校に安心な場所をなんとか作ろうと心を砕き、お堅いとされる教育委員会を動かしてしまうあたりのパワフルさがすごいなと思う。
4.学校は不動の岩のような存在だと実感したわたしのエピソード
特にすごいと思うのは、わたしは自分の経験から?学校というものが不動の岩のように「ことなかれ主義」で「思考停止」な色が濃く、何かを変えることがとても難しい場所だと思っているからだ。
またわたしの話で申し訳ないが、わたしが息子の小学校生活を通じて、学校というものに絶望したエピソードを紹介する。
うちの息子は、細かいいじめはあったが、まだ先生に相談して流せるレベルだった。学校も、わたしが手を変え品を変えおだてて行かせたら、のらりくらりと行けていたし、ここまでではなかった。
だが、息子が在学中にどうにも我慢ならないことがあったので、そのときは担任では話にならないと校長先生に直談判して話をしたことが2度ほどある。
4-1.小1で上級生に石を投げられた事件
一度目は、息子が小1のころ。息子と仲良しの友達が一緒に下校中、同じマンションの上級生に石を投げられたそうだ。結構な至近距離から、大きな石をぶつけられ、息子は当たらなかったものの、仲良しの男の子の目に当たり、角膜が傷ついた。幸い友達の目は大事には至らなかったが、その対応がひどすぎることを友達のママから聞いて驚いた。
友達の子のけがを見れば、明らかに故意で、やったことはひどいのに、学校の対応がいい加減だった。息子たちの訴えでは、いきなり絡まれて、石を投げられたといっているのに、先生方は「小さい子どもの言うことだから、当該の上級生にも話を聞いたところ、こちらが石を投げたから投げ返したというので、お互いさまということで、お互いに謝っておしまいにしましょう」という話になったという。
自分でいうのもなんだが、うちの息子も、その友達も、なんともマイペースな性格で、とてもじゃないけど上級生に石を投げるようなタイプではない。幼い子の言うことが嘘だという前提で早く処理してしまおうというのが許せない。
しかも、その件でケガをしたのは息子の友達だけだが、うちの息子も立派な被害者だ。それなのに学校からは電話一本かかってこなかった。幸いけががなかったが、追いかけられて石を投げられた恐怖は同じだ。
なぜうちの子は放置なのだろうと思って担任に電話した。すると「ちょっといまヒアリング中なのでわかったら連絡します」という。何それ。友達のママから、細かいことは聞いているのでなおさら腹が立つ。
石を投げられたのはうちも同じだということを伝えて折り返しの連絡を待つも、まったく来ず。しびれを切らして再度連絡するも要領を得ないので、校長先生に電話した。
ことなかれ主義だとうわさでは聞いていたが、やはりその女性校長は、物腰が柔らかく、「まぁまぁこのたびは大変でしたねぇ」と優しい声でねぎらって、わたしの訴えをすべて「そうですね」と傾聴マニュアルみたいな聞き方で聞き終わったあと「こんなことはあってはならないし、上級生にはきちんと言い聞かせますので」で終わった。
その間に友達のご両親も、ことなかれ主義の学校の対応に怒って校長先生に直談判に行っていたが、似たような返答だったらしい。
ちなみにその加害者の親はまったく出てこず、話し合いさえなかった。名前も教えてもらえなかった。けれど友達のママは直接けがをしたということで、2人のうちの1人の親が謝りに来たといっていた。もう一人の家は何もない。と。
その石を投げた2人の上級生の親にもきっと、うちの息子にも石を投げたことは伝わっていないだろう。謝るどころか事実も知らないなんて、冗談ではない。同じマンションの敷地内だ。また同じことがあるかもしれない。
当時はマンションの敷地内の連絡網があったので、名前を聞けば連絡先がわかった。なので家に電話をかけて、うちの息子もけがはなかったけれど、石を投げられたのですよと伝えた。どちらの親も「ああ、そうですか、すみませんでした」と、どうでもいいような返事をした。腹が立ったけれど、とにかくうちの子には近づかないように名前だけでも知っておいてほしかった。
こんな感じで結局煮え切らない対応で終わったが、振り返ってみて、なんでわたしがここまで動かなくちゃいけないんだろう?と思った。そもそもケガをした子と一緒に、上級生に追いかけられ、至近距離で石を投げられてるのに、誰も知らん顔。
ケガをしなければ何もなかったことになるのか、というのがものすごく理不尽だと感じたし、ことなかれ主義の洗礼もたっぷり受けた。
4-2.担任の先生に失礼極まりない発言を受けた件
2回目は、息子が、というより、わたしが心無い担任の先生の発言にブチ切れたとき。
あんまり学校が好きじゃなくなっていた小6のとき、もう我が家は中学受験をすると決めていて、6年生になって塾が忙しくなったことと、息子が塾の方が楽しくなったのもあって、ときどき学校を休んでいた。
息子の性格や事情は伝えてあったが、それが担任の気に食わなかったようで、ことあるごとに嫌味を言われた。小6にもなって、夏休みの宿題なんて、親が見るものでもないだろうと思いながら、基本宿題はやらないので、悪目立ちしそうな自由研究とか、メインのものだけは手伝って提出した。それでも宿題になっていた漢字ドリルが数ページ抜けていただけで先生にこっぴどく叱られたらしい。
そのことで先生から電話がかかってきて、「受験でお忙しいでしょうけれども宿題が完璧にできてないので」と言われた。
わたしは、宿題を完璧に出すことがそこまで重要なことと思わなかったので「宿題は親に言われてやることでもないし、手伝える部分は手伝いました。抜けがあったなら申し訳ないけれど、宿題やらなかったらやらなかったで、悪い成績を付けていただいて構いませんので」と返事をした。
それもまた先生の気に食わなかったらしい。
「ほかの受験されるお子さんは全員きっちり宿題もされています」だの、よく学校からの手紙をなくす息子のことを「お子さん私立に行かれても、中学生になってからも自己管理ができないなんて大変ですねぇ」など、大きなお世話な嫌味をたっぷり言われた。
「こちらの家庭の問題ですのでご心配なく」と返したが、話すたびに気分が悪い。息子が中学にいって大変かどうかなんて、大変なのはわたしで先生は関係ないのに、なんで余計なことを言われなくてはならないのだろう。
学校の手紙が蛇腹になってるなんて男子あるあるじゃないか。
最後のトドメに爆発した先生の発言があった。小6の1月は息子もわたしも同意の上で、学校を休んで塾に行って受験に備えることにした。そのことを担任に伝えると、嫌味が炸裂した。
「もっと勉強出来る子でも学校に来てますよ」とか、「あんまり休むと、2月に学校に来てから嫌味を言われたりします」とか、我が家が決めた方針を応援どころかディスって脅しまでかけてくる。
とりあえず平和に電話を切りたかったので「うちは、上位の学校ではなく中堅校に行ければ良いのですが、学校に行くと気が散ってしまうので休みます。1月から休んで、大げさと思われるかもしれないですけど」と少し謙遜したことを言った。
すると挙句の果てに「そうですね、休んだ割に学校のランクがいまいち、とかで何か言われるかもしれませんね」というではないか。何言ってんのこの人。とブチ切れた。以前からずっと失礼だと思っていたが、失礼にもほどがある。
学校に行くべきだ、とか、出された宿題はきちんとやるべきだ、と考える人は多いし、それぞれの考え方でよいと思う。わたしはそこまでギチギチにそう思わないだけだ。
学校の先生も、私立受験するからといって学校をないがしろにされたら気分は良くないと思う。だからって、そんな失礼なことを言っていいものだろうか。わたしはそうは思わない。
中学までは義務教育期間だが、各子どもにとって学校に行くのは権利だ。そこから先は各家庭の方針だし、中堅校に行ったらバカにされるかも、とはよく言ったものだ。
とにかく怒りに震えたので、校長あてに手紙を書いた。電話したら怒鳴り散らしてしまいそうだったので、あえて手紙にした。もうおさらばするのだから、言いたいことは言ったしどうでもいいやと思っていた。すると、忘れたころに校長から手紙がきた。「そんなことはめっそうもありません」的なことが書いてあった。もうこの人たちには何を言っても変わらないのだな、と諦めの境地だった。
息子は無事希望の中学に行けることになり、やっとこの牢屋みたいな場所から離れられてスッキリだなと思った。小学校を卒業して嬉しかったのは、息子よりもわたしかもしれない。もう、ことなかれ主義の管理教育はお腹いっぱいだった。
息子の学校は、わたしが子どもの頃の昭和の学校となんら変わらない、「個性を大事に」ってうたっている横並び教育だったことにガッカリして、それ以上のアクションを起こす気にもなれなかった。
と、また自分のことばかり書いてしまったが、わたしは息子の学校生活でそんな経験をしたので、学校というものは、不動の岩のような改革を嫌う場所である印象が強い。鳥居さんはそんな難攻不落と思われる場所に積極的に働きかけて、娘さんが居心地の良い場所をつくることを実現した。
きっと、ご本人の行動力に加え、人を動かすパワーのようなものが備わっているのだと思う。
5.腐らずに、やれることを模索していく鳥居さんを見習いたい
お話会では、これらの鳥居さんの奮闘エピソードをお話として聞かせていただいたので、文字で読むよりさらにエキサイティングだった。
それをきっかけに、わたしも過去に理不尽だと怒ったことがあったなぁと思い返し、わたしのエピソードも文字に起こしてみた。
すると、理不尽と感じる場面はでは、それに対してある程度のアクションはしてきたけれど、鳥居さんのようにその場を変えるまでの行動に至っていないなぁと思った。
わたしは、変わらないものをなんとか変えようとするよりも、もっと変えやるいことに目を向けたり、自分で新しい場を作っていくほうがやりやすいのかもしれない。
けれど、改めて自分を振り返ってみると、過去のわたしは、自分ごとを自分ごとだけで終わらせているなぁと思った。
それが悪いわけではないけれど、鳥居さんは自分に起こったことを、個人のレベルで収めるだけではなく、それを周りの人の自分ごとにするまで行動して昇華させていっている。改めてすごい。わたしもまだまだやれることがあるなと元気をもらう。
歳を重ねて、アラフィフになってきた今、昔より少し視野が広がったかなと思うことが増えた。以前のように自分のことだけでなく、それがみんなの自分ごとかもしれないから、シェアして、共感して、つながって、もっとよりよくできればいいなと思うようになった。
このnoteもその一環で、自分がいいと思ったこと、面白いと思ったことを、もっと多くの人が知ってくれたらよいなと思って発信している。わたしは、わたしなりにできることをやっていこうと思う。
自分のため、が人のためになり、人のため、が自分のためになって、みんなが良くなれば最高じゃないか。
そのためには、おかしいと思ったことに声をあげ、腐らずに、どうしたらもっと良くなるかを考えて行動していくことが大事だなと思う。
以前記事にした「誰かがやってくれるだろうの誰かになる勇気」という記事を書いた。
きっとみんな思っているけど言わない、そういうことに声をあげる人って必要だよな。と書いたが、鳥居さんはまさにこの「誰か」になっている。
わたしも鳥居さんに勇気をもらって、明るく腐らず前に進んでいこうと思う。
鳥居さんのお話は、文字で読んでもすごいけど、実際にお話を聞くとよりエ頼もしい。もし鳥居さんのイベントがあれば、ぜひお話を聞いてみることをお勧めしたい。
今日もお読みくださりありがとうございました!